新たな希望

この手書きの図は、2004年に高校2年生だったときに16歳の自分が描いた、「人生双六」である。家庭科の授業で、自分の未来予想図を双六として描いてみるという課題を出されて作ったものだ。この中に、当時の自分の趣味と人生観がはっきりと表れている。スライムがあちこちに描かれていたり、全体が地図のような形になっているのはドラクエの影響だ。人生の進み方で大きな分岐になるのが、「大学進学」と「就職」なのは、おそらく人生ゲームの影響だろう。大学進学がうまく行かなかった場合に異世界に迷い込む設定は、大学入試への不安を顕著に示したものだし、大学卒業後の就職先が地元企業と地方公務員の2択しかないのも、極めて偏った職業観をそのまま反映している。極めつけは、図の右側に用意された、ゴールならぬ「エンディング」である。なんと5つもある上に、それぞれ細かい字でびっしりと文章が書き込まれている。ほとんどが映画等を元ネタにしたパロディらしき「バッドエンド」で、未来予想図とは無関係な「SF小説」になっており、自分の人生なんて分かるもんか、というこの課題に対する皮肉めいたメッセージを感じさせる。その中で、唯一「グッドエンド」らしいものを読んでみると、「生涯独身だったが、従兄弟の男の子を養子にして育て上げ、独り立ちさせた」という何だか複雑な後味を残す終わり方をしている。全体を通して「結婚」という2文字が一つも見当たらないことから分かるように、結婚に相当ネガティブなイメージを持っていた(結婚したくないと思っていた)一方で、血は繋がっていなくていいから自分の子供(自分のことを親として慕ってくれる子供)は欲しいと思っていた、やや身勝手と言えなくもない歪んだ願望を持っていたことが、こうした結末に凝縮されているのである。当時これを見て自分の肩をたたき、「苦労するね」と言ったクラスメイトの気持ちが、今の自分にはよくわかる。およそ高校生らしくない、明るくない未来を描いた人生双六は、今の自分の目から見ても、明らかに異彩を放っている。いや、今の自分の目から見ればこそ、と言うべきか。今の自分の人生は、この双六では全く想像されていなかった境地を進んでいる。


2017年8月某日、子供が生まれた。自分と妻の第一子で、女の子だった。出産当日の朝に、里帰り中の妻の母から、陣痛が始まり病院に入院したと電話があり、出勤して上司に事情を説明。休みの許可を得て、すぐに病院に駆けつけた。そしてその日の夜20時半、赤ちゃんが産声を上げた。予定日の1日後の出産で、体重は3025gだった。お産の現場に夫として立ち会い、生まれてきた赤ちゃんを見たとき、直後に赤ちゃんが第一声を上げたとき、自分は父になったんだと実感した。陣痛中の妻にずっと付き添い、お産の現場を目の当たりにしたことで、未だかつてない圧倒的な現実に直面したことで、一瞬にして完全に実感を覚えた。同い年の同僚は「実感はわかないが子供はかわいい」と言っていたが、自分は彼とは違って、とにかく実感が一番最初に圧倒的に迫ってきて、自分の全てを上書きするほどの影響を及ぼした。子供は本当にかわいいし、愛おしいし、自分の命に替えてでも守りたい存在だ。子供を残したからもういつ死んでもいいような、でも子供の将来の姿を見るまではまだ死ねないような、二律背反した感情が同居した不思議な心境にある。父親になったことに対して、誇らしいような気持ちもある反面、まだまだ未熟者な自分のことを恥じて、もっと自分を律し、高めなければという謙虚な気持ちも強まった。子供の誕生という出来事は、自分の人生をすっかり変えてしまったのだった。


人生がどうなるかなんて、予想できるものではない。ましてや、デザインなんてできるはずもない。結婚するつもりもなかった自分に、自分と血の繋がった子供が生まれたのだから。16歳の自分が描いた未来は、29歳の今、全く違う形で進んでいるけれど、それによって、双六に皮肉で込めたこのメッセージのほうは証明されることとなったと言える。子供は希望そのものだ。自分たち夫婦にとって、家族にとって、社会にとって、大きな希望である。そうした思いを、子供の名前には込めた。生まれてきてくれた、ただそれだけで、すでに君はみんなにとても大きなものを与えてくれた。だから、自分に自信を持って、自分のことを大事にして生きて欲しい。そう心から願っている。そして、妻には心から感謝している。これからも言葉と態度と行動でそれを示していくつもりだ。


子供の出生という人生最大のパラダイムシフトにより、人生は「第4部」に突入した。ちなみに、第1部:出生〜大学卒業、第2部:就職〜結婚まで、第3部:結婚〜子供出生までである。第3部はわずか1年半しかなかったことになるが、その分色々大変だったし濃密な期間だった。これからの人生は子供のために全て捧げるつもりでいる。自分の趣味とか、やりたいこととか、そういうものは二の次でいい。子供のためになることをどれだけできるか、自分はどうすればいいかということを考えながら、父親として成長できるように努力していきたいと思っている。これまで何度も人生を諦めかけたけど、投げ出さずにここまで生きてきて本当によかった。今、自分は自分の人生を、人生史上で最も自己肯定できている。そのことを、とても幸せに思う。

(120分)