過去記事の掲載時刻

はてなダイアリーからはてなブログになって、機能がいろいろと変わったが、個人的に一番残念だったのは、「記事の掲載時刻」が記事中に表示されなくなった点だった。これまでは、記事の上部に日付と日時が記載されていた。そして、それが自分の人生の足あととして、結構重要な意味を持っていた。特に、24時をまたいで深夜に記事をアップしている場合が割と多いので、この当時は夜中何時まで起きていたのか、どれくらい夜更かししてまで記事を書こうと血道を上げていたのかというのをうかがい知る上で、貴重な情報でもあった。ちなみに自分の場合は、24時を過ぎても、朝5時(5時半だったかも)までにアップすれば、前日の日付で掲載されるように設定していて、毎日記事を書いていた頃は、そのリミットを意識していた。その時刻情報がざくっと削られてしまったのは、個人的には大きな損失だと感じていた。

 

だが、今日ふと、記事の最下部の「○日前」(古くなるにつれて「○年前」になる)という自動表示の文字にカーソルを合わせたら、日付と時刻が表示されることに気づいた。もしやこれは掲載時刻ではないかと思い、個人的にバックアップしてあった過去(2010年頃)のブログデータの掲載時刻と照合してみた。すると、日付と分と秒は一致していることを確認できたが、「時」だけがなぜかズレている。そしてブログデータと、はてなブログの記事の表示をいくつか比較して調べてみた結果、次の結論を得た。すなわち、「○日前」にカーソルを合わせると表示される日時は記事の掲載時刻だが、自分のはてなブログ上での掲載時刻は、実際の掲載時刻より「マイナス9時間」ズレている、ということである。例えば、2019年9月4日の記事「ほぼ日手帳2020」の場合、表示される日時は「2019-09-03T21:06:42Z」だが、実際の掲載時刻は「2019年9月4日 6時6分」であり、ちょうどマイナス9時間のズレが生じている。TとかZが何なのかはよく分からないし、なぜ9時間ズレるのか、ほかの人のはてなブログだとどうなっているのかは分からない。だが、とにかく自分のブログ場合はこうなっているのである。少々面倒くさいし、スマホではカーソルを合わせられないからパソコンでないとこの方法は使えないが、とにかく時刻も確認できるということが分かって、ちょっと安心したのだった。

 

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(20分)

ほぼ日手帳2020

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9月に入り、今年も残すところ4ヶ月。自分がこの時期に真っ先に考えるのは、「そろそろ来年の手帳を買わなくては」ということだ。そして、手帳と言えば、自分にとって誰がなんと言おうと「ほぼ日手帳」が唯一の選択肢である。先月「ほぼ日アプリ」をスマホにインストールしたこともあり、「2020年版」の9月1日からの発売開始を例年以上に強く意識していた。それで昨日、ほぼ日ストアで注文したのが、この「MOTHER2/Pixel Patterns」(2019年版の再販)のカバーと手帳本体のセットだ。昨年はロフトの店頭で本体のみを買ったので、カバーとセットで買うのは2年ぶり。デザインにビビっときて、MOTHER2のカバーを選んだ。今回でMOTHER2デザインのカバーは3つめとなる。今までは1年間同じカバーを使い続けてきたが、ときどき気分で変えてみるのもおもしろいかもしれない。ヨシタケシンスケさんのシールも、ジョークグッズとして買ってみた。絵本を何冊か読んだことがあって好きな作家さんなので、手帳にユーモアを添えるのに使ってみたいと思う。「ほぼ日の週間手帳」は今年に入ってからほとんど使わなくなっていたので、今回は注文しなかった。近々届く来年の手帳に思いをはせるとともに、今年の手帳にもっと書き込んだり貼り付けたりして活用することも大事にしなければ、と改めて思ったのだった。

 

(15分)

decade

「真夏のピークが去った」のフレーズで始まるフジファブリックの名曲がラジオから流れるのを聴いてから、はや二週間。その日は盆休みの初日だったが、毎日家事育児に明け暮れ、結局市内からも出ることなく6連休は終わった。そんな最近の出来事さえ遥か過去のことのように感じる目まぐるしい日々ではあるが、時々ふと、もっと昔の記憶が頭をよぎり、しみじみと懐かしい気持ちになることがある。ラジオで聴いた「若者のすべて」がいざなったのは、10年前のちょうど今ごろのある出来事の記憶だった。

 

 

2009年8月下旬、自分はS君と二人で、北海道へ向かうフェリーに乗り込んだ。当時は大学4年生の最後の夏休み。公務員試験の筆記と面接がほぼ終わったものの、お互い就職先の内定がまだなくて、若干自暴自棄気味な状態になっていた。そんな中でちょっと思い切った気分転換をしよう、くらいのノリでぶらっと北海道旅行に出かけたのだった。特にどこをどう巡るというはっきりした計画もなく、レンタカーを借りた札幌からスタートして、ゴール地点の苫小牧まで、概ね海岸線沿いに時計回りで、広大な北の大地をひたすら車で走った。その距離、4日間で約2000km。S君が持っていたツーリングマップルと、自転車旅行経験があった彼の記憶を頼りに、名だたる観光地から隠れた名所まで、1日中走りながら次々と訪れては写真に収めた。ホテルには一切泊まらず、車中泊やネカフェで夜を明かす貧乏旅。自分にとってはそれは、初めての北海道であり、初めてのレンタカー旅行であり、そしてどこに辿り着くかというわくわく感と未知の土地での不安とに満ちた、一つの「冒険」であった。あとにも先にも、自分の中で冒険と呼べるような旅は、これっきりだと思う。あのときの自分だからこそ、S君が一緒だったからこそ体験できたことであり、決して再現性のない一度きりの出来事だったからこそ、その記憶は自分の中で強い輝きを放ち続けているのである。あのとき、車の中で流れていたのが、CDに焼いて持ち込んだフジファブリックの音楽だった。そして、若者のすべては、確か知床半島羅臼の辺りを走っていたときに流れていた。フジファブリックはそれくらいに、当時の自分の記憶と強く結びついていて、タイムマシンのように記憶を蘇らせる力を今でも持っている。あの旅行で自分の世界観は大きな影響を受け、それ以降様々な土地に毎年旅行に行くようになった。視野を拡げるきっかけをくれたS君には、今でもとても感謝している。

 

 

あれから10年の歳月が流れた。自分も彼も大きく変わった。卒業後も毎年一緒にスキー場に行ったりして交流は続けてきたが、お互い家庭を持って(彼も結婚し、去年お子さんが生まれた)、なかなか会えない身分になった。最後に会ってからもう3年近くが経つ。でもそれもまた人生のサガというものだ。いずれまた会うときは来るし、そのときは特に大げさな挨拶もなく、これまで通りのそっけないやりとりを再開できるだろう。そんな日を期待するともなく待つことにして、10年前の記憶を再び引き出しの中に仕舞うとしよう。


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(60分)

ピリオド

昨日の朝、攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIGを観終えた。大学1年のときに初めてDVDを観て以来、約13年ぶり2回目の視聴だったが、攻殻のことを何も知らない状態だった当時とは全く異なる味わいがあった。

 


攻殻の特徴としてよく語られるのが、1話あたりの情報量が膨大だということだ。大型放射光施設「SPring-8」だったり、放射能除去装置「日本の奇跡」だったり、何の説明もなく、実在のものと架空のものとが混在した形で矢継ぎ早に登場するキーワードの数々に、初見当時は自分もかなり翻弄されたと思う。だが、アップルシードも含めた士郎正宗作品の世界観に関する知識を蓄え、現実世界の知識も強化した今の自分には、それらは壁とはならず、むしろ物語をより深く楽しむための助けとなった。

 

前回の視聴で、一通りのストーリーと結末が分かっているこそ、登場人物のセリフを単語レベルで聞き取ってその意味や背景を解釈する余裕を持てたし、大人になった今だからこそ、少佐やバトーたちの心の機微に思いを馳せることもできた。特に、クライマックスでタチコマたちのAIが搭載された人工衛星米帝の核ミサイルに衝突して自爆したシーンで、荒巻課長が「部下の犠牲で核ミサイルの投下は防げた」と言ったときには、タチコマのことを部下という課長の懐の深さにグッときたし、バトーが「素子ぉー!」と叫ぶお約束のシーンと、それでも結局少佐に(ある意味)振られてしまうラストシーンには、バトーの一途さのあまり切なくなったりもした。

 

 

それから、菅野よう子の音楽もよかった。アニメシリーズのOSTは全作持っていて普段から時々聴いているが、何といっても核ミサイル接近中に流れる「i do」の切ないメロディには胸を打たれずにはいられなかった。そして驚くべきは、同曲がこのシーンで流れるということを、過去1回しか視聴していないにも関わらずはっきりと覚えていたことだった。それほどまでに、この美しい曲が、極限状況のこの場面で流れるということが、強い印象を残したということにほかならない。サントラ3本をもう一度すべて聴き直してみたいと思った。

 

 

そのほかにも、印象的で多義的なセリフのことを語り出したら、枚挙にいとまがない。ゴーダの「わが国は脳こそ資本主義を名乗ってきたが、実情は理想的な社会主義国だ。」とか、クゼの「水は低きに流れ、人もまた低きに流れる。」は色々な解釈ができて、前者は経済学を学んだ身として特に納得するところがあるし、茅葺総理の「一身独立して一国独立す」は福沢諭吉の言葉からの引用だということを知っていればこそ、その覚悟の重みが伝わってくる。

 

 

招慰難民問題という本作のテーマも、現在世界で、特に欧米各国で深刻化する移民排斥の動きやそれを発端とする世論の分断・対立の深刻化の状況を見るにつけ、リアリティの高さ、押井守監督と神山健治監督の先見の明の鋭さに驚かずにはいられない。複雑で解決が困難な問題を、単純な二項対立の構造にこじつけることで、世論を特定の方向に誘導しようする情報操作(ゴーダのした「プロデュース」の意味や内容はもう少し異なるが)は、極右政党等がしようとしていることそのものだと言っていいだろう。

 

 

やはり攻殻シリーズは「いい大人こそが観るべきアニメ」「大人だからこそ楽しめるアニメ」だということを、今回改めて実感したところだ。その想いの溢れるあまり、つい感想を書かずにはいられなかった。ただ、5月から時々早起きしては、コツコツ視聴して楽しんできたものが終わってしまったことには、一抹の寂しさを禁じ得ない。自分の今年の夏は終わった…、今はそんな気分である。

 

(40分)

祝辞

 M ちゃんが結婚した。 7月14日の大安の日に。Facebook で 本人が投稿したことで明らかになったことだった。その数日前に彼から指環の相談を受けていたので、もうまもなくなのだろうとは思っていたが、思ったより早くて少しびっくりした。これから奥さんが住む名古屋に引っ越すようだ。

 

 

 M ちゃんは自分の大学時代の同じ学部の友人で、10年来の付き合いがある。彼が新卒で上越に就職してから2年半、毎週のように会ってはダベったりご飯を食べたり酒を飲んだりして、よく遊んだものだった。箱根や関西に一緒に旅行に行ったこともあったし、スキー場に行った回数は両手では数えきれないほどだ。自分にとって忘れがたい多くの思い出を共有する大切な友人の晴れの門出を、心から嬉しく思っている。1番最近会ったのは、3月のことだ。1泊2日で上越に遊びに来てもらい、アパートに泊まってもらって、一緒にドライブしたり飲みに行ったりした。彼女の話もそのときに聞いていた。遠くに行ってしまうと聞いて、正直少し、いやだいぶ寂しいのは事実だが、それが彼が自分で選んだ道である以上、自分は彼を全力で応援する。自分の弱さをさらけ出せる人懐っこい性格が彼の魅力だから、新天地でもきっと奥さんと一緒にうまくやっていけるだろう。

 

 

これで、今も付き合いのある大学時代から友人は、全員結婚したことになる。願わくば、彼の進む道に幸の多からんことを。

 

(20分)

取捨選択 通算その4

気がついたら「はやぶさの日」(6月13日)の日で、誰かに「今日は何の日か知ってる?」と尋ねてみようと思ったのに、仕事をしていたらそのことをすっかり忘れてその日を終えてしまった。次に気がついたら夏至が過ぎていて、せっかく日の出が早くなってきたのにこれからは短くなる一方だ、朝の時間をもっと活用しないと、と焦ったものの、日中のそれ以外の焦り要素が多すぎてすぐに頭の片隅に追いやられてしまった。そして気づけば今日から7月で、今年も下半期に突入することになり、時間が恐るべき早さで、というよりもはやその感覚を実感できないほど、人知を越えたスピードで、過ぎていることに嘆息せざるを得ない。

 

 

そんな日常だからこそ、思考・習慣・趣味等の取捨選択を進め、自分の頭の中や身の回りの物事をシンプルにしていくことは、非常に大切なことだ。というわけで、シリーズ記事「取捨選択」の第4弾ということで、6月の1ヶ月の間に止めたこと、手放したものを書き出してみる。(なお、従来の「○○編」というくくりは面倒なので止めた。これも取捨選択の一つだ。)

 

 

(1)Fitbit Charge3

6月の途中から使用を中止。欲しいと言う同僚がいたので、まだ半年しか使っていないが購入価格の半値以下で売却した。止めた直接の理由は、バンドの色が気にくわなかったこと。交換用バンドもぱっとしたのが見つからなかった。でももっと大きな理由は、Fitbitを常に左腕につけているせいで腕時計を使う機会が全くなくなってしまったことへの不満だった。2017年1月に買った前機種Charge2も含めて2年半毎日24時間身につけていたものが消滅したことで、未だにスースーする違和感は残っているが、代わりに腕時計をつける楽しみが復活した。それは非常によかったと思う。運動量の計測、睡眠時間把握のツールがなくなってしまったのは若干不便ではあるが、特段支障はない。そもそも、それは別に機械で記録・管理しなくても、実際に運動して、しっかり眠れば済む話である。将来的に、Fitbitのような機能を搭載したG-SHOCKやオシアナスが登場すれば、購入を検討することもあるかもしれないが、ただそれだと24時間装着することにはなじまないだろう。今の結論としては、腕時計タイプのライフロガーは自分にはもういらない、ということだ。

 

 

(2)コンパクトデジカメ DSC-HX10V

2012年に購入したソニーのデジカメを売却した。買値の1割程度だったが、7年使い込んだ中古品だから、妥当な水準だろう。ドイツ研修にも連れて行った相棒というべき存在で、古くなっても使い勝手のよさは全く衰えていなかった。ただ、このデジカメが便利すぎるせいで、2014年に買った一眼レフが完全に置物状態になっていたので、一眼の使用頻度を高めるために退場してもらうことにした。非常に思い入れはあったが、だからといって箱に入れてしまっておいても陳腐化が進む一方なので、手放すことにした。

 

 

(3)ガラケー

そして昨日をもってドコモのガラケーを解約した。高校生になった2003年からドコモを16年間続けてきたが、これで完全に縁が切れた。(まあ、dポイント(dカード)は今後も使うことになるが。)直接のきっかけは、1ヶ月前に夫婦げんかで妻に折りたたみケータイを真っ二つに破壊され使用不能になったことだったが、その後1ヶ月ガラケーなしで生活してみて特段問題はなかったし、2台持ちのメリットも感じられなくなっていたので、思い切って解約した。これにより、16年間使ってきたケータイ番号も消滅。解約後に試しに電話をかけてみたら、「この番号は現在使われておりません」という自動音声が流れてちょっと寂しい思いがした。思い入れはあったが、昔の友人から電話がかかってくることはないし、今付き合いのある友人知人とはほとんどLINEでやりとりしているし、何より個人情報が名簿業者に流れていて勧誘の電話がかかってくるのに嫌気が差していたので、手放すのが妥当だと判断した。

 

 

近況報告は以上。これからも思い切った取捨選択を進めていきたい。

 

(40分)

願望

思い切り運動したい。体を動かして思い切り汗をかいて、ぼろぼろのくたくたになった後で、シャワーを浴びてすっきりしたい…。今の自分に一つだけわがままが許されるなら、それだけを望む。自転車でも、バドミントンでも、ランニングでも何でもいいから、とにかくスポーツがしたい。週1回、1時間だけで構わない。ただそれだけで、欲求不満の全ては解消される。