イクシゴ論(8)「卒園を間近にして」

3月も残り2週間を切った。それはすなわち、子供の保育園生活も残りわずかということだ。卒園に向けて、子供自身にとってはもちろん、親である自分にとっても、過ぎていく1日1日のかけがえのなさと重みを、ひしひしと感じている。

 

子供が保育園に入園したのは2018年11月、満1才3ヶ月のときだった。今月末の卒園時点で満6才8ヶ月だから、5年5ヶ月もの長きにわたって同じ園に通い続けたことになる。ほぼ小学校と同じ長さであり、3歳から通い始めた自分自身と比べると倍の期間である。子供の人格形成や、知育、運動能力、社会性などを育む面で、保育園生活がいかに大きな存在であったか、物心つく前から一緒に過ごしたお友達や先生方が本人にとってどれだけ大きな存在であるかは、自分とは比較にならないものであるはずだ。子供自身もそれを意識していて、この前は、卒園式で歌う歌の練習をしていたら、さびしくなって泣いてしまったと話していた。我が家も含めて、通っている子供たちの家の地区はバラバラで、進学する小学校もほとんどの子が別々になる。保育園から小学校に友人関係がそのまま持ち上がりになった自分と違い、交友関係が進学を境にリセットされてしまうのは、親にとっても不安な要素である。

 

小学校で新しいお友達ができて、楽しく元気に平穏な学校生活を送って欲しい・・・。自分が今もっとも子供に望むこと、願うことは、ただそれだけだ。成績だとか、出発時間を意識して身支度をするとか、持ち物を整理整頓するとかいったことはもちろん大切ではあるが、何が何でも今できなければいけないことではない。「小1プロブレム」という言葉もあるように、小学校に進学するこのタイミングでうまく適応できずにつまづいてしまうと、その後が大変なのは目に見えている。だから、年度替わりや、人の入れ替わり、自分自身の部署異動などで、仕事がアップアップになっている中でも、子供の気持ちに寄り添い、今まさに大きな壁を越えようとしている子供に対して、正面から向き合う態度を大事にしなければならないと強く感じている。それは本当に難しいことだ。だが、仕事は何か不備があっても、最悪あとでリカバリーすることもできるが、子供の問題は取り返しがつかないこともありうる。仕事と家庭の両立で常に意識してきた「優先順位(プライオリティ)」の考え方が、今ほど強く求められる場面もあるまい。

 

子供が生まれてから現在までの約6年8ヶ月を振り返ってみて思うことは、「本当に長かったし、壮大な道のりだった」ということだ。妻は「もう小学生だなんて、あっという間だった」と言うが、自分の感覚は全くその逆だ。自分が生まれてから子供が誕生するまで30年よりも、子供が誕生してから現在までの日々のほうが遙かに長かったように感じる。なぜかと言えば、理由は二つあると思う。一つは、子供の成長のスピードとそれによる変化があまりにも劇的だったからだ。子供の幼児期の成長というのは、本当に目を見張るものがある。乳児の頃は、オギャーと泣いて、ミルクを飲むくらいしかできなかったのが、ハイハイで移動できるようになり、二足歩行ができるようになり、オムツが外れて自分で用を足せるようになり、今では大人もたじろぐほどのおしゃべりマシーンになって、ひらがな・カタカナまで書けるようになった。例えは変だが、地面から姿を現したタケノコが、立派な竹になったと思ったら、そのまま伸びに伸び続けて大気圏を突き抜けてしまったくらいに、これは異次元で想像を超えた変化だった。誕生当初から録り溜めてきた子供のビデオには、その足跡がしっかりと刻まれている。これに比べれば、自分の十代、二十代の成長なんて、吹けば消し飛ぶほどの微々たるものでしかない。だからこそ、過去30年より、この6年余りの方が長く感じるのだ。そしてもう一つの理由は、自分の日常の歩みがつねに子供とともにあったからだ。子供が生まれて満1才になるまでの頃は、妻が育休を取っており、自分が長時間労働のブラック部署で働いていたこと、趣味への情熱がまだ冷めていなかったこともあり、残念ながら今より子供と接する時間は少なかった。しかし、満1才を過ぎたころを境に、「妻ではなく自分が中心になって育児をしよう」と改心し、仕事以外の時間はほとんど全て子供と過ごすことに充てるように劇的に転換した。それは自分の人生にとって、コペルニクス的転回というべき、非常に大きな、かつ不可逆的な変化だった。従来は仕事に支配されていた平日の夜は、家で育児・家事をする時間に変わり、休日もほぼ24時間、子供と過ごすようになった。時間の使い方が「家事育児のスキマ時間で仕事・趣味をする」というスタンスになり、限られた時間を最大限効率的・効果的に使うためのタイムマネジメントや段取りのスキルが急激にレベルアップした。これは「育児あるある」としてよく言われるとおりである。気づけば保育園の送り迎えの7割は自分が担当し、子供を児童館や公園で遊ばせるのも、カラオケに行くのも、雪遊びをするのも、妻不在で自分が専ら担当するようになっていた。子供を医者や床屋に連れて行ったり、保育園の参観に行ったりするのも、妻の同行は必要なく、自分だけで問題なくこなしている。そうして子供とずっと過ごし、常に傍らで見守ってきたからこそ、子供は今でも「おんぶして!」とせがんで甘えてくるし、喜怒哀楽を包み隠さず自分にぶつけてきてくれる。自分のやりたいことは後回しで、子供のために今自分が何をすべきか、何ができるかを考える中で、自分自身が年を取ることへの関心や時間感覚は希薄になり、子供が大きくなることに時間の価値を見いだすようになっていった。だからこそ、自分の人生の時計の針が、子供が生まれた2017年から動き出したような錯覚を覚えるのである。

 

10年ほど前に、飲み会の場で上司が語っていた言葉をよく思い出す。それは「自分は子供のおかげで『親という経験』をさせてもらっている」というものだ。「親は子供に『親』にしてもらった」と言い換えると分かりやすいだろうか。それは自分自身の実感とも、全くもって重なるもので、120%共感せざるを得ない。子供がいなければできなかった経験をたくさんできたし、考えもしなかったことをたくさん考えるようになった。子供のいる日常は、自分にとって非日常の世界へ足を踏み入れることだった。今の職場である青少年教育施設で働く上でも、自分が親であることで得られた経験や意識は、様々な場面で役立っている。子供がいなければ、ペールオレンジ色のことを未だに肌色と呼んでひんしゅくを買っていたかも知れないし、ここで子供が転んだら怪我をしそうだとか、この重さは子供は持てないだろうといった「子供目線」のKY(危険予知)の発想が瞬時に浮かぶこともなかったかも知れない。それと同時に、自分が社会を見る目、見ず知らずの人々に向ける視線も、かつてに比べると丸くなったように思う。20代の頃までは自分中心に物事を考え、世の中に対して不満ばかりで、他人に対してあまり関心を向けていなかった。だが、子供を持ってからというもの、たまたま出くわしただけの人たちが、様々な場面で子供に優しく親切に接してくれるのを目の当たりにして、「自分が思っていたよりも、世の中には優しい人が大勢いる」という素朴な気づきを得るに至った。それによって、自分は以前より他人に対して寛容になったと思うし、自分もまた我が子以外の子供にも優しく親身でありたいと思うようになった。「思いやり」という言葉の意味や意義に気づかされたのは、子供ができたおかげに他ならない。そうして、現在進行形で、自分は子供によって、親として成長させてもらっているのである。子供が成長し続けること、子供とともに様々な経験をすることが、自分が成長するための最大の源泉だと言えるだろう。

 

そうした子供中心の日々を送っていた自分の日常も、小学校進学を機に、大きな節目を迎えることになると思う。子供は、自分一人でできることがますます増えていくことだろうし、今までほど親にべったりということはなくなってくると思う。「親がいなくても生きていけるようになる」ことが真の「自立」であり、育児の最終目標であるとすれば、それは歓迎すべきことだ。我が子は、無口で人見知りな自分とは正反対に、おしゃべりで賑やかで、人懐っこくて、初めての場面や初対面の人にも物怖じせずに飛び込んでいく。誰かとお別れするときには「タッチとギュー」を欠かさないが、これがとりわけお年寄りには効果絶大で、「いい子だ、いい子だ」と好かれまくる。この生まれついての「人たらし」スキルという強力な武器を装備している限り、世渡りに困ることはないだろう。知能的にも、自分が6歳だった時よりもよっぽど先に進んでいる。ただ、そうして子供の成長に気を取られているうちに、気づけば自分も年を取っていた。これからは、子供と一緒にやりたくても、自分の体のほうがついて行かないことも徐々に多くなってくるかも知れない。子供にとっても、自分にとっても、ちょうどいい距離感を探っていくステージに入るタイミングが、今なのだろうと思う。子供には、親孝行だとか世間体なんて一切考えなくていいから、自分のやりたいことを見つけて、目標に向かって突き進んで欲しいと心から願っている。ただ、その反面、天真爛漫で、絵に描いたように子供らしい我が子の姿を見ていると、それはもう少しだけ先のことであって欲しいとも思う。

 

今の自分にとって、子供のことを考えることは、自分の生き方・考え方と向き合うこととほとんど同義で、語り出すと際限が無い。なので、思いは尽きないが、この辺で一旦終わりにすることにする。電車賃や入館料が無料とか、ミニうどんが無料だとか、幼児限定のサービスを受けられるのもあとわずかだ。名残惜しむより、今を楽しむ気持ちをもって、卒園までの日々を子供とともに大切に過ごしていきたい。

 

(170分)