血液型と性格

以前から、血液型から人の性格を決め付ける風潮には嫌気が差していたし、自分がB型なだけに、その中でのB型の扱われ方には憤りを感じていた。

また、個人的にそうした決め付けに反論するための理論武装には、人一倍神経を尖らせてきた。

そもそも、科学的な根拠の有無はともかく、何十億もいる世界の人間がたった4パターンの性質にあてはめられるなんて、あまりにもつまらなくないか、と感じてもいた。

それだけに、少し前に週刊ダイヤモンドの特集で血液型性格診断には全く科学的根拠はなく、単に心理学上バーナム効果http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%A0%E5%8A%B9%E6%9E%9C)と呼ばれる、人間の心理を誘導して信じ込ませる手法を利用したデタラメな概念に過ぎないということを知ったときは、胸がすく思いをしたものだった。

大体、日本人はこういう風に色んなことを型にはめる考え方に蝕まれすぎていると思う。

高機能携帯や高速通信回線など、世界中のどの国民より最新科学の恩恵を受けているはずなのに、身の回りにあふれている様々なものの動く仕組みだとか、科学の分析手法といったものに疎いのも、科学の基本である「まずは全てを疑ってかかり自分で考えてみる」という姿勢が弱いのも気にかかる。

科学や技術があまりにも当たり前に、自然に作用しているせいか、それらが生まれ普及するまでの様々な人の労苦に対して、省みて尊敬したりする態度も足りないんじゃないか。と、かつてNHKの番組「プロジェクトX」でものづくりにかける男たちの熱いドラマを見て感動に打ち震えていた身としては不安に思う。

また、日本人はマスコミの伝える情報を重視し、共有しようとするあまり、思考的行動的に首尾一貫しなくなっているのではないだろうか。

あるときは「個性が大事だ。ナンバーワンよりオンリーワンだ」なんて言ってるかと思えば、またあるときには「あの人はB型らしいよ。B型ってマイペースなんだよね。見てると確かにそういうところあるよね。いつも食べるの遅いし」とか言って、その人のありのままを見ようとせずに、生まれながら変えられない要因で特に深く考えもせしないまま型におしこめようとしてしまっている。

そういう人はきっと少なくないと思う。

牛が焼かれることに対しては「おいしそう」とは思えど、どうやって殺され解体されたかは考えないのに、犬や鯨が同じことをされることに対しては、「かわいそう」と思って、なんて残酷なことをするんだと憤る。

割と自然な反応としてありえそうなことだけど、これは生き物に対する日常的な無意識下の差別にほかならない。

人間が動物の命を頂いて生きている以上、それらの命を平等に扱うのがせめてもの礼儀というか、罪滅ぼしではなかろうか。

その手は話には一家言あるのだが、まあそれはともかく血液型がどうとかなんていう話は、全くつまらないものだと思う。

人間はもっと多様で、単純に「こう」と決め付けられないからこそ人間らしいのであり、面白いものであるはずだ。

だってそうでしょ?自分は60億分の1の個性を持ってるんだ!って思ったほうが、自分のことをもっと好きになれると思わない?4分の1の存在だと思うよりもさ。

それを何かに役立てている人がいるかもしれない以上、占いや性格診断の類を否定する気は無いのだが、それを鵜呑みにすると意図せずして心が貧しくなってしまいかねないという危険性には、どうか気づいて欲しいと思う。

(転載:加筆訂正30分)