次代

大学職員採用試験のポスターが事務局の玄関に貼られていた。もう次の次に入る人たちの採用活動が始まりつつあるのだと気づき、「自分もいつまでも新人ではないのだ。働きっぷりを大目に見てはもらえないのだぞ」と考えて不意に気持ちが引き締まる思いがした。ただ、うちの大学では今年は採用の募集をしなかったから、来年の春から次の世代が入ってくるということは、残念ながら、ない可能性が高い。でも、大学職員は既卒で入る人が少なくなく、8月や10月など年度途中で採用になる人も珍しくない(誰がいつから採用になったかという話はややこしくて覚えられない)。だから、今ポスターで周知している来年の採用試験を受けた人が、来年の8月から採用になって入ってくる可能性もなくはない。いや、むしろ大いにありうる。本来は4月採用のところを、フライングして働いてもらうのだから、あくまで年度としては2つ下ということになるが、自分の最初の後輩になることには変わりない。少しくらいお手本になれるような働き方をして、また積極的に声をかけたり誘ったりして早く大学になじんでもらえるように手助けしたいな、なんて考えて一瞬楽しくなって直後にそれとはほど遠い今の自分の力にがっかりしてしまいもする。だがそういうのって、甘えん坊だったのに兄弟が生まれたら急にしっかりものになる子どもと同じ原理で、いざそういう状況になったら自然的に変わっていくということもあるかもしれない。まあ全ては想像の話だから、実際のところは分かんないけどね。



で、それとは全く関係ないところで、今日はすごく自戒した。8月13日に「給料は多少下げられても別に構わないけど、首を切られるのだけは勘弁してほしい」と書いたが、とんでもない発想だった。組織にしがみついて楽したいと言っているようなものではないか。そんな寄生虫みたいな考えの人間なんて、どこの組織にだっていらない。当然大学にだっていらない。そんな発想をしてしまったことを恥じて、悔い改めようと決意した。そして思った。大切なのは、上と反対方向に考えることなのだと。すなわち、「首になることなんて恐れずに、思ったことはどんどん口に出して、自分を枠にはめずにどんな仕事でも真剣に取り組んで、大学をよくするために頑張るから、給料を上げて欲しい」ということだ。守りではない、攻めの姿勢である。そんな人がいたら、人間として真っ当で真っすぐな印象を受け、とても魅力的だろうし、信頼もされるはずだ。実質はひとまず置いておくとしても、気持ちとしてはそれくらいの意気込みでやってもらわないと、いたずらに失望を買うことになりかねない。意識を変え、行動を変えるために、一つ一つ頑張っていかなければとつくづく思う。

(50分)