社労士試験:2026/8/23

8月23日(日)は、令和8年度社会保険労務士試験の試験日だった。自分は、新幹線で最寄りの群馬会場(高崎市のGメッセ群馬)まで足を運び、受験した。試験終了時間の30分後の新幹線に乗るため、終了直後に会場から高崎駅までダッシュし、夕飯の弁当を買って新幹線に飛び乗るという強行軍の日帰り受験で、色々と気持ちの浮き沈みもあったが、今となってはそんなことを語るまでもない。

 

果たして事前の予想どおり、今年度の社労士受験は不合格に終わった。一夜明けた今朝、ユーキャンの解答を基に自己採点をしてみたところ、「110点中59点」という結果が判明したからだ。選択式・択一式それぞれの科目ごとに設定された「合格基準点」を下回る科目もあるため、全体の得点に関わらず不合格だし、そもそも60点台半ば~70点の合格ラインには全く届いていない。文字通り「撃沈」である。10月1日の合格発表は、見ることもないだろう。試験時間中は必死で解いていたし、午前中の選択式では明らかに例年より「易化」している印象を受けていたので、「万一、もしかしたら」という淡い望みも持っていたが、その期待は完全に打ち砕かれ、早朝からがっかりした気分になった。とはいえ、圧倒的に勉強時間が不足していたし、理解も不十分だった以上、結果は至極当然だと納得しているし、仮にこんなちゃらんぽらんなままの状態でまぐれ合格できるようなことが起こってしまっては、資格試験としての存在意義に関わる重大問題になりかねない。むしろ、「倍率15~20倍の社労士は、やはり難しい。生半可な勉強では到底無理だ。だからこそ、挑戦する価値がある。」と、この結果を受けて改めて資格取得への思いを強くしたし、視線はすでに来年度の試験に向いている。

 

まだ1年あるから、少し一休み・・・という気持ちは持たず、今日から再び勉強を再開しなければならない。ただ、同じテキストを来年も使い回すのはさすがに苦痛だし、法改正への対応を考えると不適切でもある。近日中に、ユーキャン以外の通信教育に申込んでみるとしよう。それにしても、択一式の210分の試験時間は、身体的にも精神的にも限界を超えていた。あの苦しさを思い出しながら、来年こそは(あらゆる意味で)「最後の受験」にしたいと強く思わずにはいられない。

 

(30分)

東京日帰り旅行:2026/8/10

8月10日、家族を連れて日帰りで東京に行ってきた。子供にとっては、初めての東京訪問だった。

 

今回の目的は、東急プラザ原宿「ハラカド」で開催中のドラゴンクエスト40周年記念展『ドラゴンクエスト the DIVE -まだ見ぬ冒険の舞台へ-』(会期:7月17日(金)~9月6日(日)まで)へ行くことだった。自分は今年3月末にスクウェア・エニックスアプリで先行販売チケットを購入し、4ヶ月以上も前からこのイベントを楽しみにしていた。それは妻と子供も同じであり、妻は会場限定グッズの品定めに余念がなかったし、子供はスライムなどのモンスターがたくさんいるイベントだと思ってワクワクしている様子で、お気に入りのわたぼうのぬいぐるみ(DQM3限定版に同梱されていたもの)を抱っこして持ってきていたほどだった。我が家ではドラクエは親子共通の趣味となっており、その長い系譜は着実に次の世代に受け継がれつつある。会場に着くと、開場時間の11時より30分前だというのにすでに入場待ちの長い列ができていた。ただ、このイベントは「1時間制」でチケット購入時に予め入場日時が指定されているため、特定の時間に人がどっと押し寄せて混雑しないように設定されていた。そのため、建物内で20分ほど待つだけで済んだし、「11時~12時」の時間帯で予約していたが実際には10時50分頃には入場できてありがたかった。入場して最初に体験したのは、このイベントの目玉である没入型アトラクション「ドラゴンクエストVR RIDE」だった。VRゴーグルとヘッドホンを付けて専用のシートに座ると、360度のCG映像が視界に広がり、モンスターが闊歩し飛び交うドラクエのフィールドの中に実際に入り込んだかのような体験を楽しむことができる。キラーパンサーの背中に乗って草原を疾走したり、高い場所から飛び降りたりすると、それに連動してシートが傾いたり振動したり、風が噴射されたりするので、リアリティが半端ではなく、大人でも夢中になってしまうほどの没入感を味わうことができた。会場でも「ネタバレ注意」と言われていたのでこれ以上の説明は避けるが、とにかくこのVR RIDEだけで、東京までやってきた価値は十分あったと思ったし、5分あるかないかの短さではあったが3000円超のチケット代でおつりが出るほどの満足感があった。当然ながら、子供も大興奮しており、すごかった、楽しかったと喜んでいた。このイベント限りのアトラクションにするにはもったいない出来だったし、できることならもう一回乗りたいと思ったほどだった(VR RIDEは1回の入場で1回しか体験できない)ので、会期後にどこか別の場所で何らかの形で常設されてほしいと思ったのだった。そのほかにも、実物大(?)キングスライムに抱きついて写真撮影できたり、のぞき込むと自分の「本当の姿」がモンスターとして映る「ラーの鏡」があったりと、ドラクエならではの遊び心あふれる展示が順路に沿って続いていて楽しめた。

www.dragonquest.jp

原宿のビルを出た後、次に向かったのは、「ルイーダの酒場」だった。ドラクエの世界観やモンスターなどをモチーフにしたメニューを提供している「コラボレーションカフェ&バー」である。2011年と2015年の2回利用したことがあるが、2020年に六本木から秋葉原に移転してから来るのは初めて。席がカウンターのスタンディングから、イス・テーブルに変わっていたので、家族連れにも安心だった。こちらも13時30分から予約してあったので、ハラカド内のドラクエコラボレストランが「2時間待ち」となっていたのを尻目に、待ち時間なしで入場できた。定番のスライム肉まん、ゴールデンスライムのデミオムライスのほか、様々なフードとドリンクをオーダーして、遅めのランチを楽しんだ。店員さんがメニューを持ってくるときに、ドラクエの世界観にちなんだ一言を添えてくれたり、こちらの反応に対してユーモアのある返しをしてくれたりするのも面白かった(スライム肉まんが出てきたときに「やっつけるぞ!」と言ったら、店員さんから「かわいそうなので仲間にしてあげてください」という言葉が返ってきて、ニヤリとしてしまった)。ワンドリンクにつき1枚コースターがおまけで付いてきたのと、「40th記念プレート」というフードにも限定コースターが付いてきたので、思いがけずお土産に5枚のコースターをゲット。妻にも秘密で用意していた子供へのサプライズも大成功で一安心。心の中もお腹の中も大満足で、お店を後にしたあとはそのまま東京駅へ。16時半に早々と帰りの新幹線に乗り込み、ドラクエ三昧の1日を終えたのだった。

paselabo.pasela.co.jp

今回は滞在時間が短い日帰り旅行なので、予約によって会場での行列や混雑のタイムロスを避ける一方で、妻と子供が迷子になったり疲れたりしないように移動時間に十分な余裕を持たせることを意識していた。原宿からルイーダがある秋葉原までは電車で30分ほどの距離だが、移動時間で1時間以上確保していたので、途中で休ませつつたどり着いたのは予約時間ちょうどだった。一人であれば、極限まで効率的に動いて色々と予定を詰め込むこともできるが、家族連れではそうもいかない。車ではなく、電車移動であればなおさらだ。このスタンスを貫いたおかげで、妻と子供のご機嫌を最後まで保ったまま無事に帰途に着くことができた。今回の旅は、今後の東京旅行におけるモデルケースになるだろう。

「40th記念プレート」。子供の希望で、刺さっている旗も記念にお持ち帰りした。

「どうぐや」で入手したお土産。3分の1くらいの商品がすでに売り切れで、目星をつけていた商品が買えずちょっと残念。

DIVEのもう一つのお目当てだった限定特典「伝説の剣 特製ピンバッジ 3種セット」を入手。限定特典付きチケットは9,400円のところ、ネットではこの倍の値段でピンバッジが取引されているが、自分は後生大事に保管するつもり。今は自宅玄関に飾っている。

(90分)

社労士学習:2026/8/4

8月23日(日)の社労士試験本番まで3週間を切った。受験票のハガキも届き、いよいよ最終盤。ここで最後の追い込みをかけるべく、今まで以上にやる気を燃やし、寝る間を惜しんで勉強時間を増やしている・・・かというとそんなことはなく、ただ淡々とこれまでと同じようにユーキャンのデジサポを使って問題演習・過去問演習を続けている。むしろ、1ヶ月前と比べると、勉強のために朝4時台に起きていたのが日の出の時間が遅くなるにつれて朝5時台に後退したし、何なら勉強時間も減少傾向だ。正直なところ、今年の試験での社労士合格は、すでに断念している。どうして、受験前なのにそんな心境になってしまったのか。その要因を整理してみると、以下のようなことが挙げられる。

 

①数字要件の理解不足

社労士試験にはとにかく色んな数字が出てくる。「書類の提出日」であれば、14日以内、30日以内、速やかに、遅滞なく、といった具合にパターンがあって、正しい答えを選ばなければならないし、「書類の保存年限」も2年、3年、5年、5年だが当面の間3年など様々である。これらの数字に明確な法則性は見いだせないし、丸暗記しようにも膨大かつ細かすぎて正しく覚えられない。なかなか頭に引っかからない数字については、強引な語呂合せを考えて無理矢理暗記を試みてきた(康診断や面接指導の結果の保存年限は5年→健5(けんご)→「剣豪は健康」など)が、数百件以上ある数字を語呂合せにしたら、情報量が爆発的に増えてかえってこんがらがるのでこれも現実的ではない。このため、テキストを読んだり、問題演習をして答えを確認したりして、その場では何となく覚えたような気になった数字も、満杯のコップに注いだ水がこぼれ落ちるように、目を通した瞬間から次から次に頭をすり抜けて行ってしまい、一向に長期記憶が形成されないのである。

②制度の体系的理解の欠如

社労士試験には、労基法、安衛法、雇用保険法、国民年金保険法・・・といった社会保険制度全般に係る幅広い分野が出題される。そして、それぞれの制度の共通点と相違点をきちんと区別して、正しく理解することが求められる。そのためには、付け焼き刃ではない「体系的理解」が不可欠になるのだが、テキストを流し読みしながらとにかく先へ進むことを最優先してきた自分は、「何となくこんな感じ」程度の「表層的理解」しかできていないので、ちょっとアレンジした問題が出たり、「給付の調整」といった各制度間の関連性を問われたりすると、立ち所にボロが出て行き詰まってしまう。テキスト学習の段階で「なるほど!」と納得しないまま進んできてしまったことが、こうした状況につながっているのだが、とはいえ唯一の得意分野である労基法以外は、日常では関わりのない制度ばかりなので、学習の中で「腹落ち」レベルの理解に至るのは非常に難しい。体系的に理解できないから、エビングハウスの忘却曲線のスピードでどんどん忘れていってしまうのである。

③知識同士の混線

①②のように理解が中途半端であることの帰結として、社会保険の各制度の似たような部分の区別がつけられず、知識がこんがらがって正しい答えを出せなくなってしまう。例えば、不服申し立て、時効、給付制限といった仕組みはどの制度にもあるのだが、これらの知識の整理ができていないので、どの数字がどの法律のものだったか、この制度とあの制度ではどの部分が違うのか、わからなくなるのである。そうしたややこしい部分を整理した教材があればいいのだが、必ずしもそうした資料が見つかるわけではなく、かといって自分で調べてイチから資料を作るほどの余力もない。結果、曖昧な状態がいつまで経っても解消されずに知識が定着しない泥沼に陥っている。

④学習時間の圧倒的不足

上記の要因につながる根本的な原因として、学習時間が圧倒的に不足しているという問題がある。もちろん、勉強量は勉強時間に必ずしも比例しないが、それでも勉強のためには一定の時間が必要不可欠なので、目安としては有効な指標だ。自分の場合は勉強を開始した昨年12月からの8ヶ月間(約230日)で、推定250~300時間程度しか学習できていない。ネット上では、「最低1000時間」といった数字が常套句のように飛び交っていることからすると、「真面目にやっているのか」とお叱りを受けそうなレベルだ。ただ、これでも決して勉強をサボったり、試験を甘く見たりしていたわけではない。この間、家族が起きる前と寝た後の数少ない自由時間の多くを勉強につぎ込んでいたし、妻が入浴している間や、祖母の葬儀で火葬場に移動するバスの車内など、わずかなスキマ時間でさえも問題演習に充ててきた。ただ、部下が不在になり自分一人で乗り切った年度替わりの繁忙期の仕事はただでさえハードだったし、毎日の家事・育児タスクも抱える中で、正直、これ以上の時間を勉強につぎ込むことは無理だったと思う。週末に家族をほったらかして8時間勉強するような「身勝手」は、我が家では自爆行為に等しい言語道断の所行であったし、週末や平日の夜に家族とリビングで過ごす時間を「スキマ時間」扱いし、家族を無視して一人で黙々と社労士勉強をするようなことも到底あり得なかった。仮にもそんなことをしようものなら、「家族よりも勉強が大事か。そんな試験なんて受けるな!」と妻が怒り心頭になるのは分かりきっていたし、実際にこの類いの嫌みや罵倒は(家族の前では極力「勉強しないように」していたにも関わらず)日々浴びせかけられていた。勉強することそのものが困難を極める中で、それを1000時間も積み重ねることなど夢のまた夢だった。

⑤メンタル的な限界

上記のとおり、「家族を犠牲にしている」と妻に指弾されながらも、雀の涙ほどの自分の時間を「削り取る」ようにして勉強してきたのだが、余暇や趣味の時間を排除した生活を続けるにつれて、徐々に精神的な限界が見え始めた。せっかく値上げ前に手に入れたNintendo Switch 2を一切プレイせず、マンガを読んだりもしなければ、酒を飲むこともほぼない「禁欲生活」のような日々を過ごす中で、だんだんとストレスが溜まり、勉強への集中を欠くようになってきた。とりわけ、直前期に差し掛かり過去問演習が中心になってくると、難問奇問に苦戦する中で勉強へのストレスが急上昇。それに反比例して、勉強へのモチベーションが急速に低下していき、追い込みをかけるべき段階なのにかえって勉強に身が入らない「負のループ」に陥り、現在に至る。ストレスが蓄積した心は空気がパンパンに詰まった風船のようなもので、あるラインを超えるとそれ以上入らないように心が防衛反応を取るようになる。そこで無理をすれば風船が破裂して心が壊れてしまう。風船が一定の大きさを保つように、正しく空気を抜く「発散」が、勉強と同じくらいに大事だったということである。

 

そんな訳で、一発合格を諦めた自分は、試験直前期の中でも緊張感・緊迫感はなく、「消化試合」のように細々と勉強を続ける日々を送っている。すでに「不合格後」のことも考え始めているのだが、ユーキャンでもう一度同じ教材をやり直すことには到底精神的に耐えられないので、「フォーサイト」など別の通信教育をやってみようかと思っている。また、3回目までは受験しようと思うが、そこで手応えがなければ、もうそれっきりで手を引くつもりでいる。社労士資格を得ることで「何者か」になりたいというのが受験の最大の動機であり、勉強の原動力でもあったのだが・・・。今回の「失敗」を踏まえて、改めて「来年の試験」に向けた対策を早急に考えていきたい。

6月中旬に自宅トイレに設置した勉強コーナー。壁に貼り付けたクリアファイルの中にテキストのコピー等を予め挟んでおくことで、用を足している間にハンズフリーで勉強できるという優れもの。スキマ時間活用の極致。

(110分)

夏の終わり

これで、今年の夏は終わった・・・。そう思ってしまうほど、自分が力を入れて準備していたイベントが、先週木曜日に行われた。それは、職場の有志を引き連れて参加した地元の祭りの民謡流しだった。

 

自分は採用1年目から、組織としての地域貢献を目的にこの民謡流しに参加してきたが、「幹事長」としての参加は昨年に続き今回が2回目だった。昨年は、コロナ禍によって参加が一旦途絶えていた中で、6年ぶりに職場での参加を復活させるという一大プロジェクトだったこともあり、多くの作業が手探り状態だったほか、プラカード代わりの会社名が書かれた看板(当日台車に取り付けて運搬する)をリニューアルするなど、いくつかの新機軸を打ち出したこともあって、準備はかなり大変だった。しかし、今年は昨年の経験と反省と資材類を活用することで、物理的にも心理的にも、かなり余裕を持って準備できたのが、幹事業務における大きな変化であり進歩であった。特に、「幹事同士の連係」という点では、数々の好プレーが光り、本番当日の運営の安定感と臨機応変さは去年と比べ格段に向上していた。幹事は自分を含む30代~20代の職員3人で構成され、自分以外の2人は、自分が指名して協力を取り付けた、いわゆるツーカーの仲の職員だった。中でも今回初めて民謡流しに参加した20代の後輩職員は、若さに加えてやる気も十分で、フットワークが必要な場面で自ら「自分がやります」とさっと名乗り出てくれることが多々あり、自分も安心して様々な行動を託すことができた。今の職場の若手世代の中で、自分が常々考えている「周りを巻き込んで動かす」ことの重要性を理解し共感してくれるほぼ唯一の存在なので、いずれは彼に自分の後任として、幹事長を担ってほしいという思いがある。

 

振り返ってみると、自分にとって今年の幹事としての最大のテーマは、「運営を担う次世代の育成」だった。だから、自分一人でできることにもあえて彼を一緒に加わらせて、準備や運営の全体像が見えるようにしたし、彼自身にもその意図を度々伝えることで、快く協力してもらえた。周りへの気配りや先の動きを見据えた先見性という点でも、彼は卓越していた。彼の能力と熱量の高さに大いに助けられたこともあり、準備も本番でもほぼ自分が想定していたとおりに進行し、多くの歯車ががっちりかみ合って勢いよく回るような小気味よさと手応えとを実感することができた。もちろん、総勢35名の参加者のみなさんも心から楽しんでくれていたし、好天に恵まれてケガもトラブルも起きなかったので、文字通り「大成功」で活動を終えることができたのだった。後継者の育成が前進し、自分が何とかしなければという責任感が幾分か薄れたこともあってか、去年は強くあった「祭りロス」の感情はほぼ感じていない。今は、細々とした後片付けをしながら、祭りのあとの心地よい余韻に浸っているところである。

 

夏は何も「真夏のピークが去った」ときに、あるいは2学期が始まったり、甲子園が閉幕したりしたときに終わるのではない。「夏の終わり」を実感する瞬間は、一人ひとり異なるものだ。それが自分にとっては、「職場で参加する民謡流し」だったのである。ちなみに、祭りは準備しているときよりも、やっている最中よりも、日常に戻っていく「片付け」のときこそが一番楽しくて、味わい深い・・・というのが自分のかねての持論なのだが、これに共感してくれる人はどれくらいいるだろうか。来週末の幹事でのプチ打ち上げの際に、ぜひほかの二人に訊いてみるとしよう。

 

(60分)

子供:一人称

先週末の土曜日、子供と妻と共に、初めて「こども食堂」に足を運んだ。子供の友達のお母さんと妻が、いわゆるママ友のような関係で、「今度の土曜日にこんなイベントがあるから一緒に行きませんか」というお誘いを受けたのがきっかけだった。ちなみに、子供の友達親子とは、去年学校で同じクラスになって以来の付き合いで、これまでもスケート教室に一緒に参加したりしているが、友達のお父さんとは一度もお目にかかったことがない。友達親子はいつも「子供+母親」で、我が家はいつ何時も「子供+母親+父親(自分)」の組合わせなので、何となくバランスが悪いというか、自分の所在がない感じで落ち着かない。今回は特にそれを一層強く感じることになった。

 

会場は、家から車で20分くらいの田んぼに囲まれた集落にある民家だった。イベントと聞いていたので、てっきり屋台か何かが並んでいて、買って食べたり遊んだりする縁日のようなものを想像していたところ、行ってみたらこども食堂だったのでちょっと戸惑ってしまった。フードバンクなど「支援を必要とする世帯」が利用する活動をしている場所だと思っていたので、それに特に当てはまらない自分たちが行くのは相応しくないのではないかと思ったのだ。しかし、そうした世帯のみならず、子供や親に加えて地域住民も含めた「居場所作り」が今回のコンセプトの活動と知り、また入口できちんと食事代相当の参加費も集金されたので、「なら大丈夫か」と一安心して中に入った。結局、ここに3時間ほど滞在することになり、紙芝居の読み聞かせを聴いたり、昼食に冷やし中華を食べたり、屋外の林の中で遊んだりと、子供に付き添いつつ、周りの様子を観察しながら過ごした。参加していた他の家族のプロフィールは分からなかったし、相対的に父親の姿は非常に少なくて、いつも以上に据わりの悪さは感じたが、以前から気になっていたこども食堂の活動を間近に見られたのはよかった(出向中は部下や同僚が他のこども食堂の活動の支援に携わっていた)。全体的に運営がこなれていない感じがしたのは、まだ活動歴が浅いからだろうが、その分、あちこち動き回り参加者に声をかけて回っていた運営者の熱意も強く感じた。子供は活動終了の14時になっても「帰りたくない」とゴネていたので、友達と一緒に参加できてかなり楽しんでいたようだ(一方、妻は体力が持たずに疲労困憊していた)。

 

で、本当に書きたかった本題は実はここからなのだが、子供が友達と話しているときに「わたしは~」という一人称と使っているのを、この日初めて目撃したのだ。家や、普段会う自分や妻の実家の家族の前では、自分の名前の頭文字を取った愛称である「○○ちゃん」を一人称にしているのに、学校の友達との間では「わたし」を使っているらしいという事実が発覚したのである。自分が高校生のときにも、友人相手の一人称を「僕」から「俺」に変更するという一大決心があったものだが、それに相当するような変化が、自分の知らぬ間に子供の中でも進行していたのか、子供の自我が発達してきているんだな・・・と我が子の成長を実感したのだった。それが、今回のイベントに参加した最大の収穫だった、というのが一番書きたかったことである。

 

子供は小学3年生の今も自分にべったりだが、これもいつまで続くか分からないし、いつまでも親にべったりでも困る。これからも、この関係が続く限り、いつも子供に近くで成長を見守っていきたい。

 

(45分)

朝活250回&読書会200回を迎えて

2013年10月に職場の若手有志4人で始めた「朝活読書会」は、この2026年6月で、朝活の活動として「通算250回」、うち読書会の企画では「通算200回」の開催を達成するという大きな節目を迎えた。約2週間に1回という開催ペースを淡々と続けてきた結果、気付けばこれほどの回数を重ねていたことに、改めて驚くばかりだ。約13年という長い活動期間の中で、メンバーの加入、卒業、復帰を経つつ、一時的な活動中断を挟みながらも、ここまで歩みを続けられたことには、本活動の発起人(言い出しっぺ)として深い感慨を覚えずにはいられない。現役メンバーはもちろんのこと、卒業したメンバーに対しても、読書に時間とエネルギーを注ぎ、共に運営を担い、活動を大きく育ててくれたことに、ただただ感謝の気持ちでいっぱいである。

 

読書は大事だけど、どうにもめんどくさい。とても一人では続けられない。だから、「強制的に読書せざるを得ない仕組み」を作って、自分の生活の中にその仕組みをビルトインするしかない・・・。そもそも自分が朝活を始めたのは、本が読みたくて仕方ない「読書好き」とは正反対の、こんな消極的な動機からだった。言わば「本を読みたくても、一人では読めない人」のための活動であった。この趣旨に賛同してくれた同僚3人と自分の計4人で、平日の朝、始業前に事務室の一角に集まり、手探りで実験的に開催したのが最初のスタートだった。①予めその回の「テーマ」を設定し、②開催日までに各自がテーマに沿った本を選んでそれを読み、③当日は一人5分で自分の本を口頭で発表し、④全員発表後は各自の本の内容について質問やフリートークの時間を設け、⑤最後に次回の予定とテーマと進行役を決めて、⑥次回の開催までの間に自分が発表した本のコメント(感想・要約)をメールで報告する・・・という基本形式は、若干の手直しが加えられつつも初回からほぼ変わっておらず、「バトルしないビブリオバトル」というコンセプトはスタート時すでに確立されていた。開催場所はその後、職場のフリースペース、週末の喫茶店、そしてオンラインのリモート会議(ZoomまたはGoogleMeet)へと変遷を重ねたほか、マンネリ防止のため4~5回に1回は「読書会以外の企画」を行うルールの下で登山・町歩き・博物館見学などをしたり、地域に活動の場を広げようとFacebookのページを立ち上げてSNS上で予告・報告をしたり、名刺カードサイズの広報物を作ってメンバー募集のために同僚・友人に頒布したりと様々な工夫とチャレンジを続けてきた。自分にとって「アイデアを形にする場」「ダメ元で一度試してみる場」として、朝活は非常に有効に機能してきたし、思いつきの提案がそのまま受入れられルールとして定着したものもたくさんあってた。朝活は、とにかく自由で楽しく、ありのままの自分をさらけ出せる、ほとんど理想的ともいえる「サードプレイス(家庭・職場以外の居場所)」だったのだ。ただ、長く続けてきたが故の宿命として、メンバーの入れ替わりは避けられず、今のメンバー数はわずか「3人」となっており、開始以来の最少で活動継続の危機に瀕している。これまで参加したメンバーは自分を含め延べ8人で、ほぼ全員が自分と同年代の男性で、例外なく職場の同僚たちだった。準備もその後の報告も必要な「めんどくさい仕組み」なので、継続できる人が限られるのはやむを得ない(ハードルを下げればそれだけ存在価値が下がる)のだが、このままでは、あと一人減ったら消滅してしまう(2人で開催はしんどいし、盛り上がらない)。これが、目下最大の悩みの種となっている。

 

「読書を通じて、学び続け、考え続けること。その不断の努力の先に、真の教養という地平は広がる。」・・・これは、2018年にFacebookページを立ち上げたときに自分が掲げた朝活読書会の「モットー」だ。AIが台頭して社会の隅々まで浸透し、タイパ至上主義がはびこる昨今にあって、この考え方はそれらと真逆を志向しているようにも思える。だが、「易きに流されない」ことこそ、流行に左右されない本質的な価値を守り、活動の意義をより一層確固たるものにすると自分は信じている。朝活は学び続けるためのプラットフォームであり、不断に変わり続けることで、「読書を軸とした楽しく刺激のあるコミュニティ」としての価値を守っていく・・・そんな未来図を思い描きつつ、この偉業を通過点として、これからも一歩一歩着実に、活動を続けていきたい。

 

(90分)

2026/5/1-3:名古屋初訪問

今年の5月は体感的にものすごく長かった気がした。不思議なことに、1ヶ月が通常の3ヶ月くらいの長さに感じたのだ。一般に年を取ると時間の流れが早く感じるようになるというのがセオリーなのに、何とも「お得」なことだと思う。その要因として、思い当たることは大きく2つある。妻の実家に泊まってBBQをしたり、家族で地元の遊園地に行ったり、人間ドックを受診したり(「1つも異常がない」と健康に太鼓判を押された)、子供の学校の運動会があったり、スキマ時間で社労士勉強をしたりと、やることや行事が多くて充実していたのが1つ。そして、もう1つは、5月1日~3日の2泊3日で、名古屋市に住むMちゃんのところに遊びに行った記憶が鮮烈で、非日常感たっぷりで、3日間に普段の3ヶ月分くらいの楽しさを詰め込んだ気がするくらい刺激的だったこと。あれからまだ1ヶ月しか経っていないなんて、どうにも信じがたいほどだ。

 

Mちゃんに会うのは、彼が結婚のため新潟から名古屋に移り住む前に、自分のところに立ち寄ってくれた、コロナ禍前夜の2020年2月以来、実に6年ぶりのことだった。彼から届いたLINEをきっかけに、急きょ大型連休を利用して自分が会いに行くプランが浮上、妻と子供の帰省と重なる日程にすることで妻の許しも得られたことから、単身泊まりがけでの訪問が実現した・・・というのが事の顛末だ。名古屋市守山区にある彼の自宅には、3才のお子さんとご両親もご在宅だったのだが、自分の宿泊を快く受入れてもらいありがたかった。彼の人懐っこさは相変わらずで、待ち合わせ場所の駅の改札前で彼と対面したときは、「目尻のシワが増えたね」とお互い年を取ったことをからかわれつつも、ハグして再会を喜び合った。遠路はるばる彼の下まで馳せ参じたのは、家庭の事情で大変なことになっている彼の話に耳を傾け、何とか彼を元気づけたかったからだ。実質的に1日半くらいの滞在期間の中で、6年のブランクを埋めるべく、家庭のこと、仕事のこと、将来のことなど、お互いたくさんのことを話した。夜には酒も入って、さらにディープな話が展開した。一方で、学生時代や20代のころの思い出話は意外なほど少なかった。お互いの「今」の姿を見つめ、じっくり向き合う時間を過ごせたように思う。自分が何か特別なことをできたわけではないが、それでも波瀾万丈で難題山積な境遇にある彼の心が少しでも軽くなったなら幸いだし、自分にとっても遠く離れ離れになっていた友人との絆を確かめることができたのは嬉しかった。それに加えて、自分にとって初訪問だった名古屋市内の観光もしっかり楽しむことができ、忘れられない思い出になったのだった。

 

彼が困ったときには、またいつでも駆けつけたいと思うし、お互い一児の父として共に努力を重ね、刺激しあえる関係を続けていけたらと思っている。Mちゃんに幸あれと願うばかりだ。

名古屋までの移動には、長野~名古屋間を走る「特急しなの」を利用した。片道約3時間の道中はあえて何もせず、ゆったりと流れゆく車窓を眺め、在来線ならではの旅情緒を満喫した。何もかもが高速化する現代では、こんな時間の使い方こそが最高の贅沢だと実感した。

愛・地球博記念公園にて。アラフォーのメンズ2人でネコバスの電動カートに乗り公園内を周遊した。園内にあるジブリパークは完全予約制で入れなかったが、次は家族で来てみたい。

 

名古屋駅周辺の市街地にて。建ち並ぶビル群と行き交う人の多さに大都会を実感した。

「矢場とん」で名古屋名物のみそカツ定食に舌鼓。普段はお昼をほとんど食べないというMちゃんでさえも、無我夢中でペロリと平らげてしまうほどの絶品だった。流れ作業のようなムダもスキマもない客さばきのオペレーションも天下一品で、味とのギャップにたまげた。

宅飲みのお供は、これまた名古屋名物の手羽先。シンプルな塩コショウの味付けは、いくら食べても飽きが来なくて、2人前をほぼ自分一人で食べてしまったほど美味しかった。

朝食は喫茶店で、名古屋名物のモーニングを体験。コーヒーのエッセイ集を読んで気になっていたウインナーコーヒーの実物にお目にかかれてちょっと感動(飲んだのはMちゃん)。

お土産も大漁。スライムまんじゅうはこしあんたっぷり。
職場にも持って行って話のネタにして楽しんだ。

帰途の車窓から。長野県の姨捨周辺から望む千曲市方面。

(本文50分+写真解説40分)