Happy nothing special day!

2019年1月2日、今日で年末年始の連休は折り返しだ。自分の職場は12月29日から1月6日まで9連休となっている。始まる前からあまりにも長すぎると思っていたが、4日終わった今の時点で、すでに休みぼけが著しく、休みに飽き飽きしている。さっさといつもの生活リズムに戻したい、リハビリのためにここらで休日出勤しようかと考えているほどだ。今年は5月にも改元に伴う10連休が予定されているが、それも仕事の停滞を考えると、残念ながら喜べそうにない。

 

 

そうそう、気づけば2018年も終わり、2019年が始まっていた。今年の年末年始は、アパートで家族3人で過ごしている。例年は「1年の終わり」と「新たな1年の始まり」を強烈に意識して、ブログで「締め」という記事を書いたり、新しい手帳に「今年の抱負」を書いたりしてきたし、それに相当なエネルギーを割いてきた。だが、今回から、年末年始を記録上、心理上、特別扱いする行動は一切やめることにした。理由は単純だ。大事なのは、年末年始に特別な決意を固めることではなく、1日1日を特別なものとして大切に過ごし、今という時間を一生懸命に生きることだ、と考えたから。つまり、ほぼ日のテーマである「なんでもない日、おめでとう」の精神である。子ども中心の生活で、毎日子どもと真剣勝負で向き合って過ごす中で、ずっと前から知っていたこの言葉について、だんだんと納得感を持って、しみじみと意識するようになってきていた。落ち着いたら、あとでこれをしようとか、今年中にこれを達成しようとかいう目標の立て方は、日々に精一杯の中ではもはや現実的ではなく、「いつか」に期待する生き方は、かけがえのない「今」への注意散漫を招く。「一生懸命の今」を積み重ねることが大事なのであって、年末年始だとか、そういったときの時間を特別扱いして、ましてや慌てることには意味がないのだ。そう思って、特別な記録は一切つけなかった。ちょっとまだむずむずする感じはあるし、若干寂しくはあるが、一度止めてしまえば良くも悪くもそれが定例化するので、今後はこれが定着するだろう。

 

 

そういう訳で、自分は年末年始だからといって特別なことはしていないし、気持ち的にも新年を迎えたからといって特に変わったことはない。年末年始のイベントは全て妻の希望に合わせて実行している。元々年末年始の行事には執着がないので、家族の希望を叶えることに注力し、大晦日は「行く年来る年」を見てカウントダウンしたり、元日は初詣に行ったりした。今年にあえて目標を立てるとしたら、家族全員が明るく健康に過ごせて、子どもがすくすく育てばいい、というくらいだ。シンプルだが、それが一番大事なことである。今年はそれを常に頭に置いて、でも気張らずに、1日1日を一生懸命過ごすとしたい。

 

(40分)