続・G.G.

3カ月近くずっと休んでいた課内の新人の女性が、退職することになった。3日前の夕方に久々に唐突にやって来たと思ったら、「今月末で退職します。お世話になりました」という退職の挨拶をすると、机を整理して帰ってしまった。4月採用だから、8月末で退職するとなると、勤続期間はわずか5カ月。出勤した日数で数えれば、2ヶ月にも満たないだろう。あまりにも早い退職だった。


辞めた理由は、「出産と育児に専念するため」ということだった。ここでまたもや、ジェネレーションギャップを覚えた。それは「妊娠しました」と聞かされたときとは正反対に、「考え方が古い」ことへのショックだった。結婚・出産しても、女性が仕事を辞めることなく、キャリアを積み重ねながら仕事と家庭生活とを両立する・・・というのが、労働力人口の減少に直面する日本社会が目指そうとしている方向性であり、働く女性たち自身が望んでいるロールモデルだと自分は考えていたのに、20代前半の彼女の選択がそれとは全く逆のものだったからだ。何でそういう古い考え方をするんだよ、と心の中でツッコミを入れずにはいられなかった。第一に、せっかく正規職員で採用されたのに、わずか5カ月で退職してしまうなんてもったいないじゃないか。そんな短い勤務経験は何のキャリアにもならないし、一度仕事辞めて専業主婦になってしまったら、もはや今と同じ待遇の仕事に再就職することは極めて難しくなる。男女を問わず、キャリアの継続性が途切れることが、その後の職業選択に大きな影響を与えるのは厳然たる事実だ。彼女は「育児が一段落したらまた働きたい」といっていたが、そんなに甘いものではない。仮に再就職がパート勤務だったら、定年まで正社員を続けていた場合と比べて、生涯賃金にして1.5〜2億円もの額を逸失することになる。専業主婦という選択を認めてしまった彼女の夫には、果たしてそれだけの負担を背負うことになる覚悟があるのだろうか。第二に、辞められることは、休まれることよりも迷惑だ。せっかく、コストを掛けて採用し、短期間とはいえ教育したのに、そのコストを回収する前に退職されては困るというものだ。本人は「これ以上ご迷惑をおかけしたくないので」と口にしていたが、休んでいても無給で雇用している状態になるだけなので、雇う側にはさほど金銭的な負担はないし、休む期間さえ明確になっていれば、代替の臨時職員を採用することは可能なのだから、実質的には新人に休まれても大きな問題はない。実際、彼女が不在の間、課員が1名足りない状態がずっと続いていたが、忙しさが増した以外には問題は生じていなかった。長い職業人生を考えれば、2、3年休むくらいのことは大した長さではない。もちろん、就職した最初の1年が特別重要なものであることは確かだが、休むことになった以上は、認められた権利を行使して、堂々と休んでもらいたかった。せっかく就いた仕事なのだから、多少の恥はかき捨てて、職にしがみつく図太さを持ってもらいたかった。来年度採用の職員の面接試験はすでに終わってしまっている。彼女の退職した分をの人員を穴埋めするとすれば、もう一度試験をやらなければならないことになるが、それは人事担当者に多大な労力をかけることになる。以前人事・労務の仕事をを担当していた立場としては、それに思いが至るだけの想像力を持っていて欲しかった。特に、男女別の平均勤続年数のデータを求める場合、数少ない女性職員の一人が採用後すぐ退職することによる数値の落ち込みがいかに大きいかということは電卓を使わなくても容易く想像がつく。「女性が長く働けない」という印象を職員志望者に与えてしまえば、職員に応募する女性がさらに少なくなってしまうと考えるのが自然だ。そうなると、将来、女性管理職を一定割合以上にすることが法的に義務付けられた場合に、対応できなくなってしまう恐れもいよいよ現実味を帯びてくることになってしまうのである。


せっかく本学の一員として迎え入れたのに、こんな形で縁が切れることになるのは残念だ。確かに、第1子の誕生を機会に、働く女性の6割が退職するという現実はある。だが、彼女にはうちの職場の多くの女性職員がそうであるように、結婚・出産を経ても働き続け、長く活躍して欲しかった。労働者にはいつでも「退職の自由」が認められているので、本人が希望している以上はそれを受け入れるしかない。ことがことなだけに、送別会もないし、ほかの課への退職の挨拶回りも当然なかった。もはや彼女が大学に来ることはないだろう。思いがけない結末を迎えたことに対して、「なぜ」という思いは今なお尽きない。

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