貯蓄時代の終わり

昨春以降のわずか1年ほどの間に、物価は目を見張るほど上がった。100円ショップには定価が100円ではない商品が増え、100円だったコンビニのドリップコーヒーは110円、120円と値上がりし、ガソリンは一時180円/L近くまで達した。長く続いたデフレの時代が終わり、インフレ基調の時代が始まりつつある。物価が上がり、賃金も上がり、預金には利息がつくようになる。それによって、デフレ下のゼロ金利政策で機能不全に陥っていた市場経済が、今後ようやく本来のあるべき姿を回復することにつながっていくことになるだろう。日銀が長年目指してきたマイルドインフレが実現することになれば、もはや大規模な金融緩和を続ける大義名分は失われるから、ゼロ金利政策も修正せざるを得なくなるはずだ。その結果、日銀による国債の買い入れが減少し、国債価格が値下がりすれば、長期金利は上昇する。すると、1000兆円を超える国債残高を抱える政府の財政は、ゼロ金利・マイナス金利で異常に低く抑えられていた国債の利払費が一気に膨れ上がって、たちどころに首が回らなくなる。単純計算で言えば、金利が1%上がれば、利払費が10兆円増えるのだ。所得税減税で国民に還元などとトンチンカンな話をしている場合ではない。そうなるとハイパーインフレで借金を帳消しにするほかに手立てはなくなると思われるが、日銀も当然そんな状況を招く引き金を引きたくはないから、元々の目標だった2%のインフレを達成しても、そう簡単にそれを認めて、金融緩和をやめるわけにはいかないだろう。そう考えると、長期金利の上昇は当面見込めず、日米の金利差が縮まらないから、円安ドル高の構造要因も是正されない。輸入価格の高止まりや、さらなる上昇を背景に、今後も物価が上がり続ける状況が続くことは間違いない。

 

・・・と、自分なりに現在の経済動向を分析してみたのは、ひとえに「インフレによって貨幣価値が下がる状況が今後も続く」と言いたかったからだ。(ただし、上述の分析は新聞やネットの知識のつまみ食いなので、経済学的にどこまで正しいかは保証できない。)本来なら、インフレ下では景気の過熱抑制のために政策金利が上昇するから、預金にはそれ相応の利息もつく。しかし、現行のゼロ金利が続く限り、利率は大幅には上がらず、利息はほとんどつかない。そのため、現預金の形で金融資産を持っていると、実質価値はどんどん下がり続ける。単純計算すれば、利息がほぼゼロの状況で1年で物価が10%上がるとすると、その間に現預金の価値は実質的に110分の100に低下、すなわち約9%目減りすることになる。仮に年10%の水準が7年続くと物価は当初の倍になるから、なんと現預金は実質半減してしまう。これは極端なケースとはいえ、もはや「貯蓄しておけば安心」ではないし、何年か前に世間を騒がせた「老後2000万円」などという数字もインフレ下では何の目安の意味も持たない(容易に3000万円、4000万円になり得るし、それでも「安心」は得られない)ことがわかる。そもそも、自分が死んだら何の役にも立たないお金を単純に「貯める」ことに躍起になるのは、限りある人生を幸福によりよく生きること、「ウェルビーイング」な生き方を目指すという観点からも、ピントがずれている。それゆえ、今後も続くインフレ経済においては、貨幣価値が下がる前に「効果的に使う」こと、そして資産運用を通じてインフレ率に負けないように「効率的に殖やす」ことが、全ての人にとって、今後のお金との正しい付合い方の基本になってくると思うのだ。

 

という訳で、先日、自分の金融資産のうち、単純に貯めることに特化していたものの一部を取り崩した。田中貴金属工業の口座で保有している現物資産のプラチナ約51g(時価25万円相当)を、2011年の積立開始以来初めて現金化したのだ。これは、今月末に支払う車の車検費用や冬タイヤ代等の大型出費にそのまま充てることにしている。

金(ゴールド)は購入時の2倍の時価まで高騰したのでかなりの運用益が出ているが、プラチナはほとんど上がっておらず、薄利に留まるため、現物で持ち続けるメリットが弱いと今回は判断し、保有量を削減することにした。過去の想定では、希少性の高いプラチナのほうが長期では上がると見込んでいたが、実際にはそうならなかった。資産運用には、こうした保有資産に関する先行きの見通しや運用方針、そして中長期的な視点でのリバランスが欠かせない。今後も「ただの貯蓄」するのではなく、戦略的に、メリハリをつけて運用・支出するスタンスを続けていきたい。ちなみに、あまり長生きする予定はない(できそうにない)ので、自分は「老後○○万円」は一切気にしていない。

 

(90分)

登山:黒姫山

今日は平日休みを利用して、長野県の黒姫山(2053m)を登ってきた。今シーズンとしては7月の妙高山以来二度目の山登りで、黒姫山は昨年に続く通算二度目の登頂だったが、前回と違うのは、今回が自分一人だけでの登山だったこと。いつも一緒に登っている友人と予定を合わせることができなかったためだが、自分にとっては初めての「ソロ登山」への挑戦となった。

 

今回の登山には、一人で登ることへの不安から、出発するかどうかの判断が遅れ、最終的に朝の妻の機嫌がよかったことから実施を決断。少しでも早く辿り着くために高速道を使って登山口の最寄りのICまでショートカットし、登山としてはかなり遅めの9時前に登り始めた。荷物も慌てて準備したため、いつもは持ってくるストックを忘れたり、軍手は片方しかなかったり、逆に全く必要ない自転車パンク修理キットがリュックサックに入っていたりして、装備は覚束なかった。ただ、出遅れた分、いつも以上にスピード登山に拍車がかかり、全行程の半分くらいは走ることになった。道中ですれ違った登山者を一瞬で突き放すほどの高速移動だったので、これはもはや登山というより、ちょっとしたトレイルランニングに近かったかもしれない。それも相まって、昨年より少し長いコースの登山口から登ったのだが、13時20分には下山し、より短いタイムで往復できたのだった(その分、膝はガクガク、腿はパンパンになるまで足を使い果たしたが)。秋晴れの清々しい青空の下、今がまさにピークの紅葉に包まれながら、落ち葉のじゅうたんの上を駆け抜けるのは最高に気持ちよく、まさに値千金の体験だった。前回は見えなかった尾根からの景色も今回はバッチリ視界が開け、大パノラマの素晴らしい眺望を拝むことができた。とりわけ、近隣の新潟焼山火打山、そして遠くに並び立つ北アルプスの峰々に雪が積もっているのを目にして、少し早い冬の足音を感じることもできた。こうして、初めてのソロ登山を無事達成し、森の中での一人の時間を贅沢に楽しんだのだった。

 

今回は写真がたくさん撮れた点でも、非常に満足度が高かった。コントラストにはやや難があるものの、スマホコンデジでもそこそこ納得いく写真を撮ることができた。ただ一つ惜しむらくは、山頂が少しだけガスっていて、眼下に広がるはずの野尻湖を見下ろすことが今回も叶わなかったこと。これは、また次回の登山のお楽しみとして取っておくとしよう。

 

【登り】2時間25分

【山頂滞在時間】20分

【下り】1時間45分

【総所要時間】4時間30分

【距離】14.2km(Stravaによる)

【獲得標高】956m(Stravaによる)


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(30分)

ZARD

老若男女を問わず、誰もが発信者となり視聴者となる、動画サイト全盛の現代において、自分はそれをほとんど見ていない。調べ物やネットニュースを見たときなど、何かの弾みで週に1、2本見る程度だから、ほぼゼロに等しい。若い世代は「タイパ(タイムパフォーマンス)重視」だから、1.3倍とかの早送りで動画を視聴するとか、再生時間が長いと見てもらえないとか、映画を2時間見るのは面倒だからと10分にまとめた違法なファスト動画が再生数を伸ばしているだとかいう話をよく目にし耳にするが、自分はそもそもネット上の動画は見ないことにしている。有限の人生で、無数かつ無限に存在する無料動画を見ることに時間を費やすのは、99%以上無駄でしかないからだ。それは、大学生時代に1日の半分を「ニコニコ動画」を視聴して無為に過ごすというネットジャンキー生活を送り、結果として深い後悔に苛まれた自分自身の体験に基づく反省からの考えであり、今後もおそらく変わることはない。玉石混交のネットコンテンツの中で、動画はもっとも中毒性が高く、受動的で、連続再生される分だけ時間浪費効果が高い。多くの人がスマホを片手に動画に夢中になるのも、むべなるかなだ。大学生時代にすでに一生分に等しい膨大なネット動画を見てしまった自分にとって、動画サイトは時間を奪う「玉手箱」に映る。

 

そんな自分が、ごくまれにYouTubeで見る数少ない動画の一つが、アーティストの公式チャンネルに掲載されたミュージックビデオ(MV)である。今日は別の動画を見た後に、たまたまZARD「負けないで」が自動的に再生され、思わず見入ってしまった。1993年のリリースから今年で30周年を迎えるのを記念して、公式チャンネルで無料で公開されているZARD坂井泉水)本人が歌っているシーンの動画である。ZARDはテレビにはほとんど出演しなかったと言われているので、とても貴重な映像だ。ZARD全盛期の90年代に小学生だった自分は、まさに「ZARDど真ん中」世代。スラムダンクに、ドラゴンボールGTに、名探偵コナンにと、アニメソングのOP・ED曲では高頻度でZARDの曲が使われていたし、親の運転する車の中で、カセットテープから流れるZARDの曲をよく聴いていた記憶がある。特に「負けないで」は、マラソン大会のときに頭の中で必ず流れていた定番曲で、非常に思い入れが深いものがある。歌詞は当然全て覚えているし、カラオケに行けば90点以上を取る自信もある。そんな曲に思いがけず遭遇し、また全盛期の坂井泉水の映像を目にして、心の中は一瞬にしてZARD一色に。その興奮のあまり、今回の記事をしたためてしまったのだった。映像の中の彼女の輝きは今なお眩しく、その歌声は時代を超えて人々の心を励まし、支え、勇気づけ続けている。動画のコメント欄からそれを実感し、自分は今でもZARDのファンであることを改めて確信したのだった。

 

そういう偶然もたまにはあるもんだから、動画サイトは隅に置けない。

 

www.youtube.com

(45分)

パーフェクトブルー

久々に、強烈な印象を残す類まれな映像作品に出合った。故・今敏監督の1998年公開のアニメ映画「パーフェクトブルー」を見ての率直な感想だ。現実と虚構が交錯するサイコスリラーのストーリーがとにかく面白く、カットや演出も巧みで、設定も入念に作り込まれており、初監督作品とは思えないほど完成度が高かった。自分の心が作品世界にすっかり入り込んでしまって、映画が終わった後は、しばらく脱力し放心状態に。そこから現実世界に復帰するのに、1~2時間はかかったのだった。本作の鑑賞による鮮烈な印象と、鑑賞後も消えない後味は、「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」(1995年、押井守監督)や「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air / まごころを、君に」(1997年、庵野秀明監督)を見たときに匹敵するものだった。いずれも90年代後半の手描きセル画のアニメ作品であり、見る前と後とで、自分の世界観が不可逆的に書き換えられてしまうほどの「問題作」(いい意味で)だった。この時代にいかに傑出した作品が多かったかを訴える自分の中での証左に、本作が新たに加わることになったのは言うまでもない。本作の物語にはここではあえて踏み込まないが、映像的に過激なシーンも多いので、自分のように家族が出払っている平日に自宅で一人で見るのが正解だろう。自分は、先週から全国でリバイバル上映されているという記事を先月末にネットで目にして本作のことを初めて知ったクチだ。近所のGEOで「どうせあるまい」と思って探してみたら幸運にもDVDを見つけ、すぐに帰宅して昼下がりから見始めたが、もし劇場で見ていたら周りの観客が気になってここまで作品世界にどっぷり浸かれなかったことだろう。とにかく、「大人こそが見るべきアニメ」ということで、自分と同年代以上の「いい大人」にオススメしたい不朽の名作である。

 

 

(30分)

ほぼ日手帳2024

早いもので、気づけば9月も残り10日となった。連日の猛暑日で、熱中症警戒アラートが毎日発表され続ける異常な状態が7月下旬から8月末まで続き、もはや地球はエヴァの世界のように「常夏化」してしまったのではないかと思ったほどだったが、不思議なもので、9月に入ると季節ははっきりと秋へと移ろい始めたのだった。ドライヤーから吹き出されたかのようなあの熱風も、レーザー照射を受けたような痛みを感じるほどの強い太陽光も、今ではすっかり鳴りを潜め、過去の記憶の中の体験へと遠ざかりつつある。ただ、気候が穏やかになってきたからといって、体力・体調が回復するかというとなかなかどうして、そんなことはないのだから困ったものだ。相変わらず、日々の仕事でぐったりしていることには変わりなく、季節の移ろいを虚ろなまなざしで横目に見るのが精一杯。悲しいかな、「○○の秋」を能動的に楽しんだり、秋の夜長に月を見上げてしんみりしたりするような余裕は、今の自分にはない。瞬きするほどの間に、訳もなく1週間は過ぎ去っていく。変化に乏しい自分のことは、まだそれでもかまわない。だが、日々成長のめざましい子供のことも、時間の流れに任せて「やり過ごす」ようだと、人生の本質、人生の一大事を見失うことになるのではないかという懸念は常にある。自分の30代のプライオリティ、あらゆる行動原理は、家族・子供を最優先にすることが基本にある。あとで振り返ったときに、日々の悩みや葛藤、喜び、悲しみ、楽しみなどの「確かな足跡」は、何かほんの少しでもいいから、書き残しておかないと、40代になったときに「何も覚えていない。思い出せない」という虚無感にさいなまれるのではないだろうか。

 

・・・ということで、「日々のあれこれ」をとりとめもなく、思いのままに書き残すための記録として、手帳は自分にとってなくてはならない存在である。今年も「来年の手帳」を考える時期になったので、いつものアレにしようか、どうしようかと思っていたところ、ある手帳の発売を知り、即決で購入した。それがこの「坂本真綾×ほぼ日手帳 2024 weeks」(3,520円)である。

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自分が大好きなアーティスト、坂本真綾とコラボした、ほぼ日手帳weeksの別注版である。今まで使っていた「オリジナル」とは違い、1日1ページではなく、1週間で見開き1ページだし、サイズ自体もスマホを少し大きくしたサイズで、オリジナルより薄くて小さい。中のコンテンツもかなり絞り込まれている。ただ、数ページだがマーヤコラボならではのコンテンツ(内容は秘密)もあるし、表紙の写真、付録のしおりもセンスがよくて自分の好みに合っている。何より、もはやかつてのように「量的に」書けなくなった自分にとっては、このくらいの記入スペースの方が合っている。それで、購入を決めたのだった。なお、厚さを考えると、3,520円という値段設定はかなり高めだが、1年使うと思えば「1日10円」なので、自分としては許容範囲内である。weeksのページデザインを考えると、スケジュール帳を兼ねた使い方が適当だと思うので、来年は「ほぼ日の週間手帳」は使わないことになりそうだ。


手帳のことを記事にするたび、何だか毎年ほとんど同じようなことを書いているような気がするが、どれも「今、自分が考えていること」という点では紛れもない事実なので、仕方がないが目をつむることとしよう。来年の新しい手帳も今から楽しみだが、今年もまだ100日以上残っていることを忘れては禁物だ。あと3ヶ月弱、2023年の手帳としっかり向き合って、日々をもっと楽しくするために活用する方法を意識したいと思う。

 

(60分)

シン・職場百考(5)~無盆休み

世間一般では、お盆休みの「6連休」が今日から後半に突入したところだが、自分には、今がお盆だという感覚は微塵もない。なぜなら、自分の職場は8月も毎日営業しており、職員には一律かつ定日のお盆休みなどというものはないからだ。職員が一斉に休みにならないように、通常の公休日を分散して割り振っているから、せいぜいその公休日がたまたまお盆に重なっていたら、「なんちゃってお盆休み」として2~3日休めるに過ぎない。しかも、8月は世間が夏休みということで自分の施設も利用者が多く、施設内は非常に混み合っており、それに比例して様々なトラブルも発生している。怒濤のような忙しさの毎日で、今が何月何日かも分からないほど、てんてこ舞いだ。たとえ休日でも、心が休みになることはない。

 

上記の解釈でいうところの「なんちゃってお盆休み」は、自分の場合、昨日と今日(13日、14日)の2日間なのだが、コロナ禍が明けたにも関わらず、どこか遠くに遊びに出かけるとかいったお盆らしいことは一切していない。操法練習の報告書が7月末に完成し、やりたいことも、やらなくてはいけないことも、ひとまずなくなったので、近所の買い物以外はただただ自宅で家族と過ごしている。実家には頻繁に立ち寄っているので、お盆だからといって実家に墓参りに行くこともなければ、特に親類が集うということもない。自分にとっては、故人やご先祖様は常にそこかしこにいる存在(≒お天道様)だと認識しているという理由もある。そんなことをしていると、普通なら妻が「どこかに連れて行け」と文句を言うところだが、妻は妻で、昨日まで自分の実家に子供を連れて帰省し、豪華な料理を食べたりプールに遊びに行ったりと羽を伸ばしまくっていたので、今のところその心配はなさそうだ。そもそも、暑すぎて外に出るのは危険という事情もある。妻の帰省していた3日間のうち2日間は、自分は勤務日だった。その間にしていたことといえば、普段は18時までしかできない超勤を両日とも21時半までして、溜まった仕事をやっつけたりと忙しく働き、食事は1日目の夕食はスーパーで半額になったトンカツを食べ、2日目は半額品すら残っていなくて冷凍パスタを食べるという貧相ぶりで、贅沢三昧の妻とは対称的に全くもってお盆らしさはなかった。

 

混雑が何より嫌いな自分は、もともと「お盆休み廃止論者」なので、お盆に働くことそのものには抵抗感は特にない。大型連休も無くして、その休みを分散させるのがベストだと信じている。ただ、家族と休みが合わないという点においては、これは深刻な問題が生じかねない。職員の中では、やはりカレンダーどおり休みたい、世間一般と同じように休みたいという声が当然ながら多いので、多くの人にとって「無盆休み」というべき今の職場の働き方は、労働条件としてかなりネガティブに映ることだろう。利用者の利便性、利用者の獲得を優先して、今の営業日数を維持するか、労働条件を改善して優秀な人材を集めるために、営業日数を減らして職員がカレンダーに近い休み方をできるようにするか、そろそろきちんと考えた方がいいのではないかと思えてならない。


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(60分)

シン・職場百考(4)~無冷房職場

暑い。今年の夏はとにかく暑い。日中の炎天下に立つと、まるでドライヤーの風を受けているかのようだ。あまりの「熱」でアパートのネット接続の機器が故障し、交換するまで3日間ネットが使えなくなるトラブルも起きた。7月下旬から今日までの3週間、ほとんど毎日「熱中症警戒アラート」が発表され、「不要不急の外出はできるだけ避ける」「屋内でもこまめに水分補給する」「冷房を適切に使用する」ことが至る場面で呪文のように繰り返し注意喚起されている。だが、仕事に出かけないわけには行かないし、自分の仕事の性質上、草刈りや森の中の点検などの屋外作業も不可避だ。やむを得ず、熱中症のリスクを抱えつつも、長袖長ズボンの作業着に長靴を履き、滝のような汗をかいて、灼熱の炎天下に身をさらして働いている。最近聞くようになった「地球温暖化ではなく地球沸騰化」という言葉も、むべなるかな、と実感する。しかし、外が暑いのは当然としても、もっと問題なのは職場の事務室も相当暑いということだ。なんといっても、館内には一切の冷房がない。だから、外が猛暑日なら、事務室内も32℃近くまで室温が上がる。イスに座っているだけで汗がにじむし、少し移動するだけで、汗がしたたり落ちてくる。そして、屋外作業が終わっても涼むことすらできない。冷房がないことで、身体面でもモチベーション面でも、働くのが非常にしんどい状況を招いている。常に体が汗でベタベタして不快極まりないし、外の作業で帽子をかぶれば頭髪も乱れるから、もはや身だしなみもへったくれもあったものではない。10年来使っているUSB扇風機で辛うじて涼を取っているが、所詮は気休めだ。労働環境としては、相当厳しいものがあると言わざるを得ない。過酷な環境が続いて体力も気力も低下し、体重は過去10年でもっとも少ない56kg台まで減っている。今年の2月からの減少量は約6kg、半年で体重の1割を失ったことになる。自分はどちらかというと冷房は好きではない(快適すぎる環境は人間をダメにすると思う)し、使わなくてよいならそれに越したことはないと思っているが、そんな自分にとってさえも、この熱波の中で職場に冷房がないのは、あまりにも耐えがたいと感じる。

 

冷房のない宿泊棟で寝苦しい夜を過ごす利用者からも、「事務室くらいは冷房があっていいのでは」と同情されるが、財政難の折、エアコンを新たに設置する計画は今のところないようだ。暑さを凌ぐために冷房をかけ、冷房のために化石燃料を燃やして発電し、それによって生じた二酸化炭素や廃熱でさらに温暖化が進んで「地球沸騰化」する・・・という悪循環に陥ってしまっているとすれば、省エネ・節電の努力も何だか空しく感じてしまう。立秋を過ぎてもまだまだ猛暑が続いているが、一刻も早く暑さが収まり、この状況が改善されることを願うばかりだ。

 

※1年以上が経ち、もはや「新職場」ではなくなったが、出向先について思うところはまだまだあるので、タイトルを「シン・職場」に変更して、このシリーズを継続することにする。シンには「真」「深」「辛」などの意味を込めた。

 

(60分)