人格崩壊

一泊二日の事前研修を終え、今夜22時過ぎに帰宅した。あまりにも長い2日間だった。今の気分は、一言でいえば最悪。今回の独行きは研修ではなく交流事業であり、特命付きの「官費留学」に近いことを思い知らされ、ひたすら絶望に次ぐ絶望に苛まれ、苦しみ続けたのだ。楽しみだなんて期待感が心に芽生えたことはとうとう一度もなかった。なぜなら、事前、事中、事後の課題を山のように課せられ、ドイツでの「心を開いた」交流を求められたからだ。国のお金を使って行かされるのだから、受身の姿勢で務まるような生易しいものであるはずがなかった。事業仕分けで事業の存廃が審議され、「費用対効果」や「成果」が厳しく査定される現在ならなおのことそうだ。その上、初めて対面した日本側の参加者とも、ちっとも親しくなれなかった。自分は義務的に参加させられたが、他は自ら立候補して申し込んだ人達なので、そもそもの意気込みが全く異なる。周りは当然ながらやる気満々だし、海外交流も何のそのの極めて高いコミュニケーション力(りょく)、「ハイパーコミュ力」の持ち主ばかりだった。そんな中、自分一人だけは完全に目が死んでいて、顔はひきつっていた。ついていこうとしたが、ついていけなかった。「いやいや来ました」なんて口が裂けても言えない。かといって、空元気で明るく振る舞って誤魔化せるようなレベルの話ではない。もはや、周りの人間が同じ日本人とは思えないほどに、彼我の差は大きかった。自分は日本人同士の間でさえも溶け込めないのに、どうしてドイツ人と意志の疎通が図れるだろう。そのお先真っ暗な前途を想像すると、心拍数が上がり胸が痛みを伴って苦しくなる。これは自分にとって破滅をもたらす災厄(ハルマゲドン)だと思われた。


東京から家に帰る前に、上野で待ち合わせをして東京在住のH氏にあった。誰かに今の気持ちを吐露したかったのだ。資料を見せつつ一連のいきさつや自分の置かれた状況について説明すると、彼はすぐに自分の気持ちを理解してくれた。「これはヤバいでしょ」「俺なら絶対に行かない、行きたくないよ」という彼の反応は自分の率直な気持ちと全く同じであった。何より考えることが同じだなと感じたのは、「これに行ったら、人格ぶっ壊れるよね」という言葉を聞いたときだった。まさにそう、そのとおりなのだ。今の自分にとってこの事業への参加は、性格というより、もはや人格の域において、適応限界を超えた事象なのである。例えてみれば、車に空を飛ばせようとする位に要求のレベルが実際の能力から著しく乖離している。最初に待ち受ける事態の想定を見誤った自分はさながら、高い崖から空中にダイブしてしまった車のようなものだ。一瞬飛んだかに見えるが、結局は地面に激突してぺしゃんこにつぶれる運命にある。砕け散った後に新しい自分が姿を現すのか、それとも完全に気が狂ってしまうのか。いずれにしても今までの自分の人格は崩壊する訳で、どうなってしまうのか恐怖でしかない。彼との40分ほどのやりとりで、自分は合宿研修で周りと離せなかったうっぷんを晴らすかのごとく怒涛のように喋り、少しだけ気が紛れたが、しかし楽観的な気持ちが持てたことは一切なかった。


何で自分が選ばれたのか、そして最初に話が持ち上がったあの時、上司に「無理です」と断固として断ることが出来なかったのか。上司に媚び、重要な決断を安易に下してしまったことに深い深い後悔をしながら、断頭台に上がる時を待つような日々を、これから1ヶ月送ることになる。もはや正気では、いられない。今この瞬間から、人格崩壊は始まっている。

(60分、携帯)