雑感:2021/11/4

・先週末の日曜日は、衆院選の投開票日だった。解散と同時に万歳の唱和が起こる国会の慣習は不可思議極まりなく、到底理解はできないが、投票はどんな選挙であれ毎回欠かさず行くことにしている。それは今回も例外ではなく、正午前に自宅の近所の小学校で投票してきた。普段は期日前投票をすることが多いので、投票日当日に投票所に行くのは久しぶりだった。衆院選小選挙区と、比例代表最高裁判所裁判官の国民審査の三点セットに加え、住んでいる自治体の市長選挙と、市議会議員の補欠選挙も重なったので、今回投票すべき箱は計5つもあった。比例代表と国民審査、市長選と市議補欠選は、それぞれ投票用紙が2枚同時に渡され、投票箱も隣り合って置かれていて、一瞬どちらに入れるのか迷うほどややこしかったが、とにもかくにも無事終えたのでほっとした。投票は民主主義を支える根幹であり、国民の政治参画における最も基本的な権利かつ重大な責務だ。正当な理由なくそれを放棄する人に、政治や政治家のことをとやかく言う資格はないと自分は常々思っている…のだが、その典型が自分の妻というのが何とも悲しいところだ。

 

 

・コロナの新規感染者数がこの2ヶ月ほどの間に激減した。短期間で一気に国民の7割まで進んだワクチン接種がおそらく功を奏したのだろう。前例のない巨大なミッションを成し遂げた行政機関や医療機関の努力には頭が下がる思いだ。旅行などの移動制限の緩和は結構なことだし、今年の夏頃のどんよりしきった状態からすれば社会の雰囲気も自分の精神的にもかなり明るくなったように思う。三密の回避などのコロナ対策は今も抜かりなく続けているが、強い不安を感じるような場面は相当少なくなった。ただ、感染者数のあまりの急減ぶりには、正直なところ何だか違和感も拭えない。空前の世界的危機を引き起こした新型コロナのパンデミックが、このまま下火になり、幕引きになるとは自分には思えないのだ。この冬に第6波がまたやって来るのは間違いないだろうし、仮にもうマスクなしでコミュニケーションを取っていいと誰かに言われても、自分はまだ無条件に信じる気にはなれない。大人数での会食も当分行くことはないし、ましてや飲酒を伴う会食など上司や友人に誘われても頑なに拒否するだろう。様々なことを元に戻そうとするのは時期尚早だし、リモートワークなどの働き方・考え方の変化は以前の形に戻ることはない。日本人はとかく、災害などの事態が一段落したら「元に戻そう」という傾向が強いが、危機を教訓にして社会構造を見直し、強化しないと、次の危機でまた同じことが繰り返されるだけだ。日本社会をより危機に強い形にアップデートするためには、デジタル化の推進などの取組が日常生活の中にしっかり定着するまで、もう少し「危機対応モード」を続ける必要があるだろう。

 

 

・今日の午後は、子供のインフルエンザの2回目の予防接種があった関係で、半休を取った。これで年休5日取得の「ノルマ」を年末を目前にしてようやく達成し、やれやれと胸をなでおろした。年休を積極的に取れるように働く側と働かせる側の双方の意識を変えよう、というこの制度の趣旨は尊いものだし理解もできる。だが、育児のために「毎日自主ノー残業デー」を徹底し、労働時間の短縮と仕事の質の向上の間をギリギリのバランスで綱渡りしている身としては、たった年5日とはいえ休むのは難しい。結果的に、ほとんどは今日のように家庭の事情で用事ができたときに半日単位で使うことになり、労働者である自分自身のリフレッシュのために年休は使えない。文字通り、消化が目的のノルマに成り果てている。それは育児に関わりのない中高年層でも似たか寄ったかの状態で、「まだ5日使ってないから、無理矢理でも休まなきゃ」なんてセリフがあちこちから聴こえてくる。せっかくの制度がかくも換骨奪胎されてしまっているのは残念なことだ。「好きなときに、自分のためだけに休み、心身をリフレッシュする」という年休の趣旨を達成するには、逆説的だが、勤務日数を増やして基本となる労働時間を増やすのが一番効果的だろう。具体的には、強制的に休まされる祝日を減らして(あるいは休みたい人だけ休める日にして)、その祝日分の休日をいつでも自由に取っていいことにするのがいいと思う。そうすれば業務の繁閑に応じて柔軟に休めるし、旅行客が分散するから観光地や道路・公共交通機関の混雑が減るし、ホテルや旅館の稼働率も上がるから料金だって下がる可能性がある。労働意欲が高まって業務効率が上がれば、祝日代替分を上回って年休の取得がさらに増える可能性も、といいことずくめ…だと、思うのだが、あいにくこの案に賛同してくれる人にはまだ出会えていない。やはり、祝日を含めて決められた休日は多ければ多いに越したことはないと思うのが世の中の大勢なのだろう。自分も休んでもその分残業してカバーができる身分であれば、そのほうがいいと思うかもしれない。自分にとっての真の休息の日は、当分やってきそうにない。

 

(90分)

追悼・すぎやまこういち先生

先週、作曲家すぎやまこういち先生の訃報がニュースで流れた。享年90歳だった。すぎやま先生は、ドラクエゲーム音楽の全てを担当されたのみならず、風来のシレン半熟英雄といったゲームの音楽、歌謡曲など、多くの作曲を手掛けてこられた。ゲーム音楽にクラシックの要素を取り入れ、社会的な認知度を高めた先駆者としての先生の功績の偉大さは、誰もが知るところであり、チャーミングで遊び心あふれる親しみやすい人柄で、多くの人からの敬愛を集めてこられた方だった。

 

先生の死去は、自分の心に大きな悲しみと喪失感をもたらした。そして同時に、深く強い感謝の念も込み上げてきた。先生が作曲した音楽、中でもドラクエの名曲の数々が自分の人生に与えた影響は、計り知れないほど大きなものだったからだ。自分とドラクエとの出合いは1999年、友人たちが遊んでいたゲームボーイの「ドラゴンクエストモンスターズ」を自分でも買ってプレイしたのがきっかけだった。自分はすぐにそのゲームの面白さとドラクエの世界観のとりこになり、友人と対戦したりもしながら夢中になって遊んだ。それと同時に、自分がもう一つ強く惹かれたのが、ゲームの音楽だった。モンスターズにはオリジナル曲とともにドラクエ1〜6までの歴代ドラクエ作品のフィールド曲が使われていた。その音楽が強く印象に残った自分は、その年末にはモンスターズのサントラを購入したほか、GB版ドラクエ1・2を皮切りに歴代ドラクエシリーズを次々とプレイし、当時のドラクエファンクラブに入会するなど、ドラクエに文字通りドハマリしていくことになる。言うなれば、自分をドラクエの世界の奥深くへと誘う最大の原動力となったのが、すぎやま先生の音楽だったのである。そうしてドラクエは、自分の人生にとってかけがえのない大きな存在にまで成長したのだが、ドラクエとともに歩んだ22年間を片時も離れず支えてくれたのもまた、すぎやま先生の音楽だった。モンスターズのサントラは自分が初めて手に入れた音楽CDだったし、その後次々と購入した歴代シリーズのオーケストラ版のCDは、多感な中学生時代を通してずっと聴き続け、受験勉強をするときにも聴いていた。ずっと憧れていた東京芸術劇場での毎年恒例のドラクエファミリーコンサートには、2006年と2010年の2回参加し、2013年にはオンライン配信で鑑賞して、オーケストラが奏でる壮大で美しい音楽に感動のあまり何度も涙した。ゲーム音楽、特にRPGの音楽には、物語の進行における様々な場面に合わせて、楽しい曲、悲しい曲、勇ましい曲、神秘的な曲など、変化に富んだ多彩な楽曲が含まれる。特にドラクエは、東京オリンピックの開会式で使われた「序曲」に代表されるように、数多くの壮大で胸打つ名曲があり、ゲームの世界の登場人物たちに命を吹き込むのに欠かせない役割を果たしている。物語の喜怒哀楽を情緒豊かに表現したそれらの楽曲は、ゲームの世界のみならず、自分自身の人生においても、自分を時に鼓舞し、時になぐさめ、時に感動をより大きなものにしてくれた。ドラクエの音楽が、すぎやま先生が生み出した音楽が、自分の人生にどれだけ多くの彩りを与えてくれたか計り知れない。先生への感謝は、いくらしても足りないくらいだし、その感謝はこれからもずっと続くことだろう。

 

先生が語った「音楽は心の貯金です」という言葉の意義と正しさは、自分の人生が証明するところだ。先生の残してくれた音楽の数々、その価値を、素晴らしさを、大事な「宝物」として、今度は次世代に引き継いでいくのが、これからの自分の果たすべき役割だと思っている。具体的には、自分の子供に、一緒にドラクエをプレイすることを通じて伝えていきたいし、ドラクエの楽曲を一緒に演奏したり、ドラクエのコンサートに連れて行ったりも出来たらいいなと思う。それが、自分にできる、自分なりの、先生への恩返しになると信じて。

 

(90分)

転ばぬ先の杖

今朝、通勤兼子供の保育園への送迎の車内で、はたと気付いた。「スーツのベルトを付けていない」ということに。どおりで、何だか違和感がした訳だ。今日は出勤前にいつもと違う作業(車に乗せっぱなしだった荷物を入れ替える等)が複数あったので、そのことに気を取られて、うっかりベルトを付けるのを忘れてしまったのだ。保育園の荷物の用意、子供の身支度、自分の身支度などでぎゅうぎゅう状態の「出勤前作業フロー」にイレギュラーなタスクが混入すると、こういうミスがたびたび起こる。ベルトに加えて、結婚指輪も付けてなかった。自分は一瞬慌てたが、すぐに平常心を取り戻し、子供を保育園に送ってから、そのまま出勤した。そして、職場の自分のロッカーに保管してあった古いベルトを装着すると、いつもどおりの仕事着の姿を取り戻した。こんなこともあろうかと、職場に「予備のベルト」を常備してあったのだ。自宅に引き返すこともなく、無事にこの事態を乗り越えることができた。

こうした忘れ物が招く「ミニ有事」に備えて、自分はあちらこちらに実に様々なバックアップを用意してある。例えば、仕事鞄には、ハンカチ・使い捨てコンタクトレンズ等を入れてあるし、車の中にはタオルや水など非常事態にも役立つ道具を備えてある。職場のロッカーには、今回のベルトのほか、仕事着が汚れてしまったときのための予備のYシャツやスラックス、作業用のズボン等も置いてある。これらの道具は、結構な頻度で出番が回ってきて、自分の助けになってくれている。

何かの対策として「忘れないように気をつける」というのは極めて危ない橋だと思うし、常に育児家事仕事のことで頭が占拠されていて思考回路にゆとりがない自分のような人間にとっては、予め事が起きてしまった場合への備え、すなわち「転ばぬ先の杖」を用意しておくのが最も安全な対策だ。今はタスクで頭がパンパンだからこういうミスを起こすが、今後は次第に脳の老化でどんどん忘れ物・忘れごとが増えていくに違いない。いざというときに転んで怪我をしないよう、これからもあちこちに杖を忍ばせていくとしよう。

(25分)

ある日のテーマ曲 その2

土曜日の朝、子供を保育園の行事に参加させるため、平日と同様に早起きして子供に朝食を食べさせたりトイレに行かせたりと慌ただしく身支度をしていたら、ふと自分の心に昨日よりも少しだけ前向きな気持ちが宿っているのに気付き、日常の何気ない繰り返しの中でも何か新しい一歩を踏み出し始めたように感じたときのテーマ曲。

 

アニメ「マスターキートン」ED曲 「from beginning」

sp.nicovideo.jp

 

何か特別なアクシデントがあるわけではない、いつもどおりの状態にも関わらず、常に息苦しく感じる日々が続いてきた。その始まりが何だったのか、あまりにも長く続いてきたせいで、もはやよくわからない。そして、その苦しさからどうすれば抜け出せるのかも、よくわからない。そんな鬱屈した心を抱えて、毎日とにかく悩んでばかりいた。そんな前向きさのかけらもないような心が、昨日の昼休みに1ヶ月ぶりにバドミントンをしたあとで、少しだけ軽くなった気がした。これまでコロナがまん延しているからという理由で体育館が閉鎖されていたのだが、昨日から1ヶ月ぶりに解禁されたのだ。その効果はてきめんだった。体を動かすだけでこんなに気持ちが変わるものなのかと、我ながら驚いたほどだ。その翌日の今朝は、いつもどおりの日常の中に、人間としてあるべき前向きさを少しだけ取り戻すことができていた。青空を見上げて素直に美しいと思えた。どんな境遇であっても、ほかのどんなことが制限されても、スポーツだけは止めてはいけない。そう改めて実感した出来事だった。

(30分)

ワクチン接種

7月下旬、8月下旬の2回に渡り、新型コロナウイルスのワクチンを接種してきた。当初は7月上旬にファイザー製ワクチンの職場での接種が開始されるはずだったのだが、件の「供給不足」に引っかかって予定が遅くなり、場所は市内の集団接種会場に、打つのはモデルナ製ワクチンに変更になった。これに伴い、接種間隔も4週間空けることになり、結果的に1ヶ月がかりでの接種となった。

 

ワクチン接種に関しては、色々なデマだとか、副反応への不安だとか、接種忌避につながるネガティブな情報が飛び交っているようだが、自分はそれらの情報を特段気にはしなかったし、積極的に調べることもしなかった。とにかく、このコロナ禍が「収束に近づく」ための前進となるのであれば、例え多少何らかのダメージがあろうと、自分としてはワクチンを接種するのがプラスになると考えていた。ワクチン接種を受ける目的・メリットとして重要視していたのは、①自分がコロナにかかる可能性及び重症化する可能性を下げること、②自分が媒介者となって家族や同僚やその他の人々にコロナの感染を拡げてしまう可能性を下げること、③コロナ禍が社会全体に暗い影を落としている状況から脱するための希望を得ること、の3点だった。どんなことであれ、メリットがあればデメリットが伴うのは当然である。何のリスクもない、あってはならないかのように、「安心、安全」などという言葉が政府・行政によって喧伝され、それを当然のように求めるような社会は、大衆が自らの判断能力を放棄した「ディストピア」以外の何ものでもない。だから自分は、自分の判断で、自分の責任で、ワクチンを打つという選択をした。これまでの状況から、1年前に考えられていたような「多くの人がワクチンを打てば、以前のような生活に戻れる」という楽観論はもはや有り得ないということも承知の上で、あくまで幾分かでも今より精神的な希望が持てる状況に近づくための手段として、選んだのだった。

 

接種後の経過だが、1回目のときは、2・3日ほど接種した左肩が腫れ、左側に寝返りが打てずに苦労したくらいで、特に目立った副反応はなかった。そのため、自分は副反応が弱いタイプなのかなと思い、1回目よりもむしろ軽い気持ちで2回目の摂取に臨んだ。だが、2回目の副反応は思ったより重かった。接種翌日は朝から38度台の高熱に見舞われ、最高体温は39.2度に達した。この10年ほどインフルエンザにかかったこともなかったので、この高熱は体に堪えたし、頭痛、悪寒、倦怠感など様々な症状も一緒にやってきたので、この日は食欲もなく、終日ほとんどベッドで横になっているほかなかった。これはしばらく収まらないのではないか・・・と弱気になったのだが、3日目の朝には平熱に戻り、そのまま種々の症状も沈静化して通常の健康状態を回復した。ロキソニンSを飲み、大量に水分補給をして寝汗をかいたのが効いたのかもしれない。2日目は日曜日で元々休みだったが、3日目の月曜日も大事を取って年休(ワクチン接種の特別休暇も取れたが、年5日の年休消化を優先した)にして家で休んだ。ともあれこうして、無事にワクチン接種という一大イベントを終えたのだった。

 

2回のワクチン接種を済ませたからと言って、今後もコロナ対策を続ける生活が変わる訳ではない。今のところは、ワクチン接種のインセンティブになるような経済的なメリットも用意されていないから、直に接種率が頭打ちになるのも目に見えている。それでも、接種によってリスクが多少なりとも下がったことによる本人の精神衛生上のプラス効果は大きいはずだ。少なくとも自分にとってはそれが最大のメリットである。何をもって「コロナ禍が収束」したことになるのか、それが5年先なのか、10年先なのか、今は見当も付かない。だが、そのための手がかりとなる方法があるのであれば、自分は今後も積極的に取り組んでいくつもりである。

 

(35分)

登山:苗場山(2021/8/8)

新潟・長野県境に位置する日本百名山の一峰、苗場山(2145m)を登ってきた。上越から比較的近く、かぐらスキー場があることから冬場には幾度となくスキーで訪れてきた山だが、これまで登山したことはなかった。ただ、山頂が高原のように平坦になっていて、様々な植物が生育する湿地帯が広がっていることは以前から知っていた。次に登山するとしたら苗場山・・・とかねて心の中でイメージを膨らませていたところ、ちょうど丸一日だけ妻から休みを与えられたので、職場の後輩を連れて二人で挑戦してみることにしたのだった。ちなみに彼は自分の隣の席の新人君。登山はほぼ初めてながら、靴やリュックサックなど登山道具一式を今回のために買い揃えるなど、やる気満々であった。

 

車で自宅を出たのは午前4時。途中で後輩を拾い、秘境・秋山郷を通って山の西側の小赤沢3合目登山口へと向かった。ここから登頂を開始したのが6時40分。久々にして念願の2000m級の登山で、「槍が降っても登る!」と意気込んではいたものの、台風が接近していたことから、雨天の悪条件を覚悟していた。しかし意外にも天気は落ち着いていて、曇天なので暑くもなく(当然汗はかいたが)、登山道は概ね乾いていて歩きやすかった。六合目から八合目辺りまでは岩の多い急斜面が続き、鎖場もいくつかあったが、妙高山の急峻さに慣れた自分にとっては特に恐れるに足らなかった。一方、後輩にとっては全てが未知の経験だったので、かなりハードに感じたみたいで、息も上がっていた。そこで上り下りとも、基本的に彼を先頭にして歩き、彼のペースに合わせることにした。スピード登山を是とする自分には、上りこそ休憩が多く若干物足りなさを感じたものの、下りでは若さと体力に勝る後輩が強さを発揮し、自分が置いていかれる場面もあって、これで案外ベストに近いバランスが取れていたのだった。八合目を超え山頂に近づくと木道の整備された高原地帯が広がり、景色が一変。進むに連れて天候がさらに改善し、ガスが晴れて、近隣の山々も姿を現し、美しい景色が広がった。山頂が高原状に平地になっていて、湿原が広がる苗場山の独特の眺めを楽しむことができ、ここまできた甲斐があったと感無量だった。結果的に下りでも雨は降らず、涼しくて熱中症の心配もなかったので、登山日和で大当たりだったと言える。山頂の標識に到着したのは9時、持参したコンロで水を沸かし山頂でカップ麺とコーヒーを味わった。ベタなお楽しみではあったが、登頂した達成感もあり、やはり美味しさは格別だった。山頂での優雅なひとときを満喫し、9時45分に下山開始。11時40分に無事下山した。

 

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雨でも登れさえすればいいと思っていたのに、意外や意外、景色を堪能できたし、写真もたくさん撮れて、久々の百名山登山を十二分に楽しめた。それは後輩も同じだったようで、楽しかった、登れてよかったと何度も口にしていた。今回の苗場山が、彼が登山の趣味に開眼するきっかけとなれば、自分としても嬉しい限りだ。次なる新たな百名山は、新潟県最高峰の小蓮華山をターゲットにしたい。行くならもちろん、日帰りで。

 

【登り】2時間20分
【山頂滞在時間】45分
【下り】1時間50分
【トータル】4時間55分

(※今回の写真は、フォトライフの「20210808苗場山登山」フォルダに保存した。)

 

(60分)

4代目G-SHOCK

昨年10月から、新しいG-SHOCKを使い始めた。「G-SQUAD  GBD-H1000-1JR」という機種で、定価55000円のところ、ポイント付与分等を引いた実質で38500円ほどで購入した。前回の買い替えから6年半ぶり、自分にとって4代目となるG-SHOCKである。

 

 

このG-SQUADの機能は驚くほど多岐に渡る。まず、高度計、気圧計、温度計、電子コンパスという先代RANGEMANの各センサーは漏れなく備えている。これに加えて、心拍計歩数計が搭載され、GPS機能も装備、さらにスマホと連携することで、専用アプリ「MOVE」に計測データの転送・表示もできるし、LINEのメッセージや電話着信、アプリ通知等を表示することもできる。もちろん、耐水耐衝撃、ソーラー充電、バックライト、電波時計といった基本機能を網羅していることは言うまでもない。まさに「全部入り」と呼ぶに相応しい多機能性を誇っている。

 

自分がこの機種を知って電撃的に「買いだ!」と即決した最大の特長は、なんと言っても「スマートウォッチとG-SHOCKが一つになった」という点である。かつてFitbitというスマートウォッチを2年半ほど使用していたことがあり、日常生活とスポーツ時の活動量計測ができる機能には満足していた。しかし、腕に装着するという点で腕時計との競合が避けられず、大好きなG-SHOCKやオシアナスを使う機会がなくなってしまい、苦悩の末にFitbitを手放す決断をした経緯があった。その時に「1つにくっついたらいいのに」と思って嘆いたのだが、その念願がまさに現実になった新製品が登場したのだから、これを買うのをためらう理由は何もなかった。購入後は、毎日欠かさず左腕に装着し、スマートウォッチ兼G-SHOCKとして愛用している。G-SHOCKらしいゴツゴツしたデザインながら、カラーが完全に黒一色で仕事用の腕時計としても違和感がなく使えているのもお気に入りの点だ。

 

休日にスポーツをする機会がなかなか作れず、ラップタイム計測やGPSなど様々なワークアウト用の機能がまだあまり使えていないのがあいにくなところだが、まあそれはこれからのお楽しみとしておこう。新たなG-SHOCKを相棒に、健康で活動的な毎日を過ごす努力を続けていきたい。

 

(60分)