共感

一昨日は大学時代の友人、K氏の結婚式に呼ばれ、新幹線で富山市に行った。そして式後はそのまま富山市内のホテルに一泊し、昨日の朝の列車で上越に戻ってきた。1人で泊まり掛けの旅行に出掛けるのは、昨年8月の新潟以来のことだ。子供の世話を引き受けて、泊まりを許してくれた妻には深く感謝している。


結婚式は、神社での挙式と、ホテルでの披露宴に出させてもらった。神社での式はほぼ初めての経験だったので、赤い糸で新郎新婦がお互いの指を結ったり、御神酒で三三九度をしたりする儀式が新鮮に感じられた。また、披露宴は、アットホームな雰囲気かつ、進行も滞りなくスムーズで、役割もなかったのでゆっくり楽しませてもらった。新郎新婦の明るく人に好かれる人柄が伝わってくる、とても素敵な披露宴だったと思う。晴れ着に身を包み、終始笑顔を絶やさないK氏の姿には、いっぱしの男として、今までよりも一回り大きくなったことを感じられて、自分の目にはすごく頼もしく映った。大それた言い方だが、彼なら間違いなく、奥さんを大事にして、幸せな家庭を築いてくれることだろう。式中に撮影していたビデオメッセージでは、夫婦仲を良好に保つために重要だと自分が考えるシンプルなことを、「先輩」からのアドバイスとして伝えた。彼の実践に期待したい。


この日のハイライトはもちろんK氏の結婚式だった訳だが、自分にとっての真骨頂は、実のところ夜の二次会だった。17時にK氏、Y氏、T氏と自分の大学同期4人が集まり、居酒屋で3時間ほど話をした。既婚の男同士、特に子持ち(K氏以外)同士というメンツだったので、夫婦関係や子育ての大変なこと等を赤裸々に語り合った。K氏自身も今後の参考にしたいからと積極的にそうした話を求めたので、夫・父親が感じる「あるある」トークに花が咲いた。自分も境遇を吐露したし、それをみんなにある程度共感してもらえた。この共感が、自分にとってはすごく心の薬になったと、今振り返ってみて実感している。夫・父親として、普段感じている、直面するトラブルや悩みが、自分だけの話ではなく、誰にも普遍的に起こるありふれた問題に過ぎないと確かめられたこと、それがどれほど大きな救いだったことか。自分がおかしい訳じゃない、間違ってる訳じゃないと思えた、ただそれだけで、思い詰めていたことも笑い話に変えられたし、心が軽くなった。まるでずっと欠けていたパズルのピースがぴたりとはまったような心地よさがあった。この類いの問題には正解はないし、別に解決を求めている訳でもない。ただ、共感してくれる相談相手がいて、普遍的な出来事だと気付かせてくれるだけで、自分には十分だったのだ。共感というものがいかに大切か、自分がいかにそれに飢えていたかが身に沁みたひとときだった。そして、人からうまく話を引き出し、それを自分なりに噛み砕いて周りの共感を得られるように一般化できる、K氏のコミュニケーション力というか、ファシリテーション力というか、人たらしっぷりには、とにかく脱帽するしかない。自分はここが、彼の一番尊敬できるところだと思っている。二次会後は、ラーメンを食べて、21時半ごろに解散したのだった。


普段何かと物事を深刻に考えて、自分で自分を追い込みがちなのだが、今回友人の話を聴き、自分の話も聴いてもらえて、そこまで思い詰める必要はないと思えるようになった。年数回、ほんのちょっとでいいから、こういう時間が持てたら、これからも前向きにやっていけそうな気がする。友人の存在というのは本当にありがたいものだ。彼らとの再会を楽しみに、日々の生活を頑張っていくとしよう。

(90分、携帯)