ほぼ日手帳2022

先週末、ロフトへ行く機会があった。目当ての商品はもちろん、来年の「ほぼ日手帳」だ。以前は9月の販売開始とともに新作のカバーとセットでネット注文するのが恒例だったが、最近は本体のみの購入が基本になってきたので、年の瀬間際の購入が定着しつつある。サイズが大きなカズンや、週単位で書き込むウィークスも手に取り比較検討した結果、今回も月曜はじまり・1月はじまりの「オリジナル」本体を2200円で購入。文房具も物色したが、ビビっとくるものは見当たらなかったのでほかには何も買わなかった。ちなみに、昨年手帳と同時購入したテキストサーファーゲルは、マーカーの跡を擦ると色移りしてしまう点が自分の使い方にはなじまなかったので、ほとんど使わず仕舞いだった。

 

手帳に何か書く機会が増えないのは相変わらずで、来年も1日1頁の記入スペースを持て余すことは間違いない。ただ、手帳に所狭しとぎっしり文字を埋めていた大学生のときと、今とでは人生の時間と記録に対する向き合い方が異なっている。当時は膨大な自由時間を背景として、自分の行動と思考を網羅的に書き記すことを目指す「記録至上主義」が自分のポリシーとなっていた。自分で作り上げた複雑で多岐にわたる記録システムを継続することに血道を上げ、何かの行動をしたり、休息したりするために充てる時間を削ってまで膨大な時間を記録作業に捧げる、「Live to Write」(書くために生きる)とも言うべき記録そのものが自己目的化した状況には、時に矛盾も感じていたほどだった。それから十数年、社会人になったことによる自由時間の減少と歩調を合わせて、記録システムは次第に簡素化・合理化が進み、今では自分の常軌を逸した往時の記録魔ぶりはすっかり鳴りを潜めた。記録の目的も「Write to Live」(生きるために書く)に変化して久しい。大切なのは、かけがえのない今このときに何をするかということ、書くことよりも行動を起こすことを優先すべきなのだ。考えてみれば当たり前のことだった。それゆえ、もはや手帳の空白部分のことは気にしなくていいのである。

 

書きたいことがあれば書くし、なければ書かない、例えあってもほかのことを犠牲にしてまで書くことを優先しない…そんな肩ひじを張らない気楽なスタンスで、これからも手帳を「人生の伴走者」として手元に持ち続けたいと思っている。

 

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