昨日の朝、子供の精神的な発達を強く実感する出来事があった。起床してリビングに出てきた子供が、「今日は学校に行きたくない。学校を休みたい。」と訴えてきたのである。理由は、「夜よく眠れなくて、眠いから」だという。
その瞬間、2つの考えが頭を巡った。1つは、大人・親の考えの決めつけ・押しつけはしたくないということ。自分も教育業の末端に携わっている職業柄、不登校の児童生徒数が全国で30万人以上に上ること、中学校だとクラスに1~2人の割合で存在していることは知っていた。そして、自分が子供だった時代と違い、今は学校に行かせることが唯一の選択肢ではなく、「学校に行くことができない子供の『居場所』を作ること」こそが大切なのだという考え方に接していたし、自分自身もそれを共感を持って理解していた。したがって、「眠いという理由はサボり」とか「とにかく学校に行きなさい」といったステレオタイプなことは言わないようにしようと思った。もう1つ思ったのは、反対に、子供の表面的な言動をそのまま鵜呑みにすると、安易な逃げ道に誘導しかねないということだ。「水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる」という「攻殻機動隊S.A.C. 2nd GIG」の有名なセリフにもあるように、一度楽な道を知ってしまうと、例え険しい道を進む力があったとしても、楽な方にたやすく流されてしまうのが人間の性(サガ)だ。「いいよいいよ、休んで大丈夫だよ」というのは、場合によっては本人の堕落を後押しするだけにしかならない可能性もある。いくら一般的に「学校に行くことだけが正解ではない」「学びのスタイルも多様化してきている」と言われていても、だからといって不登校の子供を積極的に増産していいという訳では当然無いし、不登校の子供を抱える親の悩みの深さは想像に余りある。もしこの日がその最初の一歩になるとしたら、自分の対応の責任は重大だと思った。妻は本人に理由を尋ねつつも、静観の様子だったので、自分が子供と向き合うことになった。
まず、一番手っ取り早い方法として試したのは、「アメとムチ」の「懐柔策」だった。「眠いからという理由で学校に行かない子には、サンタさんは二度と来ないよ」とか「学校に行けたら、今日は児童クラブ(本人はあまり好きではない)に行かずに15時にお迎えに行くよ」といった具合だ。いわゆる「馬にニンジン」戦略である。しかし、子供も気勢を上げて「学校休む!」を連呼していて、こんな方法が通じる状況ではなく失敗した。
次にやってみたのは、「理由を何度も質問する」ことだった。「何で昨日はよく眠れなかったの」「学校に行きたくないのは他に理由があるの」といったことを少しずつ内容を変えて何回も尋ね、子供の本心を探ると同時に、本人にも自分の気持ちや状態を自覚させるように働きかけようと試みた。すると、眠れなかった理由は「寝ている間に布団がズレて、布団を直すために何度も目が覚めたから」で、「学校の友人関係や、授業がイヤだという訳ではない」ということを、本人の口から引き出すことができた。ここで「友達にいじめられた」「授業がよく分からなくて勉強に集中できない」という話が出てきたら、登校させないことも考えようと思っていたが、そのような背景はなさそうだということが分かってきた。
実際には欠席連絡もウェブフォームからの申請だが、子供には電話と言ったので、子供は「学校に電話しろ!」と言って自分に殴りかかってきて、大騒ぎし大暴れした。そんな中で「学校に行きなさい」と断固たる態度を取りつつ、質問を繰り返すことおよそ20分、子供も落ち着いてきて、お腹が減っていることに気づいたのか、テーブルに就いて、用意してあった朝食を食べ始めた。すると、「朝、学校に車で送ってくれるなら」「児童クラブを休んでいいなら」「新しい冬物のジャンパーを買ってくれるなら」、学校に行くと口にした。いずれも自分が提示した条件だったので、「わかった」と答えると、態度を一変させ、おとなしくいつもどおりに登校の身支度を始めたのだった。こうして、ひとまず今回の登校拒否は未遂に終わったのだった。
今回の件を通じて、「いつかは起こる」と思っていることは「いつでも起こりうる」と捉え直した方がよいのだと身をもって感じた。不登校の増加はニュースでたびたび目にしていたので、我が子のケースだったらと時々考えていたことがこの日の対応に結びついた。ほかのニュースも同じ視点で、自分ごととしてシミュレーションすることが大切だろう。そして、「パパも水曜日なのに仕事を休んでいる」(シフト制なのでその分土日も仕事していると反論したが)といったように「根拠を持って親に堂々と反対意見を主張する」という子供の心理的な発達をまざまざと見せつけられたと同時に、子供が昔のことを結構覚えていることにも驚かされた。学校を休むということを訴える過程で、「保育園の時に土曜日なのに園に1日預けられて、パパとママはお出かけしていた。寂しかった。そのときの分、今日休む!」と声高に主張していたのだ。これは遠方でのクラシックのコンサートが未就学児不可だったので、仕方なく預けた日のことだったのだが、よく覚えているものだと感心するとともに、子供はそういうふうに受け止めていたのかと妻共々ドキッとさせられた。子供が毎日楽しく保育園に通っているからといって、土曜日に預けるのも同じというわけではなかったことを知って、少し反省したのだった。
こういった子供の成長を間近で感じるのは、親として試練であると同時に大きな喜びでもある。今回のようなバトルにいつエンカウントするとも限らないので、自分も日常的なシミュレーションで備えておくとしよう。
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