イクシゴ論(7)「アンコンシャス・バイアスへの苛立ち」

日本社会は、「アンコンシャス・バイアス」(unconscious bias)に満ちあふれている・・・と最近つくづく感じる。これは、「無意識の偏ったモノの見方」を意味する言葉で、新聞やテレビ等のメディアでもこのところ見聞きすることが多くなってきた。内閣府男女共同参画局発行の広報誌「共同参画」2021年5月号の巻頭特集によれば、以下のようなケースがアンコンシャス・バイアスに当たる一例とされている。(長いので以下本文中では「アンコン」と表記する。)

 

○血液型をきいて、相手の性格を想像することがある
○性別、世代、学歴などで、相手を見ることがある 
○“親が単身赴任中です”と聞くと、まずは「父親」を思い浮かべる(母親は思い浮かばない)
○「性別」で任せる仕事や、役割を決めていることがある
○男性から育児や介護休暇の申請があると、「奥さんは?」ととっさに思う
○子育て中の女性に、転勤を伴う仕事の打診はしないほうがいいと思う

出典:https://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2021/index.html#kyodosankaku_144_5

 

上記の例のうち、「血液型〜」は10年以上前に「バーナム効果」の事例として記事にしたことがあるものだ。どれも今に始まったことではない「あるある」的な光景だが、育児をしている親にとっては迷惑極まりないものばかりである。人々の意識の中に長い年月をかけて深くしっかりと刷り込まれているだけに、簡単にこうした意識が変わることは期待できず、しかも、偏見であることに気づくことすらないまま無意識に悪意もなく(むしろ時には善意で)日常的に繰り返され続け、刷り込みの強化が続くことになるのだから、たちが悪いことこの上ない。

 

自分の身の回りで実際に起きている日常の出来事も、アンコンだらけである。例えばこんな具合だ。

 

○職場で昼食にカップ麺を食べていたら、「今日は奥さんに弁当を作ってもらえなかったのか?」と上司から茶化された
→家での食事や弁当は妻・母親が作るものというアンコン(ちなみに我が家では早起きしたほうが弁当を作るし、この4月以降は自分の弁当は作らないことにしている。食事の準備も半々くらいで分担している)
○会社から自分の個人口座に入金があったので経理担当者に確認したら、出張旅費の振り込みだったことが分かったが、その際に担当者から「奥さんには秘密にしといたほうがいいですよ」と「アドバイス」された
→家計の管理は妻がするものというアンコン(ちなみに我が家では、自分が全てのレシートを集めてパソコンの家計簿に記録しているので、妻は一切タッチしていない)
○残業の多い部署には、過去10年以上、男性職員しか配属されてない
→女性(特に育児中の)を夜遅くまで働かせるのはかわいそう、というアンコン

 

こうしたアンコンには、「性別役割分担」の意識が色濃く現れている。いわゆる、「男性は会社で仕事、女性は家庭で家事育児」、「男は度胸、女は愛嬌」、「おふくろの味」といった類いの伝統的な固定観念である。最近はそうした旧時代的なジェンダー意識が露骨に見られる言動に対して社会的な批判が集まるようになってきつつもあるが、現実にはまだまだステレオタイプとして健在であると言わざるを得ない。アンコンは男性から女性に向けての偏見、とみなされることが一般的には多いと思う(もちろん、女性から男性に向けてのケースもあるし、男性対男性、女性対女性のアンコンもある)。たとえば、「配慮」という名のもとに女性に激務だが重要な仕事を担当させなかったり、「理系=男性向き」というイメージから親や高校教員が女子学生に理系学部への進学を積極的に勧めなかったり、結婚や出産に際して男性がパートナーに「俺が養うから仕事を辞めてもいい(あるいは辞めてほしい)」と言ったりといったケースが典型である。個人的にはいずれも「このアンコン野郎!」とぶん殴ってやりたくなるような虫酸の走る話だが、自分が今回訴えたいのはそこからもう一歩踏み込んだ問題だ。すなわち、「アンコンの被害を受けるのは女性」というのもアンコンの一種であり、実は「アンコンで一番割りを食っているのは真剣かつ当然に家事育児をこなしている男性」である、という主張である。

 

これは一体どういうことか。自分の事例で具体的に説明してみよう。自分は「家事育児は(女性ではなく)男性の仕事であり当然の義務」、「休みの日は子供と一緒に終日過ごすのが既婚男性にとってのデフォルト」だと思っている。一般的なアンコンのアンチテーゼとも言える考え方であるため、同世代の既婚男性とも完全に共感を得られないことがままあるし、年配世代ともなると男性だけでなく女性からも「異端視」を受ける場合がある。また、「育児中の女性に激務はかわいそう」という女性限定の「配慮」は、裏を返せば「男性であれば(育児中かどうかなど関係なく)激務でも大丈夫」という育児する男性への「無配慮」を認めることにほかならない。本人の適性と希望、家庭環境等を加味して行わなければならないことを、性別で一律に決めてしまうのは極めて不合理である。そのため、「家事育児があるから原則残業不可で、毎日18時退勤がマスト」という自分にとって必然かつ当然なルールが、職場の同僚には十分理解・納得されておらず、帰り際に自分がモヤモヤした感情を抱いてしまう原因となっている。さらに、3世代同居が多いこの地方の特徴として、「育児が大変ならジジババにやってもらえばいい」というアンコンが存在することも、自分のような核家族世帯の父親の立場を孤立化させる原因となる。子育て世代の女性でさえ、同居の親に子供を任せて夜遅くまで残業している姿が見受けられるのだから、彼女たちにとっても自分は異端に映っていることだろう。特に、最近は時々しか聞かなくなったとはいえ、イクメン」というのも男性の家事育児への「異端視」を助長する言葉で、当事者にとっては目障り極まりない無責任なものであるということをこの際強く断言したい。家庭においては、往々にして「ちょっと「手伝った」くらいで、「自分はイクメンだ」とか思ってんじゃないよ!」といった具合に妻が夫をディスる際に使われているだろうから、全くもって百害あって一利なしだと言わざるを得ない。イクメンという言葉を作った人や、それが実害しかもたらしていないことに気づかず、いまだに(たちの悪いことに、当人たちにとってはポジティブな文脈で)使っている人たちに対しては、時として腸が煮えくり返るような激しい怒りを覚える。義務・本務として当然かつ真剣に、妻よりも大量に家事育児に取り組んでいる男性にとっては、「手伝う」という当事者意識の欠如を意味する表現を受けることは何物にも勝る最大の侮辱である。しかし、現実にはお手伝い感覚でしか取り組んでいない(しかも呆れたことに自ら「手伝う」というNGワードを発言する)男性がまだまだ多く存在することもまた厳然たる事実であり、歯がゆさを禁じえないところである。

 

とにかく、アンコンにどっぷり浸かった人々にとって、女性と同等かそれ以上に家事育児をする男性は、常識とはかけ離れた存在として映るのであり、アンコンを受けるマジョリティである女性との対比では圧倒的なマイノリティという意味においては、最も割りを食っている立場にあると言えるのである。アンコンは今でも日本社会で再生産され続けており、目覚ましく改善するような兆しは今のところ見当たらない。したがって、マイノリティとして声を上げ続けることが、自分にできるせめてもの抵抗と言えるだろう。誰にも気付かれない怒りと、静かな戦いの日々は、これからも続く。

 

(135分)