操法が残したもの ~光と影~

6月下旬、市内の消防団の最大行事である競技大会が行われた。その場に、消防団の末端組織である「消防部」を部長として率いる自分の姿があり、自分の部のチームも「小型ポンプ操法の部」に方面隊代表として出場していた。出場選手たちは、普段どおり落ち着いた様子で、目立ったミスもなく練習時のベストタイムタイで、堂々たる演技を披露した。その結果は、上位入賞。思ってもみなかった好結果に自分もほかの団員たちも戸惑ったものの、その瞬間、これまでの長い練習が報われたことのうれしさがぐっとこみあげてきて、口々に選手やお互いをねぎらう言葉が飛び交ったのだった。その夜の慰労会では、練習が終わった解放感と結果を出せた達成感で、みな底抜けに明るい顔をして酒をつぎ合い、盛り上がった。団員同士でこんな楽しい時間を過ごせたのは数年ぶりのことだったし、自分も4月から「願掛け」として断っていたお酒を3ヶ月ぶりに解禁し、「部長おつかれさま!」という声とともに次々とグラスに注がれるビールをせっせと飲み干したのだった。3ヶ月のブランクと、活気に満ちた空気がもたらしたあのときのビールのおいしさは、忘れがたいものがあった。

 

 

・・・というのが、4~6月の3ヶ月間に渡り繰り広げられた「操法練習」の最後の一幕である。操法は長年、その練習にかかる負担の重さが団員から敬遠され、「消防団離れ」の最大の要因とされてきた。実際の消火活動から乖離して過度に形式化、競技化が進んだ、いわゆる「訓練のための訓練」になっていることが問題視されており、全国で参加を任意にしたり、上位大会への出場を取りやめたりといった見直しが進みつつある。ただ、自分が所属する市内の消防団では、各方面隊から毎年代表を出すことになっており、その代表は方面隊内の消防部の持ち回りで決まる形となっている。つまり、自分たちの番が回ってきたら、「義務」として参加しなければならない。その参加が確定した昨年の夏に、これまた順番どおりに自分が「操法の年の部長」を務めることが内定(集落内の団員を集めた会議で周りから圧をかけられ、抵抗・反論空しく、「やります」と言わざるを得なくなった)した。それ以来、どうやって大会までの操法練習を行うか、部内の団員たちをどのようにまとめるかということが、自分の中で非常に厄介で重たい問題として居座り続けていた。

 

そんなこんなで悩みに悩みを重ねつつ、自分が部長として携わった今回の操法では、ある大きな決断をした。「練習は全て朝練。夜練は一切しない」、「練習回数は前回の6割」、「直前でも週3回の練習ペースは変えない」等の基本方針を掲げ、それを「全体計画」として文書化した上でスタートしたのだ。このやり方には、「結果を出すには練習量が命」と信じる古参の団員や幹部から不満や心配の声が上がったが、自分は断固として譲らなかった。前回2015年の大会出場時の猛烈な練習量(直前1ヶ月は土日以外毎日練習、朝練をやったあとに夜練をする日もあり)は、あまりにもスパルタ過ぎて選手ではなかった自分にとってさえ「トラウマ」になっており、それを「繰り返さないこと」が、部長職を自分が嫌々引き受けた際に心に誓った条件だったからだ。とはいえ、自分とて単にやりたくないからやらないということで練習量を減らしたわけではない。全体計画の立案に当たっては、大会に出場する選手(指揮者、1番員、2番員、3番員の4人チーム)も交えて入念な議論を重ね、方針について選手からの指示を得ていた。そして、選手との間で「練習量至上主義の固定観念に染まった幹部の意識を塗り替えるため、練習量を減らしても結果を出せることを、今回の操法練習を通じて証明してみせよう」と約束し、選手との信頼関係を構築した上で、部長として責任をもってこの決断をしたのだった。練習開始後も自分の決意は揺らぐことなく、特に前回部長だった団員から練習の強化を求める様々な「アドバイス」を受けるも柳に風で、最後まで計画どおりに意思を貫いた。計画には、基本理念として以下の5項目の方針を掲げていた。

 

(1)順位より自己ベスト:優勝(=上位大会への出場)は目指さないが、せっかく出場するからには堂々とした演技を披露し、あくまで部としての自己ベストを目指す。

(2)一致団結:選手が練習に専念できるよう、他の団員が準備や安全の確保、片付け等で常にサポートし、前向きな雰囲気を醸成しながら、全団員で協力して本番に臨む。

(3)効率化:前回出場時の工夫や経験を準備段階からフル投入して活用し、具体的な全体計画を立ててスタートすることで、準備・練習を効率化する。また、次回出場時にも今回の経験を生かせるよう、活動の記録等を残す。

(4)練習量の抑制:動画の視聴や資料等によって各自で学習ができる環境を整えることで、1回当たりの練習の質を高め、練習回数を前回の7割程度に抑えることを目指す。(前回は推定50回以上練習したので、今回は30回以内を目安にする。)

(5)消防を最優先にしない:操法練習のために仕事や家庭、生活に過度な負担が生じたり、疲労を重ねて怪我を誘発したりするのは本末転倒なので、各自で健康管理(睡眠時間や生活リズム等)に努めながら参加するようにする。心配なことがあれば、班長・部長に気兼ねせず相談する。

 

いざ大会を終えてフタを開けてみると、練習回数は前回の50数回から29回に抑制したにも関わらず、前回の6位を上回る過去十数年で最高の結果を出すことができた。そして、練習過程と結果は、全くもって上記の方針に沿ったものだった。この結果を前に、反論してくる人は誰もいなくなり、むしろ「やり方は正しかった」「画期的だった」という評価にひっくり返って、思いがけず自分が賞賛されることになった。そうした声を前に、自分の心の中では、幹部たちの鼻を明かすことができて晴れがましい気分と、別に好きでやったわけではないという戸惑いの気分とがシーソーを繰り広げていて落ち着かなかったが、それでも「無事終わった」「解放された」という大きな安堵感、達成感があったのは紛れもない事実だった。それは選手をはじめ団員たちも同じだったと思うし、大会直後にとったウェブアンケートからも、今回の方針への支持と、所期の成果を挙げられたことをデータとしてはっきり確認することができたのだった。

 

それにしても、部長として操法練習を最後まで遂行するのは本当に大変だった。自分と部内の班長4人を「執行部」として、各班長に役割を与え、練習時の現場の指揮は班長に任せたり(ただ、実際にはあまり機能しなかった)、機材の購入にかかる会計も班長に委任したり、練習の出欠管理はウェブサービス(伝助)を使って効率化・共有化したりと、「自分が常に現場にいなくても回る仕組み」を作ることにとにかく腐心した。そうしないと自分の身が持たないと思ったし、「部長の仕事を数人で分担する」ことが、部長を引き受けた会議の場で突きつけた条件でもあったからだ。それでも、朝4時半に起きて(練習に参加した回数は全体の3分の2程度だったが)、片道8kmも離れた練習会場(自分は地元を離れているため。ほかの団員は1~2kmの距離)まで車を走らせ、1時間程度練習に携わった後途中で退席して帰宅し、6時半に子供を起こして朝食を食べさせ、子供の保育園の準備と自分の身支度をして、7時15分には出勤のため家を出る・・・という生活を3ヶ月も続けるのは本当に心身に堪えた。部長の役割はほかにもあり、幹部と班長の上下両方から来る連絡・相談への対応、班長・団員への様々な指示、消防団事務局から来る作業指示等への対応・報告、部長会議への出席(平日19時から開催だから、子供の風呂に間に合うか毎度ヒヤヒヤ)、大会当日の役割分担やタイムテーブルの作成などなど、とにかく盛りだくさんだった。当然、これに加えて、日常の育児・家事と仕事は何ら変わりなく並行することになるので、大会が近づくに連れて状況は混迷の度を深め、最終盤は仕事の忙しさが相まって頭の中がカオス状態に陥った。ただ、これほど難しい状況だっただけに、「プロジェクトマネジメント」的なスキルの訓練としては、かなり自分にとって効果的だったように思う。自分としても、計画を立てて、常に情報共有し、やったことの記録を残し、ウェブを最大限活用して様々な作業を効率化した上、やりっぱなしの自己満足にせず事後アンケートをとって効果測定をしてPDCAを回すなど、事務職員としてのスキルを最大限投入して臨んだ。自分の培ってきた事務スキルが生かせた手応えはあったし、結果を出せたことで自分のマネジメント能力にも多少なりとも自信が持てた。部長をやってよかったとは決して思わないが、部長としてやったことがただ「消防のため」だけで終わらない成果につながったと感じられたのは、大事なことだったと思う。

 

長々と色んなことを書いたが、自分の人生の記録と、心の整理ができたので、この辺で終わりにしようと思う。今回獲得した操法練習のノウハウも、作成中の報告書が完成したら、頭の中からきれいさっぱり忘れるつもりだ。早く完成させて頭の中をリセットしたい。操法に何の思い入れもないし、義務ではなくなることがベストだと信じているが、団員たちと勝ち取った栄えある結果と、そこに向けた真摯な努力は、きっと大事な思い出として心の中に長く残ることだろう。

 

(150分)