Write to live

一昨日の日曜の夜のこと。昔届いたハガキを電子化し、原本を処分するため、コタツに入ってスマホのアプリ「SHOTONOTE」で撮影していたら、呆れた妻からクギを刺された。「何でもかんでも記録してどうするの?記録だらけになるし、記録することばかりにそんなに時間をかけてたら、他のことをする時間がなくなるよ」と。そして、記録がそんなに大事だなんて私には理解できない、とまで言われてしまった。これには、ガツンとやられた。すぐに作業をやめ、ハガキをその場から片付けた。


妻にはこれまでにも同じようなことは言われていた。「収支記録(家計簿)」については、メリットがあるからと認められており、レシート収集にも協力してくれるものの、それ以外の記録、日々何時に何をしたかを逐一記入している「日毎総合行動記録」や、思ったことを書き留める「手帳」については、私と一緒にいるところでは書かないでと指弾され、見えないところで書くことのみ黙認されていた。一般的な感覚として、自分の「あらゆることを記録する」という全記録主義は常軌を逸していると思われるのはごもっともなところであり、ましてや夫婦二人だけで生活しているのに、一緒にいる限られた時間を、妻と向き合うためではなく記録するために充てていたら、怒られるのも当然のことだ。それは分かっているのだが、これまでに拡大を続け肥大化してしまった記録システムと、それを続けなければいけないというある種の強迫観念が、自分をついつい記録作業に走らせてしまうのだった。


記録と自分の関係というのは、自分の人生の長さとほぼ同じくらいに長い。昔から、「捨てられない性格」で、学校のテストの答案も小学生の時からずっとファイリングしてきたし、3、4年前に処分するまでは保育園児のときに描いた絵まで残っていた。その性格から、次第に「自分の身に起きたことを忘れたくない」という考え方を持つに至り、小学生の時からノート日記を付ける習慣がつき、何か感じたときはノートや紙片などに思いを書きとどめる癖を身に付け、自分用のPCを買ってもらった高校生のとき以降は、それが色々なことを記録することに拡大していった。「メインフレーム」と呼ばれる5つの主要な記録と、それを補完する種々の小記録を総称した「サブシステム」からなる「記録システム」の概念は、暇をもてあましていた大学生時代に飛躍的に発展し、就職したところでほぼ確立されるに至った。しかし、それは記録作業の煩雑化と背中合わせであった。大学生のときでさえ、「記録作業に時間を取られて、実際に行動する時間が圧迫される」という
問題意識は持っていたが、就職して自由時間が大きく減少してからは、その問題が一気に顕在化し、記録が完了しない「未記録」状態が常態化することになった。未記録に神経質になるがあまり、常に頭の中に「書かなくてはいけないこと」がモヤモヤしたまま溜まり続け、思考を妨げるようにもなっていた。すでに、現状の記録システムは継続不能になっており、「Live
to write」というモットーは空しい響きを奏でていた。それを結婚後の生活にも持ち込もうというのは、土台無理な話だったのである。


今後の生活にも適応した「新しい記録システム」を、今こそ構築し直さないといけない。今回の件でそう強く感じた。再構築のポイントは、以下のようにまとめられる。

(1)実用性・重要性・代替性を鑑み、記録の種類・内容を精選する。内容が重複しているものは片方に集約する。

(2)記録媒体、記録方法は、場所・時間・機材の制約を受けないよう、できるだけ電子化・ウェブ化する。

(3)記録にかける時間は1日30分以内とし、その時間内で完記される量に限定する。

(4)自宅では必要最低限の記録作業しか行わないようにし、特に妻の前では作業を避ける。(ただし、収支の記録はむしろ協同して行う。)

大胆なリストラが必要になるので、自分の意識も根本から変えないといけないだろう。きちんとケジメをつけるため、年内に方針をまとめ、来年1月から新体制での運用を開始することを目指したいと思う。そして、そのための方向性として、今までの「Live
to write」というモットーを「Write to live and live for you」に変更することにする。

(40分)