ノンストップ

結婚してからちょうど1ヶ月。そんなことをしみじみと考えるどころか、1ヶ月経ったということすらうっかりしたら気付かないくらいに、毎日は怒涛のように過ぎていく。平日が慌ただしいだけならまだいいのだが、休日もプライベートの用事や何やかやで埋まっていて、落ち着いている時間というのがほとんどない。内省し、改善すべき部分を炙りだす時間が作れないのは実にもどかしく、心の中のモヤモヤはどんどん溜まっていく。こんな状態なので、妻とは週末しか会わない、しかも2週間に1度くらいしか会わないのは、存外妥当かもしれない。もちろん、半年未満の期間限定の措置として、という意味であって、別居状態がいつまでも続くのは正常だとは思わないが。


もし時間が存分にあったら、書きたいことはたくさんある。東日本大震災から5年経ったこととか、結婚して感じた様々なこととか、自分の昔話とか、趣味の話とか・・・。「Live to write=書くことこそ我が人生」という目標を掲げておきながら、書かないのは何事か、と自分に怒りをぶつけたくもなる。でもその怒りと向き合うことすら、書かずにはできないというジレンマもあり、ただただもどかしいばかりだ。


昔取った杵柄、という言葉は嫌いだ。昔の財産で今を生きるのは、進歩がなくて嫌だからだ。今の自分が、過去最高の自分でありたいと、常々思ってきた。そのために、毎日1つでもいいから何か新しいことを知り、昨日はできなかったこと身に付けたいと。でも、人生はなかなかそうもいかないらしい。昨日の自分に何もプラスできた気がしないまま今日が終わる。このままではむしろ、昨日までに覚えたことを忘れていく一方だ。


自分の本心とは正反対の、望まざる長時間労働を強要されている現実は過酷だ。結婚して、妻という心の支えができていなかったら、とっくに心がぶっこわれていただろう。喧嘩して傷つけあうこともあるが、それ以上に多くの癒しを得ている。妻にはただ感謝あるのみだ。止まることのない日々の中で、少しでも現実にくさびを打ち込むために、少しずつ何かを変える、学ぶ努力は必要だ。そのわずかな余力さえも失うほどに野放図に働くのは、「人生に対する罪」だと肝に銘じて、長時間労働への健全な問題意識を持ち続けるようにしたいと思う。

(20分)