新職場百考(3)〜シフト勤務の弊害

今の職場に出向して早8ヶ月半もの月日が過ぎた。もはや「新職場」という言葉を使うには賞味期限が切れているような気がしないでもない。だが、出向に伴う劇的な環境変化について、これまで十分に語ってはこなかったし、いまだに深い悩みの渦中にいるので、もうしばらくこのタイトルで現状分析を行なっていきたいと思う。

 

職場が変わったことによる最も大きなインパクト、それは「シフト勤務」になったことだ。職場は土日祝日関係なく年末年始の6日間以外は毎日(つまり年間359日)営業しているので、全ての日に職員を配置するには、シフト勤務にせざるを得ない。そのため管理職を除く全ての職員は、1ヶ月(厳密には4週間)ごとに「8日+祝日分」の休みを土日・平日ごちゃまぜで割り当てられることになる。いわゆる「土日祝日」分に当たる休みのことを、職場では「公休日」と呼んでいる。今までなじみのなかった言葉だが、シフト制の業界ではおそらく一般的に使われているのだろう。保育園に通っていた頃から30年以上もずっとカレンダーどおりの土日休みを続けてきたのに、突然「不定休」になったのだから、戸惑わないほうが珍しいだろう。当然事前に知っていたし、覚悟はしていたのだが、現実は想像より遙かに過酷だった。シフト勤務によって生じる問題がいかに多く、かつ困難を極めるか、以下に取り上げてみる。

 

(1)周期性がない「完全ランダムな休日」で、生活リズムが崩壊
事前のイメージでは「土日休みと平日休みが半々くらい」だと思っていた。だが、フタを開けてみるとそんな労働者目線の配慮は一切なく、全くのランダムだった。例えば6月の休日はこんな状況だった。

6月3日(金)、6月4日(土)→6月8日(水)→6月13日(月)、6月14日(火)→6月17日(金)→6月20日(月)→6月24日(金)→6月27日(月)

土日休みだったのは1ヶ月で1日だけであり、連休だったのも2回だけ。2日休んで3日出勤し、次は1日休んだら4日出勤といった感じで、リズムも何もあったものではなかった。これは日ごとの施設利用者数に応じて出勤者数を調整しているためで、業務量が利用者数に比例することを考えると、それに振り回されるのはやむを得ない部分も確かに理解はできる。しかし、労働者の健康という側面から考えるとあまりにも問題が大きい。これでは生活リズムが乱れるし、1日だけの休みでは心身の疲れを取るには不十分だ。実際、曜日感覚がなくなって困ると話す職員は少なくない。また、以前は土日休みと平日休みを2週間周期で繰り返す、より健全に近いシフト体制だったらしいが、いつの間にか形骸化して、このようになってしまったという話も聞いた。さらにたちが悪いのは、この合間に宿直勤務が挟み込まれることで、6月は3回の宿直があり生活リズムが乱れに乱れた。シフト勤務が非常に深刻な問題を抱えていることを、出向して早々に思い知らされることになったのだった。

 

(2)ランダムなシフトのせいで、家族との時間がとれない
こうしたシフトでも、独身者など、本人の生活リズムだけの問題であれば、まだ話は単純なほうだ。より深刻なのは、自分のように小さい子供のいる家庭の場合である。これまで、土日は完全に自分が子供の面倒を見て、妻は昼寝したりスマホをいじったりして1日過ごすという分業によって家庭内で絶妙な均衡状態が成り立っていた。だが、自分が土日とも出勤、しかもそれが複数週連続でとなると、子供の世話の負担が一気に妻に集中することになり、この均衡はもろくも崩壊した。土日の片方は保育園に預けるということもできるのだが、いずれにしても1日は妻が見ていなければいけないので、妻の不満は一気に上昇し、「こんなことになるなんて話は聞いてなかった」と妻の怒りが爆発することになった。その矛先は当然自分に向かうので、生活リズムの乱れで疲労した身に、妻からのミサイルが直撃してさらなるダメージを被る悪循環に陥った。「こっちだって聞いてない」と反論したところで、火に油を注ぐだけ。とにかく非難を受け止めて謝るほかに手段はない。土日に出勤が続く場合は「土日に年休」を取って強制的に休みに変更することで、保育園の行事に参加したり、子供の相手をしたりと、悪循環を緩和する手法を採用したほか、妻も妻で子供に自由に動画を見させたり、食事は外食にしたりすることで土日の過ごし方が定着してきたので、ひとまずこの問題は徐々に鎮火してきつつはある。ただ、それでも突発的に炎上することがあるので、土日出勤の日は気が気ではなく、家に帰るまで(より正確には妻が寝るまで)とにかく神経を遣う。

 

(3)自分が休みでも、職場は休みではない
さて、視点を休む側から、働いている側に変えてみると、自分が休日でも、職場は常に営業していて、自分の係でも誰かしらが出勤している、という事実に気が付く。それはすなわち、係長である自分が不在の日でも出勤者同士で協力・工夫して自律的に仕事を回してもらわなければならないということである。そして、その中には当然トラブル対応も含まれるわけで、休み明けに出勤した直後に前日に起きたトラブルの話を聞かされ、処理を委ねられると、朝からがっくりと気が滅入る羽目になる。それでなくても、休み明けには机上に不在中に回されてきた決裁書類の山ができていることが少なくない。そのため、休み明けは常に気が重く、通勤時に車のハンドルがやけに重く感じることも少なくない。また、自分が3日以上の連休に入る前には、その間に出勤する職員にどのように仕事を割り振りするかを考えて、書面で指示や引継ぎをしておくことも必要だし、係内の全員が揃う日がほとんどないので、休んでいる人にも伝わるよう日常的な情報共有には口頭だけではなくチャットツール(Microsoft Teams)を使う必要があるなど、土日休みの職場に比べて何かと余計な手間のかかる部分が多い。部下に仕事を頼もうにも休みで頼めなかったり、お互いの出勤日が合わなくてなかなか進捗が確認できなかったり(部下と1週間会えないこともザラにある)、原議書を起案しても決裁が中々回らなかったりと、シフト制で仕事を回す不便さを挙げればきりがない。何より、「今日も何か起きてるんじゃないか」と気になってしまい、公休日でも仕事のことが頭から離れないというのが、最も深刻な問題である。これも、係長として配属されたがゆえの深い悩みであり、係員だったらあまり縁はない話だろう。同じ大学職員組でも、係員として配属された出向経験者にはピンとこず共感してもらえないので、誰かに打ち明けることもできず、一人で悶々とするほかない。

 

このように、シフト勤務には肉体的にも精神衛生上でも深刻な弊害があり、自分は現在進行形でその影響の最中にある。この状況から真の意味で抜け出せるのは、元の職場に復帰する予定の2年半後ということになるが、それまでひたすら耐えるのでは到底身が持たない。そのため、係長の立場でできるいくつかの改善策を試みている。たとえばこんなことがその一例である。

・これまで「係長の専任事項」となっていた定型業務の一部をほかの常勤職員に委任し、不在中に担当してもらう。(不在中も仕事が処理されるので、休み明けにたまっている書類の量を減らせるし、業務の属人化を低減する点でBCPにもつながる)
・シフト調整の一部に関与し、月の土日の半分程度は休みを取れるように試みる。(ただし、後から組み替えられることも多く、十分な成果は上がっていない)
・シフト調整時に、係内の常勤職員が一人だけになる日はなるべく作らないようにする。(常勤職員が一人だけだとその人が年休を取りたくても取れないし、突発的な事態で休まざるを得なくなるとシフト調整が必要になるので、自分が該当した場合にそういう事態をなるべく避けられるようにする。また、部下と会えない日をなるべく短くする)
・3連休以上の公休日を原則入れないようにする。(仕事のことが気になって休むに休めなくなることを防ぐ)

そもそも、こうした諸問題を解決するにはシフトをやめることがベストであることは間違いない。しかし、組織の業務運営の大前提を覆すことになるので、それは無理というものだ。手を変え、品を変えながら、シフト制という「宿痾(いつまでも治らない病気)」と戦う日々をこれからも続けていくことになりそうである。

 

(150分)