イクシゴ論(2)「残業ゼロは「仕事汚染」の悪夢を見る」

昨年4月に今の部署に異動してからというもの、自分と妻の間で慣例的に「18時半までに職場を出る」というルールが形成され、今日までそれを堅持してきた。家族みんなで19時前に夕飯を食べるために、妻から帰宅時間を固定するよう強く求められたのがきっかけだった。少しでも遅れようものなら、ジゴスパークが発動して致命傷を食らうから、定時後は時計を頻繁に気にしながら仕事をし、リミットが来たらどんなに中途半端だろうとそこで作業を断ち切って帰るようにしている。このルールは絶対なので、仕事が溜まっていたり、急な仕事を振られたり、課長以下ほぼ全員がまだ残っていたりしても、自分は一目散に帰る。例外は緊急事態が起きたときと、予め残業を命じられていたときくらいだから、年数回あるかどうかだ。毎日1時間程度は居残っているものの、どの部署も毎日3〜4時間残業が当たり前の職場なので、実質的にはほぼノー残業の状態だといえる。家庭で過ごす時間が長くなった分、洗濯物の取り込みや子供の入浴、寝かしつけなどの家事育児に充てる時間も増えたし、妻と話す時間もかなり取れている。話がヒートアップして喧嘩に発展するリスクも高まったのは玉にキズといったところだが、毎日家族団らんできるのは子供にとってもよいことだと思う。

 

ただ、自主的なほぼノー残業の徹底は、様々な副作用も招いている。

 

第一に、年収の低下である。自分の過去1年間の残業時間はその前の年に比べて激減したが、残業代がほぼなくなった結果、年収が約50万円も下がった。妻から貯金額の上積みを求められているところに、この年収減は大きく響いた。社員思いの民間企業なら、働き方改革の推進と社員のモチベーション向上の両立に向けて、残業を減らしたら、賞与をそれ以上に上乗せして報いてくれたりするものだが、自分の職場にはそういったインセンティブは一切ない。従って、仕事の効率を極限まで高めている自分は金銭的に損をし、漫然と今までどおりやっている人たちは残業代を稼ぐという矛盾が拡大している。

 

第二に、持ち帰り残業や休日出勤の発生である。何とかして残業しないように仕事をやりくりしてはいるが、締切が迫っている案件の場合は翌日に回せないこともある。特に、異動1年目のくせに毎日ほぼ定時の自分の仕事内容を上司は当然心配しているので、進捗は早めに報告しないといけないし、やり方が間違っていた場合の方向修正のためにも、一刻も早く素案を作って確認してもらう必要がある。となると、月に何回かは、帰宅して家事育児を済ませた後、妻と子供が寝た深夜に自宅のPCで仕事をせざるを得ない。作業的にはクラウド上での文書作成やメール作成等で、情報漏洩や書類紛失は構造的に起こりえないように注意している。ただ、会計システムへの入力など、どうしても職場でしかできない作業もある。そうなると切羽詰まった最終手段として、休日の早朝や日中に自主出勤せざるをえなくなる。持ち帰りにしろ、休日出勤にしろ、完全に無給なので、いわゆるヤミ残業に外ならない。給料面での損失は膨らむ一方、妻からのタダ働きの非難も高まる一方で、苦虫を噛みつぶす思いだが、こうでもしないと仕事が破綻を来すので、嫌々ながらこの現実に甘んじている。

 

第三に、仕事のことが常に頭から離れないことである。帰宅時間のリミットがあるため、常に仕事が中途半端な状態で帰宅せざるをえない。これが意図せざるツァイガルニク効果を招くことになる。半端なままの仕事のことが、帰宅しても、休日でも、頭から離れないのだ。かなり切羽詰まった仕事の場合は特にたちが悪く、夢の中にまで出てきて、焦燥感に拍車をかけることになる。心理的なダメージという意味で、この「仕事汚染」が最も深刻な副作用だと感じている。

 

平日の家事育児参画のための個人的努力の結果としてもたらされるこれらの問題について、今の自分職場では何のフォローもない。子育ての終わった、あるいは独身の中高年が大半だから、今後も改善の取組がなされることはないだろう。さらに効率化の努力をして圧倒的なパフォーマンスを発揮すれば、一時的に第二、第三の問題は解消できるかもしれないが、そうするとまだ余裕があると見なされてさらに新たな仕事を振られる地獄の悪循環を招きかねない。答えのない葛藤の日々はまだまだ続きそうだ。

(50分)