呪縛

去年の8月に国際交流事業の一員としてドイツに行ったことは、自分の中ではもう過去の出来事であり、ドイツ人との交流も、職場でドイツの話について訊かれることも、今はもうない。出国前に抱えていた精神に異常を来しかねないほどの不安も、帰国時にはすっかり解消されていた。では、あのドイツでの2週間は自分の中で「いい思い出」としてすっかり片付けられているかというと、そんなことは全くない。ドイツでの経験を「よくやった」とポジティブに受け止めていたのは、帰国直後がピークであり、時間が経つにつれて「もっとあのときこうしていれば」「何であのときあんなことをしてしまったのか」という後悔の念に苛まれることが多くなった。日常生活のふとしたときに、そのネガティブな感情が唐突に沸き上がってきて、自分を苦しめる。そのたびに「ああ、もう!過ぎたことじゃないか」と苛立ち、不毛な感情をかき消そうとするのだが、それは一時的に視界から消えるだけで、本質的に解消されることはない。何度も何度も、そうした後悔は自分の心に襲いかかってきて、「日本人として、一人の人間として、あるべき行動を取れなかった自分」のことを激しく叱責する。「全体的に誠意と礼節を欠いていた」「国際交流が目的なのにドイツ人とあまり積極的に交流しようとしなかった」「日本の伝統、文化、歴史等をうまく伝えられなかった」「ドイツのことを出来るだけ多く観察し、より深く理解しようとする姿勢が足りなかった」「ホストファミリーへの感謝が希薄だった」「ビールの種類と味の違いをよく理解していなかった」「お金をケチってお土産も食べ物もろくに買わないでしまった」「写真をたくさん撮影した割に両国の違いを感じた部分等、肝心なところをあまり撮らなかった」「旅行中の気付きや感情について十分な記録を残さなかった」「睡眠と休息を交流より優先した」などなど、瑣末なことも含みはするものの、結構本質的に関わることが多いので、それが自分にとって重くのしかかっている。もう一度あの国に行こうという気は、現時点では全くない。元々特別な思い入れもないし、行ってきて大好きになったということもない。だから、自分の心の中で飛び交う上のような指摘は、今後への反省ではなく後悔として、解消されるあてのないまま積み重なり続ける。1年以上経っても、数日おきに、こうした「フラッシュバック」が続いている。自分の人間的な未熟さが招いた過去の失敗、変えられないそれを繰り返し見せつけられることへの、苦い思い。職務命令だからと、中途半端な気持ちで行ってしまったこと、そのことが自分の罪であり、尽きることのない後悔は罰なのだろう。国際交流というのは、お互いの相手への誠意・敬意が試される場だ。その真剣勝負の場で通用するだけ中身を伴った、いっぱしの人間、一人前の日本人になれるまでは、尽きない後悔を自分への戒めとして、目を背けず受け止め続けなければならないと思う。

(55分)