プライバシーの消失

自分には妻に対してプライバシーを主張する権利がない、といったら驚かれるだろうか。自分の個人情報・・・日記、手帳、写真、人間関係等は、全て妻のチェック対象となっており、ケータイやスマホの中身も、妻が好きなときに自由に閲覧できる状態に保たれているのである。スマホは画面ロックをかけてあるが、自分の手元にあるときは自動で解除される特殊な設定になっており、家にいるときはその状態から妻が勝手に閲覧できるという訳だ。このブログも、妻のスマホチェックの際に「はてなブログ」のアプリを操作されたことをきっかけに、随分と前から妻の知るところとなっている。これらを妻に見せることを拒むのは、実態はどうあれ、外形として、見られて困るような何かがある、ということを意味することになってしまう。だから、いかなる場合でも抵抗は厳禁である。妻と一緒にいるときにケータイ、スマホを理由もなく操作することも、何か秘密でもあるのかとイメージさせる恐れがあるほか、家族と過ごすよりスマホいじりのほうが大事なのかという誤解を招く懸念もあるため、同様に厳禁であり、特にアパートでは基本的にスマホは使わないことにしている。

 

 

つまり、自分は妻に対して一切の秘密は持てないし、秘密が必要になるような状況、説明のつかないはそもそも作ってはならない状況下に置かれているのである。一方で、妻のプライバシー権は厳重に確保されており、自分が妻のスマホをいじるなどということは言語道断とされている。また、妻が自分と一緒にいるときにスマホをいじることは何ら問題とはならないし、言動から察するに某無料マンガアプリを相当長時間利用しているようだが、仮にそれを指摘したところで妻の不興を買う以外の効果はない。

 

 

一見すると理不尽にも思えるかもしれないし、人によっては「夫にも人権を!」と抵抗したくなることがあるかもしれない。だが自分は、この状況に対して不満はない。もちろん、何でもかんでも見られるのは、決して自らすすんで作った状況ではないし、勘違いで誤解されることもあるから「はい喜んで!」という気分ではないことがあるのも事実だが、それを憤慨することは決してない。なぜなら、昔から「お天道様が見ている」と思って、ここにいない第三者を意識して行動をしてきたし、記録も誰かに読まれることをある程度想定して作ってきたからだ。その行動原則に沿っている限り、「誰にも知られてはならない」という後ろめたい感情を伴う行動は起きることはない。だから、仮に妻以外の誰かが同じように自分の個人情報をのぞいてきたとしても、多少の恥ずかしさこそあれど、秘匿しなければならないようなことはまずないと言える。だからこそ、このブログに赤裸々に、かつ堂々と、これまで様々なことを書き残すことができたのだ。こういう考え方が、自分の人生を貫く軸としてこれまで積み重ねられ、継続されてきたということは、自分にとって一つの財産といっても過言ではないだろう。

 

 

とはいえ、おそらくどこの家庭も、状況としては似たようなものなのではないだろうか。そして、そこで中途半端に秘密を作ろうとしたりするから、色んなトラブルに発展するのではないだろうか。妻をお天道様だと思っていれば、隠そうとすることの無意味さ、不可能さは容易に理解できると思うのだが。世の中の旦那さんたちが、プライバシーを消失することによるある種の「心の自由」を享受できるようになって欲しいと、勝手ながら願っている。

 

(50分)