三本柱

学生時代から大事にしてきた、自分の精神的支柱となる概念、基本理念というべき言葉を3つ、ここに掲げておく。


座右の銘「いつ死んでも後悔しないよう、今を精いっぱい生きる」

自分自身が非常に重要だと考えているにも関わらず、なかなか実現できてない事柄への注意を喚起するために、常に傍らに置き、自分を戒める言葉。それが、座右の銘だと思う。平和な日本に暮らしていると、自分の死という将来に無頓着になりがちだ。だが、死は遠い将来の話ではなく、自分のすぐ傍で常にスタンバイしている。そのことを忘れずに今この時間を大切に生きなければ、いざ死ぬときに後悔が残ってしまう。死ぬときは何の未練も残したくない。だから、この言葉を座右の銘として、自分に危機感を植え付け、今を全力で生きるとともに、何でもない毎日に感謝する気持ちを大切にすることが出来るよう心掛けている。正直、ドイツから生きて帰ってこられる保証はない。ちょうどオリンピック期間中だし、テロ事件や事故に巻き込まれる可能性だってなくはない。そのため、この言葉の重要性はますます高まっている。


②人生観・世界観「因果応報」

因果応報は仏教用語から来た四字熟語だ。良いことをすれば良い結果が出るし、悪いことをすれば必ず災いが返ってくる。善悪諸行の全ては天に見られている。そんなふうに自分は解釈している。だから、誰も見ていなくても悪いことはしてはいけないと思うし、良いことがあったときには運を使い果たしたからこれから悪いことがあるかもしれないと身構える。働かないで楽して儲けようなんて考えたら必ず罰が当たると信じている。この言葉の力で、自分の良心は保たれているし、悪いことをしている人達にも恨みや憎しみを持たないで済んでいる。また、例え自分に不幸なことが起こったとしても、日頃の行いが悪かったのだと謙虚に反省出来る。科学の力で傲慢になった人類には、死をも司る超越的な何者かの存在という概念による観念的外部圧力による自制が必要なのではないかと思うのだ。この言葉は、自分の人生観、世界観そのものだと言っていいだろう。


③哲学「首尾一貫」
論理と行動、生きざまに、一本筋が通った人間でありたい。ずっとそう思ってきた。大人になって、社会のさまざまな矛盾や不合理が見えてくるにつれ、自分自身の軸をしっかりと持たないと、世の中の流れに自分の意志がかきけされてしまうという危機感は強まった。「それって本当なのか」と常識を疑い、自分の頭でもう一度考えるという科学的思考がいかに大切か、大学を出てからその価値の大きさにつくづく気づかされた。大学で学び養うべき最大の要素は、「常識を疑う心」ただこれ一つに尽きる。首尾一貫という哲学を貫くため、その理想に向けて前進するために、ブログの果たす役割は極めて大きい。

(60分、パソコン+携帯)