子供:登校拒否(未遂)

昨日の朝、子供の精神的な発達を強く実感する出来事があった。起床してリビングに出てきた子供が、「今日は学校に行きたくない。学校を休みたい。」と訴えてきたのである。理由は、「夜よく眠れなくて、眠いから」だという。

 

その瞬間、2つの考えが頭を巡った。1つは、大人・親の考えの決めつけ・押しつけはしたくないということ。自分も教育業の末端に携わっている職業柄、不登校の児童生徒数が全国で30万人以上に上ること、中学校だとクラスに1~2人の割合で存在していることは知っていた。そして、自分が子供だった時代と違い、今は学校に行かせることが唯一の選択肢ではなく、「学校に行くことができない子供の『居場所』を作ること」こそが大切なのだという考え方に接していたし、自分自身もそれを共感を持って理解していた。したがって、「眠いという理由はサボり」とか「とにかく学校に行きなさい」といったステレオタイプなことは言わないようにしようと思った。もう1つ思ったのは、反対に、子供の表面的な言動をそのまま鵜呑みにすると、安易な逃げ道に誘導しかねないということだ。「水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる」という「攻殻機動隊S.A.C. 2nd GIG」の有名なセリフにもあるように、一度楽な道を知ってしまうと、例え険しい道を進む力があったとしても、楽な方にたやすく流されてしまうのが人間の性(サガ)だ。「いいよいいよ、休んで大丈夫だよ」というのは、場合によっては本人の堕落を後押しするだけにしかならない可能性もある。いくら一般的に「学校に行くことだけが正解ではない」「学びのスタイルも多様化してきている」と言われていても、だからといって不登校の子供を積極的に増産していいという訳では当然無いし、不登校の子供を抱える親の悩みの深さは想像に余りある。もしこの日がその最初の一歩になるとしたら、自分の対応の責任は重大だと思った。妻は本人に理由を尋ねつつも、静観の様子だったので、自分が子供と向き合うことになった。

 

まず、一番手っ取り早い方法として試したのは、「アメとムチ」の「懐柔策」だった。「眠いからという理由で学校に行かない子には、サンタさんは二度と来ないよ」とか「学校に行けたら、今日は児童クラブ(本人はあまり好きではない)に行かずに15時にお迎えに行くよ」といった具合だ。いわゆる「馬にニンジン」戦略である。しかし、子供も気勢を上げて「学校休む!」を連呼していて、こんな方法が通じる状況ではなく失敗した。

 

次にやってみたのは、「理由を何度も質問する」ことだった。「何で昨日はよく眠れなかったの」「学校に行きたくないのは他に理由があるの」といったことを少しずつ内容を変えて何回も尋ね、子供の本心を探ると同時に、本人にも自分の気持ちや状態を自覚させるように働きかけようと試みた。すると、眠れなかった理由は「寝ている間に布団がズレて、布団を直すために何度も目が覚めたから」で、「学校の友人関係や、授業がイヤだという訳ではない」ということを、本人の口から引き出すことができた。ここで「友達にいじめられた」「授業がよく分からなくて勉強に集中できない」という話が出てきたら、登校させないことも考えようと思っていたが、そのような背景はなさそうだということが分かってきた。

 

実際には欠席連絡もウェブフォームからの申請だが、子供には電話と言ったので、子供は「学校に電話しろ!」と言って自分に殴りかかってきて、大騒ぎし大暴れした。そんな中で「学校に行きなさい」と断固たる態度を取りつつ、質問を繰り返すことおよそ20分、子供も落ち着いてきて、お腹が減っていることに気づいたのか、テーブルに就いて、用意してあった朝食を食べ始めた。すると、「朝、学校に車で送ってくれるなら」「児童クラブを休んでいいなら」「新しい冬物のジャンパーを買ってくれるなら」、学校に行くと口にした。いずれも自分が提示した条件だったので、「わかった」と答えると、態度を一変させ、おとなしくいつもどおりに登校の身支度を始めたのだった。こうして、ひとまず今回の登校拒否は未遂に終わったのだった。

 

今回の件を通じて、「いつかは起こる」と思っていることは「いつでも起こりうる」と捉え直した方がよいのだと身をもって感じた。不登校の増加はニュースでたびたび目にしていたので、我が子のケースだったらと時々考えていたことがこの日の対応に結びついた。ほかのニュースも同じ視点で、自分ごととしてシミュレーションすることが大切だろう。そして、「パパも水曜日なのに仕事を休んでいる」(シフト制なのでその分土日も仕事していると反論したが)といったように「根拠を持って親に堂々と反対意見を主張する」という子供の心理的な発達をまざまざと見せつけられたと同時に、子供が昔のことを結構覚えていることにも驚かされた。学校を休むということを訴える過程で、「保育園の時に土曜日なのに園に1日預けられて、パパとママはお出かけしていた。寂しかった。そのときの分、今日休む!」と声高に主張していたのだ。これは遠方でのクラシックのコンサートが未就学児不可だったので、仕方なく預けた日のことだったのだが、よく覚えているものだと感心するとともに、子供はそういうふうに受け止めていたのかと妻共々ドキッとさせられた。子供が毎日楽しく保育園に通っているからといって、土曜日に預けるのも同じというわけではなかったことを知って、少し反省したのだった。

 

こういった子供の成長を間近で感じるのは、親として試練であると同時に大きな喜びでもある。今回のようなバトルにいつエンカウントするとも限らないので、自分も日常的なシミュレーションで備えておくとしよう。

 

(70分)

祭り

「朋(とも)あり遠方より来たる、また楽しからずや」といえば、2500年以上の昔に中国の偉人・孔子が語ったという「論語」の一節だ。「同じ学問を志した友」との再会・・・一昨日の出来事は、まさにこの言葉のとおり、心の底からうれしく、他では味わえないほど楽しいものだった。

 

10月19日(土)、10時40分。待ち合わせ場所にしていたコンビニの駐車場に、彼らの乗る車が到着した。中から現れたのは、Y氏とK氏の二人。同じ大学の同級生だった友人で、富山からはるばる遊びにきてくれたのだった。彼らと会うのは、2018年秋のK氏の結婚式のとき以来で、実に丸6年ぶり。小学生1年生が中学校に進学するほどの長いブランクだったが、彼らの姿や立ち居振る舞いは往時のままで、「久しぶり!今日は来てくれてありがとう!」と声をかけるなり、時間の壁は一瞬で消え去った。彼らが携えてきた大量の富山土産にまず驚き、その中にあったFFグッズ(天野喜孝氏のファンタジーアート展で昨年入手したというファイナルファンタジーの原画のクリアファイル等)にとりわけ感激したのだった。そして、彼らの車を別の駐車場に移動してもらい、自分の車に乗って市内観光に出かけた。

 

今回の来訪は、昨年末に自分がK氏に持ちかけたことからスタートした。当時は「1~2月にスキー場へ行こう」という企画だったが、諸般の事情で一旦延期となり、再度調整の上、秋の企画として実現にこぎつけたのだった。念願叶っての再会だったので、自分も色々と思案し、綿密に計画を立てた。具体的には「古民家を改装した地元産のそば粉を使ったそば屋で昼食→地元の有名なまんじゅうを味見→地元の有名な温泉地で解放感満点の野天風呂で入浴→これまた地元随一の観光名所である道の駅で家族へのお土産を買ってもらう→最後に自宅でど定番の「いたストSP」をプレイ」という、日帰りで半日強の日程にしては詰め込み感大の強行軍だった。「地元ならではの体験を」という自分の熱い思いから、いささか無茶な日程でこのとおりに彼らを連れ回したのだが、「短時間なのにめちゃくちゃ充実してた」「色々調整してくれてありがとう」と評価してくれた。本当は後半、疲れていたに違いないのだが、その心意気がうれしかった。

 

そんなふうに車で往復70kmの大移動もしつつ、飯を食べたりしながら、とにかく色んなことをお互いに話した。6年の空白を埋め、最新情報にアップデートするには、話すべきことに事欠かず、自分も普段の寡黙ぶりからはちょっと考えられないほどのスピードと情報量でマシンガンのように近況と持論を語りまくった。特に彼らの心に刺さったようだったのは、自分が2つの係を1つに統合した係長職をこなすために徹底的に効率化して超スピード重視でタスクを処理していること、家庭が最優先で一切残業できない・しないこと、帰る時間が来たらどんなに中途半端でも仕事を打ち切り、間に合わない恐れがあれば高速道路を使ってでも家路を急ぐこと・・・といった話についてのくだりだった。彼らも奥さんと小さい子供がいて、自分と同じような職場・家庭環境ではあったが、仕事に対する家庭の優先度や緊急度においては若干ギャップがあるようで、自分が早く帰るための工夫と改善に血道を上げている様子を語ると、その徹底ぶりに圧倒されていたようだった。また、「自由な時間が限られるからこそ、短い時間でいくつのタスクをこなせるかが死活的に重要だし、タスク消化こそが最大のストレス解消」という持論に対しては、その後彼らを「連れ回し」て実際にそれを体験してもらった(さらに、計画になかった「実家でPS2を回収」「自分の今の職場である出向先施設を見学」という追加ミッションも挟んだ)ことで、深々と実感してもらえたようで、特にK氏からは「もっと高い給料をもらえないとおかしい」「コンサルタントとかが向いてると思う」など、しきりに賞賛の言葉を受けた。前回に会ったときにも感じたことだが、こうした友人からの「共感」が、自分にとっては最大の喜びであり、日常には不足している癒やしだった。K氏は、人が自覚していないようなちょっとしたよいところを見つけて、それを褒めるのが本当に上手だ。しかも、褒めるときに伴いがちな、いやらしさやわざとらしさは皆無で、ごく自然に最大限の賛辞を送り、相手が「いや、それほどでも」とちょっと恥ずかしくなるくらいに気持ちよくさせてしまう。Y氏は、いつも穏やかな笑みをたたえ、どんなときでもどっしり構えて物事に動じない大物感を漂わせている。そこが一緒にいるときの安心感につながるし、細かい気遣いが周りからの信頼につながっているに違いない。こうした素晴らしい友人たちに会うたび、彼らの人間としての魅力に惹かれるし、学びを得られる。本当にかけがえのない存在だと、改めて深く思った。家庭についての話もたくさんしたが、奥さんが作った料理に対してどう反応するかという話題では、K氏「一口食べたらまずは褒める」自分「同じだが、一口一口が監視されているので、食べ終わるまでリアクションに手を抜かない」Y氏「最初から「ん、これは・・・」と本音を言っちゃうかも」(一同爆笑)といった具合で、とにかく笑いまくったのが記憶に残っている。最後に自宅に帰って、三人でゲームをしていたとき、子供が「ふだん笑わないパパが笑ってる」と口にしてたのがその何よりの証拠だった。

 

今回の日程のトリであり、もはや「お約束」であるPS2ソフト「いたストSP」の何十回目かの対戦は、優勝K氏、2位自分、3位Y氏(4位はCPU)という結果に終わった。今回もアツい戦いが繰り広げられ、また一つ、名勝負の歴史が刻まれたのだった。時刻は18時を過ぎていた。我が家と同じく、彼らも家で家族が待っている。雨が降る中、自宅前を発車する彼らの車を見送り、高密度な1日は幕を閉じた。楽しい時間が終わる名残惜しさよりも、会えた喜びと、次回の再会への期待感が勝る、すがすがしい別れだった。自分にとってこの日は、年に一度あるかないかのハレの日であり、いわば「祭り」だった。祭りはもちろん本番が楽しいものだが、準備をしているときもまた楽しい時間だ。次の祭りの日を待っているのだと思えば、毎日はきっと明るく過ごせるだろう。

 

(90分)

ほぼ日手帳2025

今年、2024年の手帳から、それまで15年以上使い続けてきた「ほぼ日手帳オリジナル」に代わり、「ほぼ日手帳weeks」を使い始めた。オリジナルと比較すると、weeksの厚みは半分くらいで、横幅は少し狭く、その分縦幅は少し長い。表紙・裏表紙がちょっとした絵本なみに固くしっかりしているので、手に持った状態での書き込みもしやすい。オリジナルとは逆にカバーをかけないで使うのが基本であることもあって、とにかくスリムでコンパクト。カバンの中や机上でも全くかさばらず場所を取らない。それでいて、気まぐれで週間ページにその日感じたことや、やったことを書いたり、シールや映画等の半券を貼ったり、月間カレンダーにその月の主要な出来事を記入したり、もらった・あげたプレゼントのリストを作ったり・・・というこれまでの手帳の使い方・機能は全く損なうことなく継続できている。約9ヶ月使ってみて感じたのは、「今の自分には、オリジナルよりもweeksのほうがしっくりくる」ということだった。手帳はいつも通勤時に携帯する仕事カバンに入れているのだが、今年は「経過措置」として、昨年のオリジナルも一緒に持ち歩くようにしていた。オリジナルのカバーに取付けた様々な文房具や「秘密道具」(ハサミ、ミラー、両面テープ、切手、名刺、メモ帳などなど)を使いたくなることがあるかもしれないと思ったからだ。しかし、それらを使うことはほとんど一度もなかった。カバーがパンパンになるほど詰め込む必要は全然問題なかったのだ。自分がいかに「もったいながり」で、常に余計なものを持ち続けているのかという事実をまざまざと突きつけられたのは、「転ばぬ先の杖」を是とする自分にとっては小さからぬ衝撃だった。そして、weeksに70ページもある方眼ノートは、現時点でたった1ページしか使っていないのである・・・。

 

そういう訳で、もうオリジナルに戻ることは叶わなそうな自分は、2025年もweeksを使うことにした。2024年と同じく、坂本真綾仕様の1月はじまり版である。2025年版は、カラーの表紙にマーヤが登場しているのがポイントで、これまでにも増して、マーヤをより身近に感じながら使うことができそうだ。楽天ブックスで先ほど注文したところ、今週末には届く予定とのことだった。すぐに開封するか、年末まで待つか、悩む時間もまた楽しい。

 

そういえば、今日はもう一つ、特筆すべき出来事があった。「ヒストリエ12巻」が刊行されていたことを「知った」ことである。すでに三ヶ月以上前の今年6月には刊行されていたのだが、今日たまたまAmazonヒストリエと検索するまで全く気づいていなかった。前巻が出たのがいつだったか思い出せず、「10年前だったっけ?」と思って調べたら、実際には5年前の2019年7月だった。エヴァQの後、シン・エヴァが公開されるまでの時間(約8年半)がそうだったように、本作品も自分の中では、もはや5年だろうが10年だろうが大差なく感じるほど、日常とは別次元の時間軸の中で「続きを待っていることすら忘れている」コールドスリープ状態に陥っていた。そのため、寝起きの頭にハンマーを振り下ろされたかのごとき衝撃を受けたのだった。これもAmazonですぐさま注文したが、どうやら今回が事実上の最終巻らしい、物語にも一区切りがついたというコメントもあったし、岩明先生の年齢と体調、これまでの刊行ペースを考えると、いよいよ完結まで見届けるという自分の願いを叶えるのは難しくなってきたように思えてならない。これも果たして、届いたらすぐ読むべきか、神棚か仏壇にでも恭しく祀って、自分の心身が古代地中海世界にどっぷり浸かれる状態に至るまで「時が満ちる」のを待つべきか、悩ましいところではある。だが、そんなふうにもったいぶっておいた挙げ句、うっかり何かの弾みで続きを読まずにぽっくり命を落としたら、それこそ死んでも死にきれない。ということで、少なくともヒストリエ12巻は届き次第、すぐに読むことにする。ただし、ストーリーを思い出すために、もう一度、1巻から遡って読み直す必要があるのがネックだが・・・。

(60分)

シン・職場百考(7)~吹き荒れる内部調整の嵐

「観測史上最も暑い」と報道されていた今年の夏も、ようやく暑さが一段落したようだ。雨が降ったこともあり、今日の市内の平地の日中の最高気温は25度。猛暑日を観測した太平洋側とは別世界と言ってよいほどの気温の低さだった。23時現在の気温は更に低下して22度で、窓を開けているとひんやりとした風が通り抜けていき心地がよい。やはり、同じ冷たい風でも、エアコンから出てくるものより窓から流れ込んでくるほうが自分の体には合っているようだ。

 

報道されている観測結果とは裏腹に、不思議なことに、今年の夏は例年ほど暑さが酷くなかったような印象を受けている。天気予報や猛暑の報道を見ていても、太平洋側と比べて日本海側のほうが5度ほど低い日が結構あったし、標高約600mの山中にある職場は相変わらず冷房がなく暑かったものの、8月の日中でも「何だか今日は涼しいな」と感じる日が昨年、一昨年に比べて明らかに多かった。もちろん、少し動けば汗が噴き出たから暑かったのには間違いないし、事務室内の温度が30度前後になる厳しいコンディションの日も何日かあったのだが、例年との比較としては身体的な負担が小さく感じたというのが正確な表現になるだろうか。もしかすると職場環境に体が順応して、いい意味で暑さに鈍感になった、ということなのかもしれない。

 

ただ、係が変わって5ヶ月経っても、総務と管理という2つの係を掛け持ちする仕事の煩雑さにはまだまだ慣れない。自分が所掌する業務の範囲は実に多岐にわたる。管理の仕事は、設備の故障や不具合に、専門知識もない中で体当たりで挑戦している。例えば、浴室のオートストップ栓のシャワーが3分経っても止まらない不具合をカランの取説を見ながら30秒で止まるように直したり、道路に出来た穴をアスファルトの補修材を使って埋め直したり、屋外の側溝の破損したグレーチングの代替品を探しに休日にホームセンターを物色したりといった具合だ。いずれも、業者に頼んで修繕してもらうお金がないので、試行錯誤のDIYで対応を完了したケースである。そうした現場作業に加え、消防署を呼んでの避難訓練を計画・実施したり、食堂契約の仕様書作成から企画競争公募、契約締結までを担当したり、支払伝票の勘定科目をチェックしたりといった、これまで大学職員として培った知識・経験や調整力を発揮する仕事ももちろん多くある。また、総務の仕事では、外部から有識者を呼んでの会議を開催したり、各種調査に回答したりといった典型的な総務業務のほか、非常勤職員の募集と採用面接の面接官、共済・社保手続き、給与のチェックなどの人事業務も大きなウェートを占める。本当に幅広く色んなことをやっていて、大学で言えば、総務課と人事課と施設課と財務課と経営企画課の係長と課長を全部兼務しているような状況だ。勉強になるところもあるが、次々と色んな案件・相談・トラブルが舞い込むので、落ち着く暇が全くなく、常に走りっぱなしのような状態が続いている。係員が起案した原議書でも、次長・所長の確認で疑問点があれば、まず担当係長の自分に質問が来るから、説明できるよう内容をきちんと理解していないといけない。もちろん、誤りがあれば自分の責任である。となると、起案文書や伝票も隅から隅まで目を通さないわけにはいかず、このチェック作業にも時間がかかる。2日も休むと2つある決裁箱が山盛りになるので、書類を回して空にするまでに午前半日を丸々費やすこともままある。

せっかく自然に囲まれた職場で、3年限りの出向に来ているのに、なんで大学と同じようなデスクワークに明け暮れているのだろう。もっと、屋外の草刈りといった整備作業とか、利用者と関わる業務とか、外部のイベントへのブース出展とか、「今の職場でしかできない仕事」をしたいのに・・・。そんなフラストレーションは募るばかりだ。その状況に拍車をかけているのが、今年度に入ってから次々と降りかかってくる、本部からの回答案件、いわゆる「内部調整」の仕事である。東京にある本部は全国20箇所以上の地方施設を束ねており、各施設に様々な調査や指示を出している。その件数が昨年度までより増えているのみならず、定型・定例ではないイレギュラーな案件も増えているのだ。一つ一つを説明することはここでは避けるが、最も大きな問題として「経費節減のための業務の見直し」と「収入増のための利用者獲得」という2つのテーマがあり、これらに対処するために新たな仕事がどんどん降ってくる状況なのである。しかもこれらは、お金がない状況を何とか乗り切るために、今までやってきたことの一部を停止したり、利用者に新たな負担を求めたりといった、どちらかというと後ろ向きな手段を執らざるを得ない結論に至る案件がほとんどで、やっていて虚しさや徒労感にさいなまれることばかり。以前、何かで読んだ記事に「内部調整業務が多い会社ほど、組織の硬直化と衰退が進んでいる」といったことが書かれていたが、まさにそうした状況にまっしぐらに突き進んでいるように思えてならず、ため息が出てくる。「組織は頭から腐る」という言葉も脳裏を過る。子供たちのための仕事をすることが目的の組織のはずなのに、微々たる経費を削るために内部でああでもないこうでもないと議論や検討をすることに膨大な労力が投じられ、結果は子供たちの幸せに全くつながっていない。組織を存続させることは確かに非常に重要な問題だが、自分の目には、今やっていることがヘビが自分の尻尾をかじって飢えを凌いでいる図に見えて仕方なく、遠からぬ将来限界に至るのは避けられないだろうと感じている。

 

幸か不幸か、内部調整は大学で散々経験してきたので、仕事としては割と得意な分野ではある。ただ、上述の理由で、決して楽しくはないので、気持ちがどうにもならなくなったときは、刈り払い機を装備して小1時間ほど森の中の草刈りに没頭して鬱憤を払いのけている。夏が過ぎれば、短い秋が来て、直に長い冬が来る。冬になっても内部調整ばかりなら、今度は雪かきで鬱憤を晴らすことになるだろうか。どうせなら、この冬こそは豪雪地帯らしい量の積雪になり、手押し除雪機での除雪に明け暮れてみたいものである。それこそ、「今の職場でしかできない仕事」というものだ。

 

(70分)

何もしない時間と、ウェルビーイング

「頭カラッポの方が 夢詰め込める」・・・と言えば、30年以上前に放送されていたアニメ「ドラゴンボールZ」のOP曲「CHA-LA HEAD-CHA-LA」のサビの有名なフレーズである。「頭カラッポ」とは、すなわち雑念やタスクや心配事が頭の中で常にグルグルしていたり、「○○は××であらねばならない」とか「○○はすべきではない」といった固定観念や思い込みに囚われていたりすることの対極の状態を指している・・・と自分は解釈している。何物にも囚われず、ありのままに、まっさらな心でいること、あるいはその心境で目の前のことにまっすぐに向き合えることの尊さ・・・。それは、坂本真綾の楽曲「ポケットを空にして」の歌詞にも通底する普遍的な哲学だと思う。年を重ねれば重ねるほど、「何も考えない」時間の大切さと、それを実践する難しさを、ひしひしと感じるようになってきた。

 

日常のことを何も考えない時間を作ることがなぜ大切なのか。それは、「自分が本当にしたいこと、望んでいることは何なのか」に気づくためには、日常の喧噪から一旦、身も心もエスケープする必要があるからだ。社会的な肩書きや役割から解放され、しがらみから切り離されて、「ただの自分」でいるときに、初めてそれは心の水面の上に浮かび上がってくる。まるで深海の奥底から現れる潜水艦のように、様々な事情で抑圧し、忘れかけていたことが、長い眠りから覚めて再び姿を見せるのだ。「そうだ、自分はこれが好きだった」「あれをやってみたいと思っていた」「もう一度、あのときのワクワクする気持ちを感じてみたい」と気づいたとき、燻っていた心の暖炉に再び情熱の炎が燃え上がることになる。「自己の再発見」こそが、ウェルビーイング(=よい状態で生きること)をより高めることにつながるのだ。人生は永遠ではなく、今日終わるかもしれない儚いものだ。だからこそ、情熱をたぎらせ、それを行動に移すなら、「鉄は熱いうちに打て」であり、「思い立ったが吉日」である。「今日が人生最後の日だったら」、「もしこれが人生最後の○○だったら」と考えて、今の自分の気持ちや、今この時間を大切にすることは、確実に人生をより豊かなものに変える力となると思う。

 

よりよく生きるために、自分の本心と向き合うきっかけになる「目的を持たない時間」は、実は日常の中にたくさん存在している。駅での電車待ちの時間、電車に乗っている時間、待ち合わせの場所に早く着いて相手を待っている時間などなど、スキマ時間と呼ばれる時間は多く存在する。しかし、多くの人はそれを、目を閉じたり、眺める雲を見つめたりして、「ただ思索に耽る」ことには使っていない。少しでも暇があればスマホを取り出し、メールやSNSをチェックしたり、動画を見たりして「何かをする」ことに使おうとする。無論、それは悪いことではないし、あらゆる時間を「タスク消化」に充てようと効率化に余念がないという意味では自分も同じである。学びのために読書をするのなら、それは素晴らしいことだ。ただ、そうして時間の空白を埋めようとすることに余念がないことが、本当に自分のためにつながっているのかについては、一度再考する余地があると思う。最近よく聞く「タイパ」意識だが、それが人生をどのように豊かにしているのか、明確に自分の答えを持っている人がどれだけいるのかは疑問である。おそらく、その行動原理は「何となく」が多いであろう。そして、スキマ時間を「埋めたかどうか」で何か大きく人生が変わることは、ほとんどないのではないか。そうであれば、スキマ時間の一部でも「何もしないこと」、そして「自分の内面と向き合うこと」に充ててみてもよいのではないかと、自分は思うのである。

 

別に、スキマ時間を何が何でも埋めなくてもいいじゃないか・・・そう考えるようになってからというもの、少しだけ空を眺めることが多くなった。そして、昔の自分が書いた記録や文章を掘り起こして読むことも。そこから、思いが形になって見えてくることもあれば、雲のようにそのまま流れ去っていくこともあるが、そのわずかな時間が「自分は確かに、自分の人生を生きている」という実感、ウェルビーイングの実感をもたらしてくれている。何かをすることに追われ続ける現代だからこそ、何もしない時間がもたらす価値を、いつでもそっと心に留めておきたいと思う。

 

(110分)

晩酌の流儀

テレ東の深夜ドラマ「晩酌の流儀」が面白い。現在、シーズン3が放送中で、Prime Videoで視聴して楽しんでいる。

 

www.tv-tokyo.co.jp

同シリーズを初めて見たのは昨年9月。知ったきっかけは何だったかよく覚えていないが、おそらくPrimeで膨大な作品の中から何を見ようかザッピング(というテレビ由来の言葉が妥当なのか分からないが)しているときに、偶然目に留まったのだと思う。Primeは国内・海外の作品を問わず、ありとあらゆるジャンルのドラマ・映画・アニメ等が見られるが、あまりにも見られる作品が多すぎて目移りするばかりで、逆に「よし、これだ」と強く思える未知のタイトルに出合って実際に視聴にまで至ることは少ない。「見る価値があるのはどれだろう」とひたすら探し続ける時間が長く、それをしている間にアニメの1話を見終えられるのではと感じることもしばしばだ。たぶん、本作も最初は恐る恐る見始めたのだと思うが、第1話から作品に引き込まれ、すぐにドハマリしてしまった。

 

物語としては、「1日の最後に飲むお酒をいかに美味しく飲むことが出来るか」を追求する女性を主人公とした1話完結のグルメドラマで、食事を一人で食べるという点ではドラマ「孤独のグルメ」に似ている(どちらもテレ東だ)。ただ本作は、主人公が「朝からその日の晩酌のお酒(=ビール)のことを考えている」(孤独の主人公は下戸)、「日中は会社の仕事に全力投球するが、晩酌の時間を確保するため毎日きっちり定時で帰る」(孤独は自営業なので割と時間にルーズ)、「退勤後はスポーツジムに通ったり、サウナで汗をかいたり、最初の一杯をよりおいしく感じるためにストイックに自分を追い込む」など、「孤独」とは対照的なキャラになっていて、そうした「流儀」の数々にこだわりを持ち、情熱を注ぐ姿が非常に面白い。時間管理の意識の高さという点で、自分が大いに共感できるのもプラス評価のポイントだ。とりわけ際立つのは、基本的に「晩酌の材料をスーパー等で買って、毎回自宅で自炊する」という点で、食材の調達シーン、調理シーンは、飲食店巡りがテーマの「孤独」にはない醍醐味である。中でも最大の見どころは、何といっても主人公の栗山千明がお待ちかねのビールをごくごくと喉に流し込む「飲みっぷり」と、自分で作った料理をおいしそうにほおばる「食べっぷり」だ。栗山千明のあまりにも幸せそうな顔を見ていると、こちらまで何だか幸せな気分になってきて、自然と顔がほころんでしまう。孤独のグルメは最新シリーズまで全話見てきたほど好きな作品だし、登場する料理とモノローグは楽しいのだが、見ていて画面から伝播してくる「幸せ感」は、圧倒的に本作が勝っていると言わざるを得ない。食事のときに見たら主人公に感情移入して自分が食べている料理やお酒も一層おいしく感じられそうだし、そうでないときでも、見ているだけで満腹感と満足感に包まれてしまうほどの魅力たっぷりの飲食シーン。これは本当に何話見ても一向に飽きが来ないし、この味わいは早送りやハイライトで「おいしいところ」だけつまみ食いしようとする昨今の「タイパ重視」の視聴とは全く相容れない、「間」を楽しむ芸術の極致だと言っても過言ではないだろう。自分の時間を中々取れない忙しい人にこそ、この作品の、少なくとも飲食シーンだけは、じっくり堪能して「幸せ」を感じてみて欲しいと願ってやまない。

 

ということで、本作を見て以来、すっかり栗山千明のファンになり、20年以上前の出演作「バトル・ロワイヤル」や「キル・ビル」も昨年初めて観るに至った。若い頃の初々しい演技も素晴らしいが、やはり晩酌を楽しむ大人の女性を演じる今の姿のほうが、自分の心にぐっとくるものがある。シーズン3はまだ1話を見たばかりだが、昨年のときのように一気見するのはもったいない。時間をおいて、少しずつ楽しんでいきたいと思う。

 

(60分)

子供:自転車習得

「これは、人類にとっては小さな一歩だが、一人の人間にとっては大きな飛躍だ」

(ある父親の言葉)

 

説明するまでもなく、これは人類初の月面着陸を果たしたアポロ11号のアームストロング船長の有名な言葉のもじりである。そして、子供が一人で自転車に乗れるようになった瞬間に、自分がとっさに思った言葉であった。それくらいに、自分にとっては、劇的で胸に迫る出来事だった。

 

子供に自転車を買い与えたのは、5才の誕生日を過ぎてしばらくしてからだった。記憶では、自分自身が保育園児だった5~6才の頃に乗れるようになった気がするので、それがきっかけだった。子供は自転車に乗ること自体は楽しんでいたものの、親の思いに反して、なかなか補助輪を外したがらないまま時間が経過し、とうとう保育園を卒園して小学生に。どうしたものかと同僚に相談してみると、キックバイク(ペダルがない二輪車)を使って遊ばせていたら、自転車にもすんなり乗れるようになったという話を複数聞いたので、ペダルを使わず、自転車にまたがった状態で地面を蹴って走る練習をすることにした。補助輪を外したので、最初は子供も怖がり嫌がっていたが、徐々に楽しくなってきたようで、すぐに自分から自転車の練習をすると言うようになった。

 

練習場所には、自宅アパートのすぐ近くの農道を使った。舗装路だが、田んぼの真ん中の一本道なので、死角はなく安全確認も容易にできる。人が通れる程度の細い道と接続しているものの、車にとっては事実上行き止まりになっているため、ほぼ歩行者と自転車しか通らない。まさに、練習に打って付けの道だった。子供の練習とは言え、そこそこのスピードが出る。ほかの歩行者や自転車とぶつからないように声をかけつつ、早歩きでついて行くのは、自分にとっても結構いい運動になった。そうして1回30分程度の練習を5、6回重ねたところ、1回のキックで数メートル先まで行けるようになり、その間の体と車体のふらつきも少なくなって、左右のバランス調整ができるようになってきた。「そろそろ行けるだろう」と思って、サドルを押さえながら押してあげたあと、自分の足でペダルを漕ぐよう指示して手を離してみたところ、そのまますーっと自分で漕いで進み始めたのだった。あまりにもすんなりと、あっけなく、それでいてしっかりとペダルを漕いで走れるようになったものだから、子供のすばらしい成長ぶりに自分も感極まって、思わず冒頭のような言葉を想起するに至った・・・というのが、先月起きた「ごく小規模な事件」の顛末である。今では、自分も自転車に乗り、子供と一緒に数kmのサイクリングをするのが休日の日課になりつつある。

 

今回のような、子供にとって一生に一度の貴重な場面に立ち会えたのは、親としてこれ以上無い喜びだった。そうした時間を、これからも子供と一緒に経験していきたいし、一瞬一瞬を疎かにせず、目に焼き付けるつもりで大切にしていきたいと思う。

 

(40分)