抱負2024

2024年が始まり、はや半月が過ぎた。自分の勤務先では、冬季の積雪を利用して雪遊びやスキー目的で宿泊する団体が多く、仕事は繁忙期を迎えている。つい一週間ほど前までは、真冬の1月だというのに施設周辺にほぼ雪がなく、スキー場でさえブッシュや土が露出するほどの見るも無惨な状況だったのだが、この1週間でまとまった降雪があり、敷地内もようやく1mほどまで積雪が増えた。スーパーエルニーニョ現象で記録的な暖冬と言われ、絶望的な気分に陥っていたこともあり、一晩で50cm積もったときには、雪が「資源」どころか「宝」にまで思えたほどだった。まさに天から届いた「恵みの雪」だった。雪遊びの団体にどうやってソリコースを提供するか、雪不足でキャンセルを申し出てくる団体をどう説得するかといった少雪対策で年末からヤキモキしっぱなしで、年末年始も気が休まらなかったので、その心配が目の前から消えたことにはひとまずホッとしている。

 

↑スキーの初滑りは1月の三連休に行ったAKAKANだった。

ただそれでも、あの日以来、つかみどころのない漠然とした悲しみ、この世界が無常であることへのやりきれなさのようなものが、心の中にはずっと漂い続けている。1月1日に起きた能登半島の震災のことだ。2011年に東日本大震災が起きたときは、津波やその後の原発事故の映像で世界観がひっくり返るほどの衝撃を受けたのを覚えているが、今回はそのときよりもさらに「痛み」を感じるし、報道を通じて被災した方の姿や言葉に触れるたびに心が締め付けられるような思いになる。それは、被災地が日本海側の北陸地方で、自分の住む地域に地理的に近いこと、そして震災当日の16時10分の地震の「直前」まで、震源となった能登地方のまさにその場に自分がにいたという事実に起因している。

 

2024年1月1日、自分は家族とともに宿泊していた輪島市のホテルで新年の朝を迎えていた。恒例となった大晦日からの家族旅行で、泊まっていたのは海沿いの高台にあるホテルだった。チェックアウトした後は、車で七尾湾沿いを能登島を横目に眺めながらドライブし、七尾市内の神社で初詣をした。そして、12時前に帰途に就いて、帰宅したのが15時半ごろ。それからわずか30分ほどで、大地震が発生し、自宅も震度5強の激しい地震に襲われて30秒ほど揺れ続けた。点きっぱなしだったテレビでは、ついさっきまでいた場所や建物が壊れ、走っていた道路が崩壊し、海沿いに津波が押し寄せる光景が、ニュース映像で次々と目に飛び込んできた。もし、日程をもっと遅らせてゆっくりしていたら、もし、地震があと半日早く起きていたら、自分も家族も無事では済まなかったかもしれない・・・。そう考えると、背筋が凍るような思いがした。まさに紙一重の差の出来事だった。実際、我が家が泊まったホテルは、地震の被害を受けて、復旧することなくそのまま「営業終了」(廃業)になってしまった。自分たちが朝まで泊まった「最後の客」になった訳で、家族旅行の思い出の宿が姿を消してしまったのは残念でならない。また、直接地震の被害を受けていない自分の勤務先でも、地震への不安を理由とする宿泊のキャンセルが増えていて、地震は仕事にも暗い影を落としている。

 

そんな今回の震災を目にしてつくづく思ったのは、「当たり前ではない日常を大切にすること」と、「今日が『人生最後の日』のつもりで、1日1日を丁寧に過ごすこと」である。自分が健康であること、温かい部屋で過ごせること、温かいお風呂に毎日入れること、ベッドで眠れること、家族がみな元気であることが、決して当たり前ではなく、どれほどかけがえのない特別なことなのか・・・。今日という1日を一つの人生だと思って過ごし、感情が揺れ動いた一瞬を永遠のように深く噛みしめて自分と向き合うことが、どれだけ大切なことなのか・・・。そのことに、改めて気づかされたのだ。だから今年は、よくある1年の抱負などというものは立てず、「毎日を誠実に、全力で生ききる」ということだけを目標にすることにしたのだった。今年がどんな年であろうと、たとえ自分が1年後に生きていなくても、今日が充実していればそれでいい、それだけでいい人生だったと満足できる・・・。そんな心を忘れずに、毎日をただ、駆け抜けていきたいと思っている。

 

(120分)