ある日のテーマ曲 その4

公休日の月曜の朝、子供を保育園に送った帰り道、自販機で缶コーヒーを買おうと車を停めた公園で、何の気なしに思い立ち、園内を少し散歩した。辺り一面に雪が積もり、人影もない園内の静けさの中に溶け込み、青空を背景に白銀輝く山々を遠目に眺めながら、自分の中で「無限と有限」、「永遠と一瞬」が交錯するような不思議な感覚が湧き上がってくるのを感じた。

ピンと張り詰めた空気の冷たさ、眩しく光る山々の神々しい美しさ、それを感じることができる、生きている今この時の尊さと、かけがえのなさ・・・。どこにでもありふれていそうで、またいつでも出逢えそうで、けれどももしかしたら、これが人生最後になるかもしれない、取り返しのつかないこの一瞬。人生は最初で最後の一瞬の連続であり、その一瞬をつかまえて心の奥底に刻み付け、想いに耽ることこそが、人が有限の時間の理を抜け出して永遠の世界に触れる方法なのかもしれない・・・。そんなことを考えたのだった。

 

その帰り道、公園で感じた心の「揺れ」が車内で増幅し、冷え切っていた心の氷を溶かしていった。自宅に着くと、とうとう感情があふれ出し、堰を切ったように涙がボロボロと落ちて止まらなくなったそのとき、カーステレオから流れていたテーマ曲。

 

BEGIN 見上げてごらん夜の星を(「ふたつのスピカ サウンドトラック」より)

 

あまりにも長く、自分の心の自由を押さえつけ過ぎてしまったのかもしれない。感情にふたをしすぎてしまっていたのかもしれない。心の痛みを我慢することを当たり前のように続けてきたことで、無感情、無欲求、低反応が自分の中でデフォルトのようになってしまっていた。でも、それはやはり無理があった。何をしても楽しめない、何も欲しいものがない、昔から大切にしていたものをもう価値がないからと逡巡もなく手放す。それらは、自分の本当の心に嘘をつき、これまでに自分が積み上げてきた生き方を軽視し、未来の自分に対しても不誠実を働く行為だった。あふれた涙は、その限界がたたった反動だった。心を殺して生きるのは、半分死んでいるのと同じだ。波風無く平静を装って心を早死にさせるより、人生が短く終わったとしても波に正面から立ち向かって戦ったほうが、生きていると言えるはずだ。途方もなく大変なことだが、自分の前に立ちはだかる人生の辛さと苦しさに、今ここで改めて、正面から向き合わないといけない。

(70分)