大学で学んだこと

卒業までまだ半年近い時間はあるし、もしかしたら一年延びることもあるかもしれないが、後期が今週から本格開始するし、卒論を書くかもしれないし、いい機会なので大学での学問から学んだことを総括してみたい。


大学で学んだことの一つ目は

「全ての常識を疑え。そして自分で考え、真実を自分の目で確かめよ」

ということ。

これはすなわち、仮説と実証という方法論を取る近代科学の大原則であり、科学的に物事を考えるときの原点となるものだ。

大学に入ってから、専門である経済学のほかにも講義やゼミで様々なことを学んだが、その中で常識を覆される機会というのは何度もあった。

例えば、アメリカが大恐慌を脱したのはニューディール政策のためではなく、第二次大戦で軍需景気が起きたからだとか、地球は本当は温暖化していないかもしれないとか、ダイオキシンはそこまで有毒なものじゃないだとか。

そういうことを通じて、「世の中で平然と流布し、マスコミが大々的に騒ぎ立てることの全てを、当然のように受け入れてはいけないんだな」、「学問というのはこれが絶対的に正しいことなんてなくて、常に流動的なものなんだな」、ということを思い知らされ、多角的な視野を持とう、まずは「それって本当か?」と疑ってかかろう、と思うようになった。

そしてどれだけ知識を持っているかより、どれだけ色んな観点から物事を捉え深く洞察できるかのほうが、ずっと重要な能力なのだということも知った。

よく言われるように、高校までは明確な答えがあって、それを覚えれば十分だが、大学、そして社会に出てからは絶対的な答えはなく、答えを出すことよりなぜその答えに至ったのかを示すことがより重視される。

歴史の年表に書かれているのが実際に起きた「点」なら、各行の間の何年間かの空白はその出来事に至るまでのプロセスである「線」。

その線の流れを考えるのが、大学の勉強なのだ。

期末試験でも、論述問題で問われるのはとどのつまり「なぜそうなるのか」ということであり、結論につながるスムーズな流れを示せることが得点に繋がる。

それに気づいているかどうかが、もしかしたら単位が取れるか取れないかの一つの分水嶺になっているのかもしれない。


大学で学んだことの二つ目は

「全ての富の源泉は農業から生じる」

ということだ。

これは経済学を学んでいて達した考えで、でも今は学問的な背景を抜きに感覚的に捉えているのだが、要するに「食べ物が無ければ誰も生きられないから」というのがその理由。

全ての人は農家(以下漁業、畜産業とかも含める)の人が食べ物を作ってくれているおかげで生きられるのだから、全ての産業は、農業の上に成り立っているのであり、人間の生存に最も重要な産業は農業だということだ。

だから自分は、毎日食事する際に合掌しては、食べ物が食べられるありがたみをかみ締めている。

またどんな仕事をすることになっても、農家の人には絶対に頭が上がらないと思うし、なれるものならいつか農業に携わって多くの人の人生を支えたいと思っている。

今はまだ農業のことなんて少しも知らないのだが、本はたくさん買ってあるし、実家の祖父母は畑をやっているので、これから少しずつ勉強したいとも思っている。

だから何なのか、というとつまり、「食べ物が毎日不自由なく手に入るのがどれほど『当たり前ではない』かを認識して、農家の人の所得と地位の向上を応援しましょうよ」ということだ。

農家が総理大臣より偉い、なんて言ったら多分に語弊があるかもしれないが、極端に言えばそういうことで、二次産業、三次産業に携わる人はそこらへんを意識して欲しいなということ。

そんな偉そうなことを言える立場ではないのだが、まあそういうことで。



・・・こういう硬いことを書いてると非常に時間がかかるし疲れるしなので、以降は自分のためにももっと平易で日常的な話題にしたいところ。

(120分)