「ながら」の常態化

相変わらず、休日はほとんど24時間、子供とつきっきりで過ごしている。子供と離れる時間は、個人的な買い物や朝活読書会、消防団などの用事があるときだけだから、土日合わせても2 〜3時間くらい。用事が何もなければ、離れる時間もゼロになる。子供と遊ぶのは楽しいが、いたずら盛りの2歳の子供と真剣に向き合うには、体力も気力も忍耐力も必要だから、とにかく大変である。子供が元気であればあるほど、大変さは増すことになる。だから土日祝日は、自分にとっては平日と変わらない。いやむしろ、平日の昼間より困難な仕事だと感じている。


子供と一緒にどんなことをしているかという話はまた別の機会にしたいと思うが、家事をしながら育児をし、休日は何もしない主義の妻の面倒も見なくてはいけないので、とにかく自分自身のことに集中できる時間がない。一人で家から出られないので、自転車で走るといった趣味はもちろんできないし、ゲームや漫画のような娯楽もできない。少しでも気分転換するためにできることは、すべて、家事育児と並行して「ながら」でやれることだけである。例えば、台所で炊事をしながら録画したテレビ番組の音声だけ聴くとか、子供をおんぶしながらスクワットして筋トレするとかいった具合だ。新聞を読むとか、スマホをいじるとかいったことは、例え短時間であっても子供から目を逸らすことになるので、妻から厳しく禁じられている。読書も同様なので日中にはできない。車のながら運転はもってのほかだが、育児中の家庭では、ながらでできることで気分転換を図らないと、心理的にアップアップになるというのが自分の認識である。休日はずっとこんな調子なので、日記は何も書くことがなくスカスカの真っ白なページばかりである。加えて言えば、記録行為も妻からすると「時間の無駄」なので、妻の入浴中か、平日の昼間職場にいるときしかできない。このため白紙化はますます顕著になっていくことになる。

 

ながらでもいいから、何か自分自身のための行動をしようとするのは、気分転換であると同時に、知識を得たい、昨日より一歩進んだ自分でありたいという向上心の表れであるとも言えるかもしれない。だから妻に批判されるリスクを冒してでも、1分でもいいから、そうした行動をとろうとする。完全に育児家事以外何もしないと決めたら、妻との問題だけ考えれば今より平和になるかもしれないが、それは無給の労働に甘んじて自分自身のことを一切諦めるということであり、自尊心と向上心を放棄することにほかならない。いくらなんでも、そうなったら、人間として、もうお仕舞いというものだ。家事育児は大切だし自分も頑張っているが、だからといって「家事育児マシーン」ではない。一人の人間として、まだ生きているうちに、元気のあるうちにやりたいこともある。

 

ながらでの抗いは、人間としての尊厳を守るための闘いだ・・・。勝手にそんなふうにぶち上げて、これからも時間を勝ち取るためのたった一人の闘争は続く。

 

(40分)