「すごい大変だった」「すごいがんばった」


・・・いや「すごく」だろ、と突っ込みたくなる。


国語的に言えば、用言を修飾するんだから連用形にすべきで、その活用は間違ってる、ということになるんだろうけど、そんなことより自分は語感的にその使い方が気に食わない。


「あの人はすごい人だ」とは言っても「すごく人だ」とは言わない。明らかに変だ。でも「すごくびっくりした」を「すごいびっくりした」と言っても、普通に通用する。「すごい」のほうが汎用性が高いのが現実。だからみんな使うのだろう。そのほうが楽だから。水は低きに流れ、人の心もまた低きへ流れる。


言葉は流動的なもの、「生き物」だから、変化するのは必然だ。でもやはり人それぞれ、しっくり来る言葉と来ない言葉というのがある。それが世代間のすれ違いや、不要な対立を生む原因となったりする。自分の場合は、この「すごい」の使い方と、「まじ」という言葉が苦手だ。後者は自分でもつい使ってしまうが、品がない表現だ。年齢的にも、もうこれを使うのはあまり好ましくない。


「美しい日本語」なんてナルシシズムに浸った杓子定規な言葉遣いは御免だが、よくわからない略語やカタカナ語、流行語の類を軽はずみに使うのも自分は好きではない。あくまで自分で納得のいく、誰に対しても誤解と不快感を与えない、自分なりの自然な日本語、それを使えるようになれればいいな、と普段から意識して文章を書くようにしている。

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