子どもの体験

夜明けとともに雲ひとつない晴天が広がった2月最終日にして日曜日の今朝、自分は前日から考えていたある作戦を実行した。それは、子どもを早朝のうちに屋外に連れ出し、「しみわたり」を体験させることだった。

 

しみわたり(凍み渡り)とは、この辺りの方言で、「夜間の低温によって固く凍った雪の上を、昼間にかんじき等の道具を使わずに歩くこと、あるいは足が埋まらずに歩ける状態に雪が凍る現象」(自分の解釈)を指す。この現象が起こるためには、①前日から当日朝までずっと晴れていること、②昼夜の寒暖差が大きいこと、という気象条件が必要になる。これにより、前日の昼間に日差しで溶けた雪の表面が、夜間の放射冷却で氷点下まで冷えて凍結し、翌朝には大人の体重でも足跡が残らないほど固くなり、雪上を普通の靴でも歩けるようになるというわけだ。この条件が揃いやすいのが2月下旬〜3月上旬くらいのちょうど今頃の時期で、それが今回たまたま土日に重なったのである。自宅の周囲の田んぼにはまだ1m近い積雪が残っており、辺り一面に雪原が広がっている。この上を自由に歩けるようになる驚きと楽しさ、爽快感を、子どもにもぜひ体験させたい。そう思って、午前8時頃、子どもを連れて外に出たのだった。

 

前日のうちに雪を削って作っておいた階段を上り、まずは自分で雪原の上に踏み出してみた。予想通り、雪はカチカチに凍っており、ジャンプしても全く沈まないほど、頑丈な「床」に変化していた。そして大雪が残した大量の雪が大地の凹凸を覆い隠しているおかげで、グラウンドのように平らな雪原がどこまでも広がっていた。雪原と青空に挟まれた妙高山の輝きがいつにも増して眩しかった。早速、3歳の子どもの背中を支えて階段を上らせ、雪原に立たせてみた。最初は恐る恐るだったが、自分が先に雪原に進んで、歩けることを示してやると、すぐに後を着いてきてはしゃぎ始めた。そして喜び雪の上を駆け出して行った。こうして作戦は見事成功し、しみわたりという雪国ならではの自然現象と、その楽しさを子どもに体験させることができた。ただし、すでに日は高く上ってきていたが、雪上を吹き抜ける風は予想以上に冷たく、またあまり遠くまで行くと雪の下に隠れた側溝や水路に穴が開いて落ちる危険もあるので、今回は10mほどの範囲を5分程度歩くだけに留めておいた。

 

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せっかく雪国に暮らしているのだから、雪国でしかできないこと、雪があるからこその楽しみというのを体験しなければ、もったいないというものだ。雪をただ単に邪魔者扱いするのは、健全な付き合い方とは言えない。そうした自分の信念もあって、子どもにしみわたりを体験させるのは、以前から自分の大きな目標の一つになっていた。20年以上前、自分の小学生時代には、しみわたりは冬季の当たり前の現象だったし、隣の集落まで田んぼの上や雪で塞がれた水路の上さえも突っ切って歩いていけるのが楽しくて仕方なかった。それが最近では、年々少雪の傾向が強くなり、真冬でもほとんど雪が積もらなかったり、しみわたりの季節が来る前に平地の雪が消えてしまったりして、全く雪国らしくない冬が増えてきていた。そのことに、強い違和感と危機感を覚えてきた。だから、子どもに自分の幼少期と同じ体験をさせ、雪国の「文化」を継承することには、非常に意義深いものがあった。

 

自分が子どもだった当時は、子ども同士で遊ぶ中で様々な知識や体験を自然に身につけたものだが、今は少子化核家族化が進んでいるし、アパート暮らしでは地域との繋がりもないので、幼児の学びのきっかけは親か保育園かにほぼ限られる。そうしたことからも自分が子どもに積極的に体験の機会を作ってあげること、子どもが学ぼうとする場面にしっかりと寄り添い見守ることが一層重要なのだと思う。これからも、子どもと一緒に色んな体験をし、それを自分自身でも楽しみながら、続けていきたいと思う。

 

(85分)