古きをたずねて

同じものに対して、昔と今とで全く別の感じ方をするというのは、よくあることだ。例えば大学生時代、「ウェブはバカと暇人のもの」という新書のタイトルを目にして、中身も読まずに「そんなことはない!」とかなり憤慨したものだ。当時の自分は完全なネット中毒で、下手をすると1日10時間くらいネットをやっていた。フリーソフトのオンラインゲーム、フラッシュゲーム、フラッシュ動画、ウェブ漫画にウェブ小説、それにニコニコ動画など、娯楽としてハマるコンテンツは次々と生み出されていたし、ウィキペディアなど自分の好奇心と知識欲を満たす情報も無限に存在していた。そして掲示板は、自分のネット上の居場所として、片時も目の離せないコミュニティだった。今時のSNS中毒などが生易しく感じられるほど、当時のネット漬け、掲示板漬けの生活は凄まじいものだった。ガラケーしかない時代に、ケータイアプリで掲示板をリアルタイム更新して常時チェックしていたし、アパートに帰ればずっとPCの前に張り付いて気付けば日をまたぐなんてことがザラにあった。だからこそ、ネット社会の価値を蔑むかのように受け取れる新書のタイトルが我慢ならなかったのだ。

 

だが、今となっては、ネットを気にするなんて時間のムダ、SNSにハマるなんて愚の骨頂と、まるで正反対のことを考えている自分がいる。現実社会のことに追われて、もはやネット上の有象無象などにはすっかり関心を失ってしまった。現在のネット利用時間は、メールとニュース記事のチェックくらいだから、1日10分程度、SNSの利用に至っては完全にゼロである。2chの名称が変わったと知ったのは、割と最近のことだ。情報感度はすっかり下がってしまったが、それで困ったことも特に生じてはいない。ネットに時間を浪費する不毛さを痛いほど知り尽くしているからこそ、今はネットと上手に距離を取ることを保ち続けられているのだと思う。

 

こんなふうに、人は齢を重ねると、ものの受け止め方が変わっていくものだ。だから、過去の自分が絶賛したマンガ「孤高の人」を9年ぶりに完結まで全巻再読した結果、割と凡作かも、と素っ気ない感想を抱いたのも自然なことだと言える。確かに、主人公が圧倒的な孤独に追いやられながらも、自分の意志を貫く前半の描写には引き込まれるものがあった。しかし終盤、主人公が家族を置いて命懸けの海外登山に挑戦するところで、自分はもう共感できなくなってしまった。乳幼児の育児を全て放り出してそんな道を選ぶなんて、父親失格だと憤りを感じてしまったのだ。たぶん10年前にはこの辺りのシーンに違和感は持たなかったと思う。加えて、主人公の奥さんが主人公の帰りを待ちわびる描写にさえも、ないわ、とドン引きしてしまった。我が家だったら、あるいは自分が奥さんなら、海外に行った時点で即離婚決定で間違いなしだ。家でたった一人子供の相手をさせられながら、夫のことを許すなんて無理。ご都合主義で育児のことを軽視している。そう思ってしまったが最後、もはやこの作品にかつてのような特別な思い入れを持つことなどはできなかった。マンガは永久保存版から解除となり、売却に回すことになった。

 

古い作品を再読してみると、そういう形で自分の価値観の変化か時々浮き彫りになり、新たな意外な発見を得られることがあるから面白い。新たに本やマンガを買うのは中々難しいので、これからは実家の自室に眠る過去の作品を再読しつつ、所有物の取捨選択をどんどん進めていきたいと思う。

 

(60分)