登山:妙高山(2022/7/4)

一昨日、7月1日に山開きをしたばかりの妙高山を登ってきた。職場の「登山研修」として行われたもので、利用者を引率して登る場面で役立てられるよう、安全で身体的負担の少ない登山方法を学ぶことが目的だった。職場の同僚約10人が参加し、地元の自然に詳しいガイドの方も同行していただいた。天候はくもりで、途中雨がぱらついたものの本格的に降り出すことはなかった。妙高山は(途中で下山したものも含め)2014〜2017年にかけて4年連続で登っていたが、その後ぱったり途絶えていて、今回は5年ぶりの挑戦だった。過去には往復5時間ほどで登り終えるスピード登山に血道を上げていたが、今回は往復10時間半という非常にゆっくりなペースで登った(登山開始5時→山頂10時半〜11時半→15時半下山)。息が上がらなかったので同僚と色々話せたし、当日及び翌日以降の披露も少なくて、こういうゆっくり登山もありだな、と新鮮に感じた。また、ガイドさんから周りに見える山や植物、荷物のパッキングや歩き方のコツなど、道中で色々な知識・技術を教えていただけたのも有意義だった。慣れた山でも、何度登っても、やっぱり楽しいもんだな、と登山の良さを再認識できたし、仕事ながらも日常を離れていい気分転換ができてありがたかった。


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↑入域料500円を払うともらえる記念品。

 

ということで、登山自体は充実していたのだが、その一方で非常に重大な問題が1つ起きていた。それは「何らかの虫に顔のあちこちを食われて、顔全体が腫れ上がってしまった」ことである。登山中ずっと顔の周りを無視が飛び回っていたし、刺されているのもかゆみを感じてわかっていたのだが、蚊取り線香も虫よけスプレーも顔を覆うものも一切用意していなかったので、対抗手段が手で払うくらいしかなかった。そのため非常に邪魔に感じ注意力を奪われつつも我慢して最後まで歩いた。しかし下山して帽子を脱いでみたら、耳が両方ともパンパンに腫れあがっていて、さながら「怪物くん」のような状態になっていた。しかも刺されていたのは耳だけではなく、顎や頬、額、こめかみなど顔全体に及び、翌日に出勤した際には同僚から「なんか、顔が変わってない?」と驚かれるほど明らかに異常な腫れ方に悪化していた。耳が腫れていることで実害も多々あり、寝返りが打てなくてよく眠れなかったり、電話の受話器が耳によく当てられず音声が聞き取りづらかったり、眼鏡のつるが顔に食い込んでキツかったりと、とにかく散々だった。さすがに自分でもこれはやばいなと思ったし、同僚にも心配されたので、昨日は時間休を取って夕方2時間早く退勤し皮膚科を受診。アレルギーを抑える飲み薬と塗り薬を処方してもらい、それを服用して今朝に至る。一晩経って少しだけよくなってきた感じはあるが、まだ腫れは残っていて、しばらくは違和感と戦うハメになりそうだ。次回登山をするときの教訓は、「虫よけスプレーと蚊取り線香は忘れるな!」という一言に尽きる。あと、一緒に登ったほかの同僚はほとんど食われていなかったので、自分がよっぽど虫に好かれる理由がなにかあると思われる。調べてくれる研究者の方がいれば、全面的に協力するのでぜひお願いします。

 

(45分)

 

イクシゴ論(7)「アンコンシャス・バイアスへの苛立ち」

日本社会は、「アンコンシャス・バイアス」(unconscious bias)に満ちあふれている・・・と最近つくづく感じる。これは、「無意識の偏ったモノの見方」を意味する言葉で、新聞やテレビ等のメディアでもこのところ見聞きすることが多くなってきた。内閣府男女共同参画局発行の広報誌「共同参画」2021年5月号の巻頭特集によれば、以下のようなケースがアンコンシャス・バイアスに当たる一例とされている。(長いので以下本文中では「アンコン」と表記する。)

 

○血液型をきいて、相手の性格を想像することがある
○性別、世代、学歴などで、相手を見ることがある 
○“親が単身赴任中です”と聞くと、まずは「父親」を思い浮かべる(母親は思い浮かばない)
○「性別」で任せる仕事や、役割を決めていることがある
○男性から育児や介護休暇の申請があると、「奥さんは?」ととっさに思う
○子育て中の女性に、転勤を伴う仕事の打診はしないほうがいいと思う

出典:https://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2021/index.html#kyodosankaku_144_5

 

上記の例のうち、「血液型〜」は10年以上前に「バーナム効果」の事例として記事にしたことがあるものだ。どれも今に始まったことではない「あるある」的な光景だが、育児をしている親にとっては迷惑極まりないものばかりである。人々の意識の中に長い年月をかけて深くしっかりと刷り込まれているだけに、簡単にこうした意識が変わることは期待できず、しかも、偏見であることに気づくことすらないまま無意識に悪意もなく(むしろ時には善意で)日常的に繰り返され続け、刷り込みの強化が続くことになるのだから、たちが悪いことこの上ない。

 

自分の身の回りで実際に起きている日常の出来事も、アンコンだらけである。例えばこんな具合だ。

 

○職場で昼食にカップ麺を食べていたら、「今日は奥さんに弁当を作ってもらえなかったのか?」と上司から茶化された
→家での食事や弁当は妻・母親が作るものというアンコン(ちなみに我が家では早起きしたほうが弁当を作るし、この4月以降は自分の弁当は作らないことにしている。食事の準備も半々くらいで分担している)
○会社から自分の個人口座に入金があったので経理担当者に確認したら、出張旅費の振り込みだったことが分かったが、その際に担当者から「奥さんには秘密にしといたほうがいいですよ」と「アドバイス」された
→家計の管理は妻がするものというアンコン(ちなみに我が家では、自分が全てのレシートを集めてパソコンの家計簿に記録しているので、妻は一切タッチしていない)
○残業の多い部署には、過去10年以上、男性職員しか配属されてない
→女性(特に育児中の)を夜遅くまで働かせるのはかわいそう、というアンコン

 

こうしたアンコンには、「性別役割分担」の意識が色濃く現れている。いわゆる、「男性は会社で仕事、女性は家庭で家事育児」、「男は度胸、女は愛嬌」、「おふくろの味」といった類いの伝統的な固定観念である。最近はそうした旧時代的なジェンダー意識が露骨に見られる言動に対して社会的な批判が集まるようになってきつつもあるが、現実にはまだまだステレオタイプとして健在であると言わざるを得ない。アンコンは男性から女性に向けての偏見、とみなされることが一般的には多いと思う(もちろん、女性から男性に向けてのケースもあるし、男性対男性、女性対女性のアンコンもある)。たとえば、「配慮」という名のもとに女性に激務だが重要な仕事を担当させなかったり、「理系=男性向き」というイメージから親や高校教員が女子学生に理系学部への進学を積極的に勧めなかったり、結婚や出産に際して男性がパートナーに「俺が養うから仕事を辞めてもいい(あるいは辞めてほしい)」と言ったりといったケースが典型である。個人的にはいずれも「このアンコン野郎!」とぶん殴ってやりたくなるような虫酸の走る話だが、自分が今回訴えたいのはそこからもう一歩踏み込んだ問題だ。すなわち、「アンコンの被害を受けるのは女性」というのもアンコンの一種であり、実は「アンコンで一番割りを食っているのは真剣かつ当然に家事育児をこなしている男性」である、という主張である。

 

これは一体どういうことか。自分の事例で具体的に説明してみよう。自分は「家事育児は(女性ではなく)男性の仕事であり当然の義務」、「休みの日は子供と一緒に終日過ごすのが既婚男性にとってのデフォルト」だと思っている。一般的なアンコンのアンチテーゼとも言える考え方であるため、同世代の既婚男性とも完全に共感を得られないことがままあるし、年配世代ともなると男性だけでなく女性からも「異端視」を受ける場合がある。また、「育児中の女性に激務はかわいそう」という女性限定の「配慮」は、裏を返せば「男性であれば(育児中かどうかなど関係なく)激務でも大丈夫」という育児する男性への「無配慮」を認めることにほかならない。本人の適性と希望、家庭環境等を加味して行わなければならないことを、性別で一律に決めてしまうのは極めて不合理である。そのため、「家事育児があるから原則残業不可で、毎日18時退勤がマスト」という自分にとって必然かつ当然なルールが、職場の同僚には十分理解・納得されておらず、帰り際に自分がモヤモヤした感情を抱いてしまう原因となっている。さらに、3世代同居が多いこの地方の特徴として、「育児が大変ならジジババにやってもらえばいい」というアンコンが存在することも、自分のような核家族世帯の父親の立場を孤立化させる原因となる。子育て世代の女性でさえ、同居の親に子供を任せて夜遅くまで残業している姿が見受けられるのだから、彼女たちにとっても自分は異端に映っていることだろう。特に、最近は時々しか聞かなくなったとはいえ、イクメン」というのも男性の家事育児への「異端視」を助長する言葉で、当事者にとっては目障り極まりない無責任なものであるということをこの際強く断言したい。家庭においては、往々にして「ちょっと「手伝った」くらいで、「自分はイクメンだ」とか思ってんじゃないよ!」といった具合に妻が夫をディスる際に使われているだろうから、全くもって百害あって一利なしだと言わざるを得ない。イクメンという言葉を作った人や、それが実害しかもたらしていないことに気づかず、いまだに(たちの悪いことに、当人たちにとってはポジティブな文脈で)使っている人たちに対しては、時として腸が煮えくり返るような激しい怒りを覚える。義務・本務として当然かつ真剣に、妻よりも大量に家事育児に取り組んでいる男性にとっては、「手伝う」という当事者意識の欠如を意味する表現を受けることは何物にも勝る最大の侮辱である。しかし、現実にはお手伝い感覚でしか取り組んでいない(しかも呆れたことに自ら「手伝う」というNGワードを発言する)男性がまだまだ多く存在することもまた厳然たる事実であり、歯がゆさを禁じえないところである。

 

とにかく、アンコンにどっぷり浸かった人々にとって、女性と同等かそれ以上に家事育児をする男性は、常識とはかけ離れた存在として映るのであり、アンコンを受けるマジョリティである女性との対比では圧倒的なマイノリティという意味においては、最も割りを食っている立場にあると言えるのである。アンコンは今でも日本社会で再生産され続けており、目覚ましく改善するような兆しは今のところ見当たらない。したがって、マイノリティとして声を上げ続けることが、自分にできるせめてもの抵抗と言えるだろう。誰にも気付かれない怒りと、静かな戦いの日々は、これからも続く。

 

(135分)

朝活継続への戦い

自分の発案をきっかけに、職場の同僚有志4人で2013年10月から始めた「朝活読書会」は、この9年間途切れることなく開催され続け、現時点で197回の活動を重ねている。自分にとって朝活は「教養(リベラルアーツ)を不断に高め続けるためのエンジン」としてなくてはならないものであり、今活動しているメンバーとも、その思いは共有している。ただ、年々、参加にかかる「負担」が大きくなっており、今や、活動参加が継続できるかどうかの岐路に立たされている。


負担の1つは、「読書から報告までに要する労力」だ。読書会当日の発表では、たいてい半分以下しか読んでいない状態で参加しているので、朝活が終わった後から読了と報告コメント作成に向けて精読することになる。ただ、仕事と育児の合間を縫って読書の時間を確保するのに毎回非常に困難を伴うことになる。自分の性格上、流し読みが苦手なので、1冊読むのに3~5時間はかかる。直近で取り上げた本は原著が300ページもあった上に、スマホ電子書籍を購入したので、妻の目もあり(自宅での自分のスマホ使用は禁止されている)全然読む時間が作れなかった。自分が一日フリーで使える平日の公休日に自宅に籠もって読書に専念することで、やっとどうにか読み切ったのが実情だった。そして、そこから報告メールのコメントを作成するのにさらに1~2時間かかる。読書はアウトプットが99%、とも言われるように、コメント作成は非常に重要なプロセスなのでここをおろそかにはできない。ということで、朝活1回(本1冊)のサイクルで「4~7時間」かかることになる。昔からこの労力自体は変わっていない(増えてもいないが減りもしない)が、自由時間がほとんどない中では負担が大きく、しかも報告し終わるまでは「あの本の報告が終わっていない」と1日数回、脳内リマインダーがスヌーズ動作をし続けることになる。読書会に対する強い参加意欲の反面、こうした労力の大きさが悩ましい問題としてのしかかる。


もう1つの負担は、「読書会に参加する時間の確保」だ。2015年まで、平日朝に職場の大学を会場に開催していたときは、まだ独身だったこともあり、何ら問題はなかった。ところが、結婚した2016年から土曜朝にカフェを会場に開催する形式となり、その後2017年に子供が生まれ、2020年から現在まで土曜朝のリモート開催に移行してからは、自分の都合だけで参加を決められなくなった。なぜなら参加中の子供の世話をどうするのか、という切っても切り離せない問題が浮上したためだ。我が家では自分が常に子供の世話をするのが基本なので、たとえ1時間だけでも妻に子供の面倒を見てもらうのは「育児放棄」とのそしりを受けることになる。読書会への参加は常に非難轟々であり、開催中も妻からの介入・嫌がらせ行為にさらされている。過去にカフェで開催していた頃には、何回か「子連れ参加」したこともあったが、子供の世話に注意力が割かれるので、他のメンバーの話が頭に入ってこないという問題があり、長続きしなかった。また、常に子供の世話の問題をはらんでいるにも関わらず、朝活に参加しようとする態度そのものが「子供より朝活のほうが大事なのか!」(※)といういわれのない非難を招くことになった。こうなると、妻の機嫌が悪い時には、到底参加することはできないことになる。もちろん、子供と読書会を秤にかけたら子供のほうが重いのは当然だ。それは子供と仕事でも然りである。しかし、2週間に1回、たった1時間の自由時間も許されないというのは、親としての責務以前に、人間の権利・尊厳の観点からいかなものかと憤りを覚える。それゆえ、罵詈雑言を浴びつつも、これまで朝活読書会への参加時間をどうにか確保してきた。


そんな状況をさらに難しくしたのが、今回の出向に伴うシフト勤務の開始である。土日関係なく休日(公休日)が割り振られるので、今までの開催ペースでの週末開催では、定期的な参加はまずできない。参加するための方法としては、他のメンバーの協力を得た上で、

・勤務日の土曜日に、始業前の「7~8時」に開催

・公休日の平日に、(メンバーの)始業前の「7~8時」に開催

・勤務日の土曜日に、昼休みの「12~13時」に開催

といったイレギュラーなスタイルにすることも考えられる。ただ、こうなると、開催日の設定と時間調整の困難さは今までの比ではなくなる。元々、子供の身支度等の都合で開催時間に遅れることが多々あったので、自分の都合で「始業前の7~8時」に設定したとしても時間通り参加できる確証はない。参加するための壁の高さ、しかもそれを乗り越えようとすればするほど、妻による上述のそしり※がより強化され、より強い精神的ダメージを被る矛盾に、考えれば考えるほど「無理ゲー」の泥沼にハマることになる。これが第二の負担である。


メンバーからは「日程は柔軟に対応するから、今後も参加して欲しい」という言葉をかけてもらっている。率直にうれしく、ありがたい限りだ。ただ、過去及び現在、自分と同じ機関に出向経験のあるメンバー2人が、出向期間中一切参加していなかった(していない)ことからしても、少なくとも今までのよう自分が原則毎回参加するのは現実的ではない。もちろん参加はしたいのだが、4月から5月にかけては都合が付かず、結果的に2回連続で欠席となってしまった。


ということで、4月からの2ヶ月間の試行錯誤の末に、月に1回か2回、土日に公休日が重なる日があれば、それを伝えた上で、メンバーの都合と開催ペースの兼ね合いで可能であれば、その日を開催日に設定する・・・という運用でやってみることにした。問題はあるにはあるが、これが一番現実的で、負担の少ない方法だと思われる。うまく行けば、平均で2回に1回くらいは参加を継続できるのではないかと思う。


朝活参加の困難さは高まる一方だが、日常生活に追われて手一杯になりがちな今だからこそ、自分への投資につながる数少ない機会としての朝活の重要性はますます高まっているとも感じている。現状に抗い、様々な問題にその場その場で折り合いをつけながら、これからも朝活への参加を何とかして続けていきたいと思う。


(60分)

新職場百考(2)〜適応への道のり

新しい職場に出向してから、早1ヶ月が経った。正直なところ、この間に何をしていたか、あまり詳細に覚えていない。それほどまでに、今回の出向に伴う「衝撃」は強烈で、自分の心身に大きな負荷をかけることになった。

 

職場が変わったことによる具体的な変化は、取り上げればきりがない。というより、変わらない部分がないんじゃないかというくらいに、ほとんど全てが変わった。それぞれ、一つずつ記事にして語れるほどボリュームがあるのでここでは詳述しない。一例を挙げれば、人間関係、文書決裁の流れ、書類の書式、電話応対、利用者対応、施設内の部屋等の名前や配置、食堂や警備等の関係業者との対応、業務システムの使い方などなど、次から次へと出てくる。今まで当たり前に慣れ親しんできた前の職場のルールがほとんど一切通じず、新たなルールをゼロから覚えて、それを実践しなければいけなくなったのだ。これは突然日本語が通じない国に放り込まれるのと同じくらいの衝撃であり、非常に大きな「ストレス」であった。もっと若ければ、それでも体当たりで何とか適応できただろう。だが、なまじ12年間同じ環境にどっぷり浸かって、呼吸をするかのごとくほぼ無意識下に色んなことができるようになっていると、なかなか自分の中に染み付いたルールを書き換えることが難しくなる。そもそも多くのルールが「DNAレベル」で染み付いていたからこそ、仕事の効率を極限まで高めることができていたし、それに小さな達成感を得ることができていたのだ。それが一転、郵便の出し方や、利用者からの電話への対応など、一つ一つのアクションでことごとく引っかかり、他の人に訊いたり、資料を調べたりして時間を浪費するので、とにかく仕事が進まない状況に追い込まれてしまった。「効率化の鬼」を自負していた自分にとって、あらゆるルールを「アンラーニング」して書き換えなければいけないということは、ストレスであると同時に、拠り所としていた武器を失うことでもあった。

 

それに加えて、係長として求められる新たな役割も、自分に重くのしかかった。毎朝開かれる所長・次長・係長でのミーティングをはじめ、各種の会議では、係内の業務状況の報告を求められる上、係長としての見解も尋ねられる。今まではプレーヤーとして自分の所掌業務のことに専念していれば問題はなかったもの(当然周りをある程度見てはいた)が、今度は小規模ながらもマネジャーとして係全体に目配せして、状況を常に把握しなければならなくなったのだ。当然、分かりきっていた状況ではあったが、職場が変わった中でのこれを求められることは、想像よりはるかに過酷だった。基本的なルールにさえ戸惑っている中で、まだ過去の経緯はおろか全体像さえ分かっていない、係内の誰がどの作業を担当しているかもわからない業務に対して、「係長としてはどう思う?」と尋ねられて、明快な回答ができようはずもなかった。そもそも、会議の場で陪席者ではなく出席者として参加し、「事務局」としてではなく一出席者として意見を求められること自体が、ほとんど初めての経験だった。結局そこでは、不本意ながら「ひとまずその方向でいいと思います」「○○さんと同じ意見です」などと言ってお茶を濁すしか手立てはなかった。だが、思考停止と前例踏襲に異を唱え、忌み嫌ってきた自分にとって、これは屈辱と挫折以外の何物でもなかった。

 

このような状況から、自信を喪失し、自分は何者なのかというアイデンティティを見失い、ボロボロの状態に追い込まれたのが、最初の2週間の実態だった。出勤途上の車内で動悸がして、心がズシーンと重くなりお先真っ暗な気分になる日が何度もあった。これまでも嫌な仕事が頭を離れず、寝ても覚めても考えてしまうということはたまにあったが、それで出勤が嫌になるということはまずなかった。出勤そのものにストレスを感じる状況、しかもそれが連日続くということは、まさに非常事態だった。このときはうつ状態に限りなく近づいていたと思われる。

 

そうした絶望的な心境を脱する転換点となったのは、4月中旬に3日間の日程で行われた研修だった。東京で合宿形式で行われた研修では、全国の施設の新任係長等が50名ほど集まり、講義を受けたり、グループワークやディスカッションをしたりした。研修の内容は業務上の知識の習得につながったが、それ以上に重要だったのは、色々と話し合う中で、お互い自分と似たような心境だということが分かったことだった。これで気持ちが一気に楽になった。また、この頃から、バラバラだった知識のピースが徐々につながり始め、業務の流れが少しずつ理解できるようになってきた。これで「パズル」の全体像がなんとなく見え始めたことで、仕事に前向きに臨めるようになってきたのだ。こうして、精神的な危機からはひとまず抜け出すことができたのが、今の状況である。

 

前職のときのように、強い自信を持って業務にまい進し、成果を上げるには、残念ながらまだまだ程遠い状況だ。しかし、少しずつではあるが、日々前に進んでいる手応えはある。研修での話し合いが自分の助けとなったように、今後もネガティブな気持ちを一人で抱え込まないこと、自分を過度に追い込まないことが大切だと思う。書くことで自分を見つめ直し、気持ちを整理することがますます重要になってきていることも確かなので、ブログ執筆を通じた現状分析、自己分析を今後も続けていきたい。

 

(70分)

ワイヤレス折りたたみキーボード

最近、Amazonでこんなものを買った。

 

 

バッテリー駆動のワイヤレス折りたたみキーボードで、Bluetoothスマホタブレット等と接続して使うことができる。購入した目的は、スマホで長い文章を打つ際の負担を軽減すること。具体的には、ブログ記事の執筆のためである。前回(4/10)の記事も全てこのキーボードでタイプして作成した。原稿用紙9枚分の長文記事を、スマホのタッチパネルのフリック入力やトグル入力で作成しようと思ったら、途方も無い時間と労力がかかることになるところだが、キーボードのおかげでそれがかなり楽になったと思う。いちいち起動するのが億劫だし、老朽化で動作が遅くなってきていて何かとストレスもたまるので、最近はPCでブログを書くことがほとんどなくなった。ブログ記事作成のプロセスは、「スマホのメモ帳アプリで記事作成」→「はてなブログにテキストを転記し記事をアップ」→「掲載結果を確認し、はてなブログ上で推敲・修正」という流れが基本となりつつある。移ろいやすく鮮度が命の頭の中のイメージを、素早く文章としてアウトプットするためには、待ち時間ゼロでいつでもどこでも使用できるスマホが最適だ。したがって、ワイヤレスキーボードを使うメリットは非常に大きいと言える。

 

この製品を選んだ理由は、「大きさ」「軽さ」「価格」の3点でバランスが取れていたから。たたんだ状態での大きさは、スマホとほぼ同じ。重さも179gとスマホとほぼ同じくらい。そして価格は3,680円でお手頃な価格帯だった。キーボードの右半分と左半分の隙間が少し広めなのが、使う前には一番気になったところだったが、使ってみるとさほど気にならず、いつもどおりの感覚でタイプできた。タイプ音もほぼ出ず、出先でも気になる心配はないと思う。スマホ入力よりタイプスピードが向上したのは上述のとおり。何より感動したのは、記号を簡単に出せるようになったことだ。今までは「( )」を出そうと思ったら、「かっこ」と打ってから変換しなければならなかったが、キーボードを使えば、当然ながらその記号が書かれたキーを打つだけで一発で表示することができる。これによるストレス軽減効果は小さくなかった。唯一残念なのは、Androidの日本語入力システムがA-TOKではないこと。PCならA-TOKが入っているので、「しゅううとく」と誤入力しても「習得」と補正してくれたが、Androidでは「週疎く」といったおかしな変換になってしまう。これはシステムと自分のタイプ精度の問題なので、キーボードには何ら非のない話である。総じてバランスのよい製品であり、使い勝手には非常に満足している。

 

自宅の中でも外でどこでも自由にタイピングができるというのは、タイピング好きの自分にとっては非常にうれしいことだ。かくいうこの記事も、新幹線での移動の車内で、ワイヤレスキーボードを使って作成したものだ。スマホにワイヤレスキーボードを組み合わせた使用感は、かつて愛用していた「ポメラ」を彷彿とさせるものがある。これを機に、記事の更新頻度も高めねば!…とキーボードを見ては鼻息を荒くしている今日このごろである。

 

(60分)

新職場百考(1)〜着任初日

4月1日朝、標高約600mの山中にある某施設に、自分は係長として着任した。雪がまだ2m近くも残る、雄大大自然に囲まれた風光明媚なロケーションで、自然体験や宿泊体験等を通じて青少年が様々なことを学び、交流を深める研修交流施設。ここが、これから3年間の勤務することになる、自分の新たな職場だ。異なる独法間での定例の人事交流の一環であり、自分の12年間の職歴における初めての外部機関での勤務、そして平職員からの初めての昇任であった。これまでの経験が武器になるかどうかもわからず、係長としての研修も受けないまま、いわば「丸腰」の「体当たり」で新天地に赴くのは、なんとも心細く、どうにも落ち着いてはいられなかった。

 

勤務初日で慌てないよう、2日くらい休んで心身を整え、事前に十分情報収集をするなり、仕事や働き方やチームマネジメントやらの目標を立てるなりしてから、さあ行くぞ!・・・という感じで張り切って出勤するのが、おそらく理想的だろうと思う。ただ、着任前日まで、すなわち3月31日の年度末最終日まで前任の担当業務の残務処理に追われていたし、それさえも完全に整理できないまま時間切れで前の職場を飛び出してきたので、現実には新しい仕事に向けて心身を整えるどころの話では全くなかった。最終日とはいえ、「19時帰宅」のルールは絶対であり、定時後に自分のロッカーと机の荷物を手当たりしだいに袋に詰め、駆け足で車との間を往復しトランクに積み込む様子は、まるで火事場から逃げ出すかの如き慌ただしさで、自分の目指していた悠然とした最終日の姿とは正反対のものだった。そもそも最終日に仕事をするつもりはなかったのが、こうなってしまったのは、自分の「凝り性」が原因だった。後任者がなるべく困らないようある程度キリのいいところまで仕事を進めないと、という思いから、年度末で次々と舞い込んでくる案件を後任者回しにせず手を付けるものだから、身辺整理に一向に着手できなかったのである。また、引継書を「卒論」と称して微に入り細に入りで一から十まで書き込むあまり、60ページ近いものすごい分量になり、ボリュームがありすぎて推敲もできないまま筆を置かざるをえなくなった。引継書は3月の最終土日を「在宅ワーク」に充て、家族の不満を一身に受けつつ強引に書き上げた代物で、その2週間前に書き上げた別冊のマニュアルも含めると100ページに迫る大作だった。こんな後任者をドン引きさせる資料を作ったのは、後任者のためという目的をもはや飛び越えて、ほとんど自分の趣味の問題であり、自己満足のためであった。そして同時に、それは自分の担当業務への思い入れや自負の強さの現れでもあった。とにかく、最後のギリギリまで仕事をし続けてしまったため、心の準備が整わなかったとともに、色々な「忘れ物」をすることになってしまった。これまでに自分が工夫を凝らして作成してきたエクセル等の業務ファイルを回収しそびれてしまったし、勤務管理データを記録として出力するのも忘れてしまった。貸与端末のデスクトップに保存してあった作業途中のファイルや備忘メモ等も回収や削除をせずそのままにしてしまった。過去12年間使ってきた個人用ドライブ内のファイルだけはなんとか辛うじてバックアップしたものの、「もったいない精神」の塊のような自分にとって、これらの忘れ物をしたことはかなりショックで、しばらく後悔を引きずることになった。

 

そんなバタバタ状態ではあったものの、課内の同僚や職員バドミントン部のメンバー、同年代の職員を中心に、特にお世話になった人たちにはお菓子を配って回り、個別に会話することができた(勤務時間中だったので自分のポリシーとして時間休を取った)。また、思いがけず多くの人から送別のお菓子等をいただき、会う人会う人から激励の言葉をかけてもらった。そして、最終日の定時前に行われた課内の送別セレモニーでは、自分の率直な思いを(自分にしては珍しく)原稿なしで話し、形式ではない、本音の言葉で同僚への感謝を伝えることもできた。そう考えると、初めての転出のわりには、それなりにうまくこなしたほう、なのかもしれない。

 

そんな前夜の慌ただしさが尾を引き、前任の業務の引き継ぎに対する不安が拭いきれないまま迎えた着任当日。施設に到着したのは始業時刻の25分前だった。仕事カバンと手土産のお菓子を手に、緊張しながら事務室のドアを開け、挨拶。気づいた人に案内され、すぐに同じフロア内の所長室へ。そこで所長に挨拶すると、促されるまま会議テーブルに着席。新任・転任者の中では自分が一番乗りで、続々と自分と同じ立場の人たちがほかに5人入室してきたので、挨拶やら自己紹介やらでバタバタ。その後は、所長からの辞令交付(施設職員への任命、給与の級号俸が記載。出向を命じる辞令は前職場で受け取り済み)、職員全員が集合して自己紹介をする着任式、玄関前での集合写真撮影、各係から採用の書類関係や貸与される被服関係の説明…といった各種プログラムが息をつく間もなく展開された。最後に職員としての心構えや、組織の中期目標・中期計画等に関する所長からの研修で、午前中は終了。自席のPCにログインすらしないまま、昼休みに突入した。お昼は先輩職員の計らいで新任・転任者全員で施設内の食堂へ。食堂の利用方法の体験も兼ねつつ、昼食を取って少し一息ついた。解散後もまだ30分くらいあったので、自分は車から、前夜に机上の道具類をすべて放り込んだ買い物かごを回収。それを持って自席に戻ると、PCと資料だけのまっさらな机の上に、文房具や机上台、USBキーボード、ワイヤレスマウスなど、使い慣れた道具一式を次々と設置。自分が昔考案した机術に則って、またたく間に「コクピット」を復元したのだった。道具・文房具をすべて自腹で購入したものであるがゆえになせる技であった。座り心地のよくない椅子も、いずれ私物を買ってチェンジしたいと思った。そんなことをしているうちに昼休みは終わり、午後の業務に突入。午後は、所長の案内で、外部の関係機関への挨拶回りに行くことになった。真新しい名刺を持って、未だしっくりこない自分の役職名(○○係長)だけひとまず暗記。公用車で十数か所の関係先を回った。挨拶を受ける側になったことは過去に何度となくあれど、する側になるのは初めてのこと。今どきこんなことをするんだ、という驚きもあったし、こんなアナログなことを業務の中で行うことへの違和感もあった。ただ、晴天の下で屋外を移動するのは幾分か気が紛れたし、地元の人間でも初めて入る施設、場所をよく知らなかった施設を色々と知れたので、いい経験になった。何より、新任・転任職員同士で会話する時間が持てて親睦を図れたのがよかった。このご時世なので、歓迎会も開催しないだろう(過去2年以上、職場では人数に関係なく飲食を伴ういかなる会も開催されなかった)し、全体で20人ほどの少人数の組織とは言え、業務の中だけでは、なかなかすぐに全員と親しくなれるものではないだろう。そんな中で、挨拶回りの傍ら、こうした時間を持てたのは貴重だったと思う。そんなこんなで、施設に戻ったのは定時の17時直前で、すぐに勤務時間が終了。前任者(=自分のやっていた仕事の後任者でもある)が残していった書類や、決裁中の文書の山が気掛かりながらも、「今日は疲れたでしょう」と仰る所長に促され、残業はせずに退勤したのだった。

 

というわけで、新天地への着任初日は、文字どおり転職に等しい激変と衝撃に見舞われ、仕事らしい仕事は何もしないまま、それでいてぐったり疲れた状態で終了したのだった。スーツを上着・ネクタイセットで丸一日着ていたことによる肉体疲労もあるが、何より初めての環境で、はじめましての人たちに囲まれて、緊張しっぱなしで気疲れしたのが大きかった。それはすなわち、自分がこれまでの職場で、いかに気を遣わずに、素の自分をさらけ出して、勝手気ままに働くことができていたかという裏返しでもあった。その境地に早くたどり着けるように良好な人間関係の構築に腐心しつつ、組織の目的や目標、担当業務の実務内容や課題を正しく理解し、何より係長としてチームをまとめ、チームが成果を上げられるようきちんとマネジメントをしていけるようにすること。この3点を当面の大きな目標として、これからがんばっていきたいと思う。ただし、気を張って心に負荷がかかりすぎないように、くれぐれも気をつけながら。

 

※これから、新しい職場で出合ったこと、感じたこと、考えたことなどを、「新職場百考」というシリーズ企画として記事にしていきたいと思う。初回は丁寧に書いたたので執筆に時間がかかったが、タイムリーさが大事なので、今後は1記事1テーマで、簡潔にさくっと書き上げることを目指すつもりだ。果たして「100」まで続くのか、あるいはそれを超えるのか、自分でも楽しみにしているところである。

(200分)

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職場の4月1日付け人事異動が、18日までに解禁された。他機関との転入出、課長級と何段階かに日を分けて徐々に解禁されていたところ、この日ようやく副課長級以下の全ての異動がオープンになったのだった。そしてその中に、自分の名前もあった。配置先は、他機関の青少年交流体験施設の、係長職だった。

 

異動は採用されてからの12年で5回目だから、次が通算6つ目の配属先となる。財務課契約担当の仕事は3年の節目を迎え、そろそろ潮時だと感じていたし、異動対象となることそれ自体には驚きも抵抗感もなかった。ただ、自分にとって大きなインパクトだったのは、今回の異動が2つの「初めて」を含んでいたことだった。

 

第一の衝撃は、「初めての他機関への出向」であることだ。今まで同じ職場で気の知れた長年の顔なじみの同僚たちとずっと過ごしてきたのが、4月からはほとんどが初対面の人たちばかりの外の組織に放り出されることになる。しかも、通勤距離は今の3倍で、自宅からの方向は今の正反対だから、今の通勤ルートの途中にある保育園への朝の送りは時間的にほぼ無理で、迎えには行けるにしても一度自宅を通り過ぎてから引き返す形になる。仕事の内容も、一人で考えて黙々とパソコンと向き合うタイプのデスクワーク中心から、様々な人と関わりながら口と手足を動かしてイベントを企画運営するというフットワークが必要な業務にがらりと変わる。何より大きな変化は、宿泊体験施設という性格上、勤務体系が土日祝休みではない、いわゆるシフト制になることだ。月に2回ほどは宿直もしなければならない。過去の出向経験者には不定休に体が慣れなかったという人もいるし、自分が土日付きっきりで子供の世話をしている今の生活スタイルは見直しが不可避となる。つまり、在籍出向という身分ではあるが、事実上の「転職」に等しい大転換を求められることになるのである。自分はこうした事情を経験者から聞かされてよく知っていたので、2月上旬の金曜日に人事から最初に出向の打診を受けたときは、自分の気持ちはさておき「妻が許すはずがない」とまず思った。実際、家に帰って妻に相談した際は質問攻めに遭った末にカンカンに怒られ、「無理」と突き返されて、一度は断ろうと決心したのだった。しかし、土日の間に妻の心境に変化があったらしく、日曜の夜になって、「行って来なさい」と態度が一変したのだった。その理由は今も謎だが、自分がこれまで家事育児の中心を担ってきたこと、今後も可能な限りそれを続けるつもりであることが評価されたのかもしれない。とにかく妻の了承を得たことで、週明け月曜に応諾の返答をし、今回の異動につながったのだった。

 

第二の衝撃は、「初めて係長に昇任すること」だった。出向に合わせて、今の平職員から、係長に昇任することになったのだが、34才で係長というのは、職場の現在の慣例からは2年早く、さらに10年くらい前だと40才を過ぎるのが目安だったので、年功序列を重んじる風土からするとかなり異例だった。しかも、主任職をスキップしての二階級特進だから、「逝って来い」という悪いジョークに見えなくもない。同い年の同僚はもちろん、先輩さえも飛び越す形になったので、職場に少なからず動揺を与える心配もあった。自分としては係長職を務める能力はすでにあると自信を持っていた(むしろ34才でも遅すぎると思っていた)が、周りからもそう評価されているとは限らないし、上層部がどう考えて自分を昇任させたのか理由はわからない。また、今の職場とは全く違う仕事だから、いくら係長を見据えて仕事をしてきたとはいえ、今までの経験がそのまま武器になるとは限らない。したがって、初めての職場で、初めての係長として、十分に活躍ができるかどうか、今の職場からも、次の職場からも、(おそらく不安混じりの)注目を浴びながらの新たなスタートになることが予想された。

 

そんな前途多難が見込まれる航海に旅立つことを決めた理由は、「次のキャリアへのステップになる」と考えたからだ。係長になることもそうだし、勤務先が変わることもそう。今までとは全く違う仕事をやってみるのは、自分を試すチャンスだと思ったのだ。またそこには、自分がこれまで大原則としてきた「育児と仕事の両立」への継続という挑戦も、当然含まれる。本当の転職なら、馴染めなければ退職するしかないが、出向だからいざというときは元の職場に戻れるし、どのみち3年限りの仕事である。実際途中で帰るつもりはもちろんないが、気持ちとしてはそう考えたほうが気楽に臨めてポジティブになれるというものだ。そんなチャンスをみすみす見送る手はないと思ったし、妻も応援してくれたので、思い切ってチャレンジすることにしたのだった。要するに、理屈は後回しで、「心の声」に従ったのである。

 

そんな今の自分に贈る応援歌は以下の3曲。そして、大学時代の友人K氏の言葉「Take It Easy!」を自分に言い聞かせて、変わることを恐れず、道は確かに続いていると信じて、新しい場所でうまくやっていきたいと思う。

 

坂本真綾「カザミドリ」

坂本真綾「NO FEAR/あいすること」

Perfumeワンルーム・ディスコ 

(90分)