続・卒アル

2018年1月に宣言したアルコールからの卒業、すなわち「卒アル」は、順調に定着してきている。飲酒した日に手帳にメモすることにしている「D」=drinkの記号を拾ってみると、2018年が56回、2019年が28回と1年で半減し、2020年に至っては11月8日時点で7回と激減している。今年は職場の飲み会がコロナ禍で一度も開かれていないし、友人との飲食もなく、自宅での晩酌も皆無だった結果、アルコールを飲む機会がほぼゼロになったのだった。アルコールの濃度ベースで考えたら、今年は経口摂取した量より消毒のために手に擦り込んだ量のほうが遥かに多いのは間違いない。

 

飲酒頻度がここまで減ると、どういう状態になるのかを分析してみよう。

 

第一に、酒を飲みたいと思う気持ちが完全に消滅した。スーパーやコンビニで酒を見かけても、飲食店で料理を食べていても、ビールのCMをテレビで見ても、心は微動だにしない。酒を飲むという発想が生まれないし、おいしそうとさえも思わない。これはもしかすると子供のころの心理に近いのかもしれない。どんなに喉が乾いても、味の濃い料理を食べても、子供のころはそれで酒を飲みたくなることなどなかった。飲んではいけないのは当然だが、それ以上に「飲まないのが自然」だったからだ。あるのは知っていても、必要性を感じないというか。今の自分は全く飲まない状態が当たり前になってしまったため、仮にお酒が視界に入っても、それに手を伸ばすという「不自然」な行動が選択肢に登場することは一切なくなった。

 

第二に、ちょっとでも飲むと心身のバランスを崩すようになった。妻の実家に泊りがけで遊びに行ったときや、妻の実家の家族が訪ねてきたときなど、お義父さんとの付き合いでお酒を飲む機会は今年に入り数度あった。しかし、摂取量の多寡に関わらず、ビールや日本酒を飲むと腹の調子があまりよくなかったし、飲んだ瞬間は一時的に少しだけ気分が高揚しても、直後にドーンと気持ちが滅入るようになった。それはちょうどローラーコースターが上がってから下るのに似ている。長引くコロナ禍で、心の見えないところに実は色々影響が及んでいて、それが飲酒した拍子にバランスを崩して表に出てくるのではないか。自分はそんなふうに疑っている。

 

第3に、酒を飲んでも特に楽しくもなく、おいしいとも思えなくなった。これは文字通りである。

 

こんなことから、卒アルはますます進んでいる。来年はとうとう丸一年飲まない年になるかもしれない。体が受け付けなくなってきたので、お義父さんとの飲食の際でさえも今後は飲食を辞退することを真剣に考えているほどだ。日本の飲酒人口が、こうしてまた一人減ろうとしつつあるのであった。

 

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