TWD化する世界

今日にも、政府が緊急事態宣言を発令するという。まさか、首都直下地震が起きたわけでも核戦争が勃発したわけでもないのに、そんな日が来ることになろうとは。この1ヶ月半ほどの間に、自分を取り巻く世界はすっかり変わってしまった。

 

2月20日ごろにMちゃんが遊びに来たときには、まだ温泉施設も、居酒屋も、特にためらいもなく利用できたし、名古屋へと旅立った彼のことを前向きな気持ちで送り出せた。だが「密閉空間、密集場所、密接場面」の「3つの密」を避けることが社会の合い言葉になった今となっては、同じことはできないし、新潟よりも感染拡大が深刻な大都市に移動することに対しては、応援よりも心配の気持ちの方が勝ってしまう。

 

市場経済を通じたモノやサービスの提供への影響も甚大だ。マスクを買うためにドラッグストアの開店2時間前から行列が出来るなんて、未だかつてなかったことだし、紙製品がなくなるというデマを巡っては、人々が店頭に殺到してオイルショック時の光景が再現された。客観的事実に基づかない情報であることが明らかにされても、一度社会に蔓延してしまった不安な心理は、人々を自分本位な行動に駆り立てるということがこれによって証明された訳だ。時代が変わり、技術が進んでも、やはり人間の根本的な部分は変わらない。それを思い知らされて、心理学の普遍性・科学性への信頼は、自分の中で高まったのだった。いずれ、金融機関の取り付け騒ぎのようなパニックも現実味を帯びてくるだろうから、それを助長することのないよう、SNSの類いには(今までもほぼ使っていないが)一層距離を置かねばならないだろう。

 

自分はと言えば、これまでマスクも紙製品も、普段からの心がけで十分な「買い置き」があったので、今のところ行列に並んで買うことも、「買い占め」に走ることもなく、物資の供給不足に対しては冷静に捉えて距離を置いてきた。しかし、マスクの予備もだんだん少なくなってきたし、アルコール入りのウェットティッシュはすでに使い切ったし、徐々に余裕をかましてもいられなくなってきた。ミニマルなライフスタイルを掲げて、モノを持たないことを志向してきた人たちは、今頃悲鳴を上げているに違いない。また、仕事への影響も甚大な上、職場の体育館が使用禁止になって昼休みの運動ができなくなり、ただでさえ運動不足なのが運動ゼロになってストレスが溜まる一方だし、読書会も開催できなくなるし・・・といった具合で、あらゆる行動が制約を受けている。

 

ある意味、世界は終末へと向かっているように思う。いわば、「ウォーキング・デッド化」(TWD化)である。希少な物資を巡る混乱や、人の自由な移動を制限して自分の居住エリア・コミュニティを守ろうとする行動は、ゾンビのはびこる終末世界で繰り広げられる日常そのものだし、ウイルスが世界に蔓延する早さも、数多のゾンビ作品で描かれたとおりの現象だった。3密を避けるというのも、かの世界で生き残るための危険回避術のまさに基本中の基本である。ウォーキング・デッドをシーズン9まで全話見てきた経験が役に立つ・・・とはさすがに思えないが、すべての日常が急速に「非日常」へと反転し始めた今、思考回路を切り替えるためには、「世界はTWD化しつつある」と意識して危機感を高めることが有効なのではないだろうか。

 

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