夜な夜な

我が家では、2年ほど前からアマゾンプライムビデオを利用している。毎月定額で映画やアニメが見放題の、いわずと知れたサブスクの動画配信サービスである。自宅では常にテレビがつけっぱなしだが、面白いテレビ番組がやっていなくて、録画番組のストックがない(あるいは観る気がしない)ときは、大体プライムビデオを観ることになる。そして、23時頃に妻が寝たあと、膨大な作品群の中から観るものを探し、まったりと視聴しながら少しだけ夜ふかしをするのが、近頃の自分のささやかな楽しみである。

 

このサービスのすごいところは、第一に「定額の作品数が半端なく多い」こと、そして第二に「新作も定額で観られる」ことだ。古今東西を問わず、ありとあらゆる作品がここでは配信されている。以前はもっぱら海外ドラマ「ウォーキング・デッド」の最新作を片っ端から観るのが定番だったが、公開されているものは観尽くしてしまったので、今は映画やアニメを観ている。

 

最近観た中で印象に残ったのは、「コードギアス 復活のルルーシュ」(アニメシリーズの正当な続編。R2で死んだルルーシュが生き返ったのは、当時劇的なラストに胸打たれ感涙したことを思うと複雑な気分だが、キャラたちが幸せになってくれればもはやそれに越したことはない…)、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」(日本のラノベ原作がハリウッド映画になった異色の作品。日本ではおなじみの「ループもの」がうまくハリウッド流に味付けされてたし、トム・クルーズらしいド派手アクションもてんこ盛りで、娯楽作品として掛け値なしで楽しめた)など。そして、今夜(11日夜)全26話を観終えたのが、「電脳コイル」だった。2007年にNHK教育Eテレ)で放送されていたアニメで、自分は当時リアルタイムで観ていたクチだが、再視聴してみてやっと物語の深みを少しだけ理解することができた気がした。物語後半、特に最終話付近の怒涛の展開は、台詞回しで語られる情報量が攻殻機動隊並みに膨大かつ難解で、多分当時はほとんど訳が分からなかっただろうと思う。数日かけてイッキ見したことで理解も深まったし、キャラたちにより感情移入することもできて、今まで以上に作品のことが好きになったのだった。こんなに最終回でキャラたちがたくさん泣くアニメは、また小学生の主人公が大学生並みに大人びてるアニメは、ほかにないと思う。そもそも自分は2020年6月に第1話を観始めたのだが、途中で「見放題」ではなくなり、再度見放題になるまで待ち続けたため、観終えるまで足掛け2年もかかってしまった。それだけに、今夜はやっと物語を再び完結できた達成感と安堵感で、充実した気分に満たされたのだった。プライムビデオは、今や日常生活になくてはならないものに、なりつつあるのかもしれない。

 

今夜はテレビのザッピングで星野源の新しい音楽番組「おんがくこうろん」(これもEテレだ)にも偶然出会えたし、何だかとてもいい夜だった。ぼんやりとゆったりした時間を過ごす夜、これに勝る贅沢は、ない。

(60分)

コタ寝の冬

今年の冬の明らかな異変、それは夜にベッドではなくコタツで就寝するケースが増えたことだ。これを自分は「コタ寝」と呼んでいる。試しに日記のメモをもとに数えてみたところ、1/15〜2/14の31日間のうち、19回はコタ寝だった。なんと3日に2回はコタ寝をしていたのである。内訳としては、深夜に目覚めてベッドに移動したケースが14回、朝まで完全にコタツで寝続けた「完全コタ寝」が4回、不明が1回となっている。こうした統計が取れること自体も半ば呆れた話だが、どうしてコタ寝ばかりになってしまうかという理由は、もっとトホホな事情による。

その原因は、ズバリ妻からの2つの攻撃である。1つは、妻の就寝時に横に自分がいると邪魔だから、一緒に寝るな、といわれることだ。妻はベッドで寝るときにスマホYoutubeの動画を見たり漫画を読んだりしていることが多く(寝る前にバックライトの強い光を浴びたら眠りが浅くなりそうだが)、その場に自分がいると気が散って嫌だというのが理由らしい。ただ、妻の就寝時刻(ベッドに入る時間)は23時ごろで、自分はそれより遅い時間のほうがしっくりくるので、就寝時刻がバラバラなこと自体は問題ではない。夫婦関係としてどうなのかという指摘もあるだろうが、かつて一緒に寝ることを習慣づけていた頃は、むしろ寝室で突然妻がヒートアップしてトラブルに発展することが多かった。自分は恒常的に睡眠不足なので、ものの3分で眠ってしまうが、妻は寝付きが悪く、なかなか眠れないタイプである。そのためうとうとしながら色々なことを考えてしまい、その中で自分に対する不満や不安が頭に浮かんできた場合に、前触れもなく噴火してしまうことがしばしばあった。過去の感情が再現されて起こるもので、今目の前で具体的に起きている問題が原因ではないことがほとんどなので、自分では解決しようもなく、謝ってみたところで噴火はまず収まらない。ひたすら一方的に飛んでくる噴石、押し寄せるマグマに攻撃されるしかない。結果的に自分は大やけどを負い、寝室から追い出される羽目になる。あまりにも不条理なので以前は抵抗したこともあったが、火に油を注ぐだけでしかなく、壁を蹴ったら穴が開いてしまって大変なことになったりもした(2019年12月)ので、ガンジーよろしく無抵抗主義に転じざるを得なかった。こうした悲劇を回避する意味でも、妻の方から予め退去勧告を受けるのは、むしろ歓迎すべきことなのである。それゆえ、先に寝室に入った妻が眠ったであろう時間まで、リビングのコタツで待つことになるのだが、急速に押し寄せる睡魔に太刀打ちできず、30分から1時間後にはコタツでそのままバタンキューしてしまうという訳だ。

そしてもう1つの原因は、妻がベッドの自分の掛け布団をぐちゃぐちゃにする嫌がらせにある。寝室から追い出されるようになった代わりに、自分が出ていったあとに、重なっている複数枚の布団をまとめて、ぐちゃぐちゃにひっくり返されるのだ。床に放り投げられるパターンもあるし、ひどいときは2階の階段から階下に投げ落とされることもある。これが妻のストレス発散になるらしいが、やられるほうはたまったものではない。すんなりとスムーズに寝床に潜り込むことが到底不可能な状態になるのだ。こうなった布団を妻が寝たあと、暗い中で明かりもつけずに、寝られるように整えるのは大変なことだ。この嫌がらせが、妻の就寝を待って自分が眠くなってきたころに、あるいはコタ寝から深夜に目覚めたときに、ベッドに移動するのを躊躇わせるのに、絶大な効果を発揮することになる。

こうした理由で、今年の冬はコタ寝の夜が多発している。一応枕は使っているし、薄いこたつ布団も敷いてはいる。しかし、コタツは就寝環境としては非常に劣悪である。コタツの電源は基本的に切っている上、ほとんど下半身しかコタツに入らないのでフリースの上着を着ていても寒い。また、コタツが窮屈なので寝返りは全く打てず、背中のみならず全身が凝り固まる。深く眠れないのでレム睡眠がちになり、おかしな夢をたくさん見る。こうして、疲れ切った状態でコタ寝明けの朝を迎えることになる。かくいう今朝も完全コタ寝であった。間もなく雪も解け、春が来るが、暁を覚えない安眠が訪れるかは定かではない。

(60分)

 

僕らの足あと


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今週の雪が積もったある日の朝、出勤のため駐車場から職場まで歩きながら、撮影した写真。後ろから歩いてくる人がいたので雑な流し撮り風になっているが、あることが気になったので撮った。それは、かかとをあまり上げずに、半分引きずって歩く人が多いんだな、ということ。かかと側に靴を引きずってできた長い「尾びれ」ができている足あとがほとんどだったからだ。気になって自分の足あとを振り返って見ると、同じく尾びれができていた。つまり自分も足をほとんど持ち上げずに歩いているということだ。わずか1、2cm程度の積雪でこれだけ跡が付くのだから、足は数mmしか持ち上げていないことになる。これでは、靴のかかとも擦り減るし、滑って転倒しやすいし、何より足の筋肉を使わないから筋力ダウンまっしぐらだ。ということで、わずか百数十mの雪道から「足をしっかり持ち上げて歩くべし!」という重要な教訓を得たのだった。雪がなかったら、泥道でも歩かない限り、足あとをじっくり見つめる機会などないだろう。これだから、雪国生活は面白いのである。

僕らのあしあと

僕らのあしあと

(15分)

グーグルマップ タイムラインの衝撃

スマホにプリインストールされている「グーグルマップ」のアプリ。この中にとんでもない機能がついていることに最近気がついた。それは「タイムライン」という機能で、いつどこに行き、何時から何時まで滞在したか、そこでどんな写真を撮ったかなどの詳細な行動履歴が、毎日気づかないうちに記録されていた。Androidの「ロケーション履歴」がオンになっていると、スマホを持って移動するだけで自動的に作成されるものらしく、かなり昔のデータ(一番古いものは2016年7月)まで遡ることができた。こんな個人情報の塊のようなデータをグーグルに知られていると思うと気味が悪いという人もいるだろう。ごく自然な反応だ。しかし自分は、この機能をアプリの使用中に偶然見つけて、「なんて素晴らしい!」と心底感動したのだった。なぜなら、この機能がやっていることは自分が毎日ルーズリーフに記帳している「行動記録」と全く同じものだったからだ。自宅を出た時刻、出勤時刻、退勤時刻、帰宅時刻等をいつも頭の中にメモしては、時間を見つけて記帳しているのだが、この機能を使えばそれが自動でわかるのだ。いちいち頭で覚えておかずともスマホを見て書けばいいし、そもそもこの機能で記録されているなら、わざわざ紙に記録する必要性さえもないのかもしれない。これまで、「あれ、何時に出発したんだっけ?」と記憶を失念するたびに、車のドラレコや、LINEのメッセージの履歴(退勤時に妻に必ず連絡する)を調べたりしてまで、確かな数字を書こうと努力してきた。だがこの機能さえあれば、そんなものは一瞬で明らかになるのだ。それを知らなかったせいで、長いことずいぶんとバカバカしいことを続けてしまったのは、つくづく残念なことである。

 

タイムラインを紙の行動記録を補完するために使うか、あるいは行動記録をタイムラインに集約するか。長い目で見てどちらのほうが合理的なのかをこの際よく考えて、固定化した記録システムを再構築する契機としたいと思う。

 

(30分)

スマホ(3代目)

11月中旬、ワイモバイルのオンラインショップで新しいスマホを買った。2018年2月に店頭で購入した旧機種(SHARP製 Android One S1)が、3つの大きな問題を抱えていたのが買い換えの理由だった。第一に、最低限のアプリしか入れていないにもかかわらず内蔵メモリの使用率(使用容量)が常に95%以上となり、新たなアプリを入れられないのみならず、ほかのアプリを削除しないと既存のアプリの更新すらままならない状態になっていたこと。第二に、Bluetoothの規格が古く、10月に購入したオーディオテクニカの完全ワイヤレスイヤホン(ATH-CKS5TW KH)が接続できず、使用できなかったこと。第三に、以前にスマホを踏みつけてしまったことがあり、筐体にヒビが入っていて、防水性や耐久性に懸念があったこと、である。これらの問題は、今回購入した京セラ製「Android One S8」への機種変更により、全て発展的に解消された。すなわち、内蔵メモリは16GBから64GBに増大し、Bluetooth規格は4.1から5.1に、当然ながら筐体は新品で無傷になった。のみならず、画面サイズ、バッテリー容量、カメラ画素数、外部メモリ(microSDカード)の対応最大容量など、あらゆる基本性能が向上しており、通常レンズと超広角レンズのデュアルカメラ、マイナンバーカード等との連携に使うNFC、カメラによる顔認識で画面ロックの解除ができる生体認証などの旧機種になかった機能も搭載されていて、スペックの差は歴然である。これだけの高機能・高性能にも関わらず、オンラインショップでのセール価格はわずか「4,320円」だったのだから、驚きを通り越して、何かの間違いだったのではないだろうかと心配になってしまうほどだ。何はともあれ、1ヶ月間使ってみての使い勝手も申し分なく、筐体が大きくてズボンのポケットに入らないことにさえ目をつぶれば、つくづくいい買い物をしたものだと満足している。


ちなみに、ワイヤレスイヤホンをスマホBluetooth接続して使い始めたことで、家の中ならスマホを携帯せずにどこでも音楽が聴ける、Zoom等でリモート朝活読書会をしているときに家族に呼ばれて対応しなければならないときにも、ヘッドホンの着脱やスマホの操作をせずに装着したまま離席・復帰できるなど、ワイヤレスならではの画期的なメリットも存分に享受している。こちらは販売価格9,900円のところ、ポイントを使って実質5,600円で購入したので、やはりいい買い物ができたと感じている。正直音質には若干気になる点もあるのだが、機能が最優先だったのでそこに不満は無い。10年使ったiPod Classic 160GBを故障で手放し、15年近く大事に使ってきたSONYカナル型ヘッドホン(MDR-EX90SL)をヤフオクで売却するなど、今年は音響機器の整理を進めた1年でもあった。自分のこだわりのために時間とお金を使える時代はまだまだ先になりそう(あるいは来なそう)だから、ここで一旦リセットしよう、使い勝手だけに的を絞って、オーディオはスマホ+ワイヤレスイヤホンに機能を集約しようというのがその理由だった。スマホも、イヤホンも、買った値段にかかわらず、長く大事に使っていくつもりである。

 

 

 

 

<新旧スマホのスペック>

www.ymobile.jp

 

www.ymobile.jp

(60分)

体内年齢

先月、34才の誕生日を迎えた。また1年寿命が減ったと考えるか、もう1年生きながらえて良かったと考えるかが毎度微妙なところだが、現実問題としてはそれ自体には何の感慨もなかった。さすがに誕生日を忘れはしなかったが、1週間ほど前に思い出すまでは完全に意識から飛んでいた。それくらいに、自分にとってはただの日だった。

 

それよりも問題だったのは、誕生日を境に体組成計の計測結果が明らかに変わったことだ。我が家ではタニタの体組成計を使って、数日に一回入浴前に計測している。例として、先週のある日の結果は以下のとおりだった。

 

体重 62.2kg
BMI 20.3
体脂肪率 8.1%
筋肉量 54.2kg
内臓脂肪 1.0レベル
基礎代謝 1580kcal/日
体内年齢 19才

 

1年半ほど前まで50kg台後半だった体重が60kgオーバーで定着してしまったのもまあまあ気になるが、それ以上に自分が問題視したのは「体内年齢」が1才上がったことだった。これまでずっと下限値である18才で微動だにせず固定化していたのが、34才になると同時に初めて「19才」と測定されるようになったのだ。しかも何度測ってもそこから一切下がらなくなったのだから、これはどうにも気になって仕方ない。33才から34才に変わる数日間で体内が劇的に変わることは考えにくいから、おそらく実年齢から15才以上乖離しないように表示するよう内部設定されているのではないか…と勝手に推測しているのだが、機械にそうした数字を突きつけられるのは、人から年のことを言われるよりも冷酷でショックなものだったりする。体力は衰えても、何だかんだで健康面ではまだまだ若いようなつもりでいたのだが、これを機にその意識にも危機感が芽生えたのだった。

 

健康といえば、今週は週後半から2日連続でやや強めの頭痛に苦しめられた。平日夜に疲れが溜まって頭痛が起こることはたまにあるのだが、それが就寝中も続いて安眠が阻害され、翌朝も起きた瞬間から頭痛というのはおそらく初めてだった。明確な原因らしいものも思い当たらず、いつ治るのだろうと不安が募った。幸い2日目の日中から徐々に改善し、夜にはほぼ平常通りに回復したのだが、頭痛の間は心身ともに辛く、仕事や私生活への影響も小さくなかったので、また同じ症状になったら…という懸念はやはり拭えない。

 

体組成計が判定したとおり、体内の加齢も着々と進行しており、今後ますますあちこちにガタが出てくるのは間違いない。体の中の見えない健康状態を測る1指標として、今後も体内年齢を意識しつつ、その進行を年1才以内に抑えるべく、スポーツや生活習慣などの健康維持により一層注力せねばと思ったのだった。

 

(45分)

ほぼ日手帳2022

先週末、ロフトへ行く機会があった。目当ての商品はもちろん、来年の「ほぼ日手帳」だ。以前は9月の販売開始とともに新作のカバーとセットでネット注文するのが恒例だったが、最近は本体のみの購入が基本になってきたので、年の瀬間際の購入が定着しつつある。サイズが大きなカズンや、週単位で書き込むウィークスも手に取り比較検討した結果、今回も月曜はじまり・1月はじまりの「オリジナル」本体を2200円で購入。文房具も物色したが、ビビっとくるものは見当たらなかったのでほかには何も買わなかった。ちなみに、昨年手帳と同時購入したテキストサーファーゲルは、マーカーの跡を擦ると色移りしてしまう点が自分の使い方にはなじまなかったので、ほとんど使わず仕舞いだった。

 

手帳に何か書く機会が増えないのは相変わらずで、来年も1日1頁の記入スペースを持て余すことは間違いない。ただ、手帳に所狭しとぎっしり文字を埋めていた大学生のときと、今とでは人生の時間と記録に対する向き合い方が異なっている。当時は膨大な自由時間を背景として、自分の行動と思考を網羅的に書き記すことを目指す「記録至上主義」が自分のポリシーとなっていた。自分で作り上げた複雑で多岐にわたる記録システムを継続することに血道を上げ、何かの行動をしたり、休息したりするために充てる時間を削ってまで膨大な時間を記録作業に捧げる、「Live to Write」(書くために生きる)とも言うべき記録そのものが自己目的化した状況には、時に矛盾も感じていたほどだった。それから十数年、社会人になったことによる自由時間の減少と歩調を合わせて、記録システムは次第に簡素化・合理化が進み、今では自分の常軌を逸した往時の記録魔ぶりはすっかり鳴りを潜めた。記録の目的も「Write to Live」(生きるために書く)に変化して久しい。大切なのは、かけがえのない今このときに何をするかということ、書くことよりも行動を起こすことを優先すべきなのだ。考えてみれば当たり前のことだった。それゆえ、もはや手帳の空白部分のことは気にしなくていいのである。

 

書きたいことがあれば書くし、なければ書かない、例えあってもほかのことを犠牲にしてまで書くことを優先しない…そんな肩ひじを張らない気楽なスタンスで、これからも手帳を「人生の伴走者」として手元に持ち続けたいと思っている。

 

(45分)