卒論

自分は卒論は書いていない。自分の学科が卒論が必修ではないカリキュラムになっているので、それでも卒業に差し障りはない。


一時は書きたいと思っていたこともあった。だが、11月上旬まで就職のことで頭がいっぱいだったので、最初の卒研に出たあと何もせず、途中で諦めてしまったのだった。そもそも自分のゼミでは例年書く人のほうが少数派だったし、テーマとしてやりたかったことが「新潟の林業の実態」とか「農業は持続可能なのか」とか主に農林業で、今まで学んできたこととは全然方向性の違うしほとんど前提知識もない分野だったので、とても手に負えないと判断してしまったことも理由ではあった。


卒論がないおかげで、今は語学と教養のいくつかの授業に出る以外はやるべきこともなく、悠々としていられる。しかし同年代の人たちが経験している、あるいは大卒の人たちが経験してきた、「卒論を書き上げるために必死でがんばる」という過程をスキップしてしまっていることには、「それってどうなのよ」という思いも一方では存在しているのも事実だ。大学に就職することになるのに、大卒なら当然経ているべき経験を積んでいないというのは、職業人として何か欠落しているような気もしてしまう。でもまあ、卒研の履修登録はしていないし、今更もうどうにも出来ないことなので、それはそれとして現実を認めるほかはない。どうせ自分が何か書いたところで、資料の要約か、一面的で論証不十分な主張の羅列にしかなりそうにないし、結局書いて自己満足するだけで、アカデミックな行為とはなりえないだろう。ブログと同じようなものだ。ならば、これが卒論だと思ってしまえばいい。


またどうしても一度書いてみたいというなら、働き出した後個人的に書くことだって別に不可能じゃない。何かのマニアックな学会に参加して、そこだけでウケるようなものを書いたっていいだろう。それだって論文として扱われる。テクニカルな部分での指南書はいくらでも売っているし、すでに一冊持っている。


卒論は大学で学んだことの集大成である、ともいう。経済学から何を学んだか、と問われれば、その答えはすぐには出てこない。だが、自分の思考に大きな影響を与え、世界の見方に新たな視点を加えるという効果をもたらした、ということははっきりいえる。結果ではなく、考えることを学ぶのが大学であり、学問だというなら、それで十分だろう。そう、自分は思う。

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