回顧

9月に入って早一週間。日中の暑さはまだ夏だが、日の出が遅くなり、日の入りが早くなったこと、朝晩は気温がぐっと下がるようになったこと、田んぼの稲穂が黄金色に染まってきたことから、秋の気配をしみじみと感じる。9月の初日早々に、「9月もあっという間に終わりそうだな」とつぶやいた副課長に、みな「まだ入ったばかりですよ」とツッコミを入れていたが、自分には副課長の気持ちがよく分かった。自分も、時間の過ぎていくあまりの早さ、そしてそれに自分自身がただ流されていることを実感しているからだ。


今朝は朝5時半前に起きて、何を書こうかと考えながら、このブログを読み返していた。何となく「忙しい」というキーワードを入れて過去記事を検索し、引っかかった過去5年くらいの記事を十数本くらいざーっと読んで、自分の思考の足跡をたどってみた。そして、自分の発想の柔軟性や豊かな感受性、主義主張の一貫性に、我がことながら感銘を受けた。こんな記事、自分がよく書けたもんだなと唸った。それと同時に、今の目の前の問題で頭が凝り固まった状態では、信念を貫ききれない妥協的な仕事っぷりでは、こんな真っすぐな主張は出てこない、書くことはできないだろうなとも思った。当時の自分も、頭がカチカチにならないように、必死に抗っていた。その姿は、記事の中にはっきり残っている。3年前の春の時点で、自己の成長の停滞、仕事に対する中弛みの姿勢を内省して、「同じ場所で無意味な足踏みを続けている時間的余裕など、もはやない。」と言いきって、危機認識を明らかにしていた(2013-04-11「初心」)。そのことを思い出すにつけ、今の自分が情けなくて、周りに顔向けできないという気持ちになる。また一方で、過去の自分に負けないように、今後も未来の自分に「気付き」を与えられるような記事を書きたいという気持ちも、改めて強く持ったのだった。


過去には、膨大な時間と労力をかけてブログを書くことに、どれほどの意味があるのだろうかと自問したこともあった。でも、そうして苦労して残した記事ほど、今も色あせない輝きがあり、今の自分に刺激を与えるほどの価値を持っている。自分のしてきたことは正しかった、意味はあったと今は自信を持って言える。「Live to write(書くことこそわが人生)」という信条をもう一度胸に刻みつけて、自分の人生の一部であるこのブログを、どんなときも、いつまでも、書き続けて行こうと思う。

(40分)