ソーバーキュリアス

最近、「ソーバーキュリアス」という言葉を知った。1ヶ月ほど前に新聞で目にしたのがきっかけ。「Sober Curious=しらふでいたがる」という意味で、酒を飲めるのにあえて飲まない生活スタイルのことを指すらしい。なんだ、自分が「卒アル」と称して5年くらいやっていたことは、ソーバーキュリアスだったのか、と膝を打ったというか、我が意を得たりと思ったのがそのときの最初の印象だった。

 

身も蓋もない話だが、自分は、お酒にアルコールが入っている必然性を全く感じない。アルコールはデメリットとリスクの塊だからだ。逆にアルコールがないほうが、日中でも気兼ねなく飲めるし、場合によっては子供でも飲めるし、飲酒運転などの犯罪とも無縁でいられる。若者の日本酒離れを憂うなら、何とかしてあの手この手でアルコールを飲ませるんじゃなく、ノンアル日本酒を作って昼から飲めるようにしたほうが今どきのスタイルに合ってるし、新しい需要を創出できて市場拡大につながるのでは?と、本気で思ったりもする。もちろん、本気で酒造りをしてる人たちにすれば、バカを言うにも程があると怒られるのは目に見えてるし、議論の俎上にも載らない暴論と見なされるだろう。だが、普段からアルコール飲料を飲むのが当たり前と思っている人たちと、ソーバーキュリアスの人々との間には、それ程までに深く大きなギャップが存在するのではないかと思うのである。

 

ちなみに、この言葉、今のところ「ノンアル飲料を売らんかな」、と企む勢力が宣伝文句として使っている香りがプンプンする。なので自分としては、そんなに積極的に使おうという気持ちは持っていない。あえてカテゴライズするなら、自分はこれに当てはまる人間かもね、というくらいのスタンスだ。自分自身、普段からノンアル飲料は飲んでいない(食事のお供は、コーヒーの豆乳割りか牛乳割りかの2択のみ)から、ソーバーキュリアス=ノンアル飲料派というくくりをされるのもなんとなく困る。アルコール飲料メーカーが食っていけなくなるほど社会的にアルコール離れが問題視されるようになるまでは、当面マイノリティとしてなりを潜めつつ、ソーバーキュリアスの認知度や社会的評価の変化を見守っていきたいと思う。

 

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