諦めの魅惑

今夜は、市の夏まつりがあり、例によって例のごとく、大学の一員として民謡流しに参加して来た。このまつりの民謡流しに出るのは、5回目。就職してからずっと出ているから、皆勤賞だ。今回から若手を中心に運営を担うことになり、自分もある程度仕切る立場にいたので、率先して列の先頭集団に入って、一生懸命踊った。19時から20時半まで丸1時間半踊り、汗だくになったが、暑い中で体を動かして汗をかくのは、結構気持ちのいいものだった。そして、その後は、おどり参加者の有志の打ち上げがあり、1時間ちょっとでしかなかったが、これにも参加した。自分の車で帰るため酒は飲まなかったが、それなりに楽しんだ。


それはさておき、自分も26歳と8ヶ月のアラサーということで、結婚だの婚活だのということに色々と悩むことが多くなってきた。中学や高校の同級生の結婚の話はほとんど聞かない(情報力のない自分の耳には入って来ないだけかもしれない)が、職場の若手では結婚したり、お子さんが生まれたりする人がここに来て増えてきたし、年を訊かれて答えると「結婚の適齢期だね」などと言われることも多くなってきた。今夜もおじさんたちが相手だったから、そういう話が多かった。それとセットで必ず訊かれるのが、「付き合っている相手は?」という質問だが、これについては今まで一度も「いない」という以外の答えを返したことがない。そう答えると、周りは残念がり、「またまた〜」とか「えー、いそうなのに」などと言ってくるのだが、本当にそう思っているのかどうかは分からない。一応訊いてみただけで、その答えは彼らの想定通りだったはずだと、ついうがった見方をしてしまう。


少なくとも自分で自分を客観的に見ると、女性と付き合ったり、ましてや結婚したりなどということは、到底出来そうにない。服装がダサくて野暮ったいし、声が小さくて表情も自信なさげだし、おもしろい話や興味を惹くような特徴も持ち合わせていない。一緒にいても、相手を楽しませられない、つまらない人間だろうなと思う。見た目と中身が一致していて、「話してみたら違った」というようなギャップもない。いわゆる「遊んでこなかったタイプ」というやつだ。日常生活や仕事など、目の前にある実務上の問題ばかりに気を取られて、人間としての幅を広げるための人付合いを疎かにしたし、受験・就職とここまで人生をストレートで進んで来ていて、ある程度必要なはずの「遠回り」をしてこなかった。実務的なことでは、ほかの人に大きく引けを取るということはそれほどなさそうだが、ことに他者との関わりや、異性との交流という面では、経験値が圧倒的に劣っている。それが自分自身の弱点だ。男性でも女性でも、同じように接することしか出来ない。すなわち、異性を異性として特別に意識して接する、自分をアピールするといったことがさっぱり出来ない。そもそも、アピールすべき自分の「売り」があるのかすら分からない始末だ。


だから、自分が結婚するなんてことは、今の自分からすると想像もつかないことだ。孤独が好きな人間なので、一人でいる方が気楽だし、今まで彼女がいないことをさびしいとか、恥ずかしいとか思ったことはない。異性を本当に好きになった経験さえもないから、人が人を愛するということがどういうことなのかも、本当のところは理解出来ていない。それでも結婚のことを考えてしまうのは、「凡人として普通の人生を送りたい」という夢があることと、世間体のことと、「老後まで生き延びた場合の心配」があるからだ。それぞれが深い理由なのだが、整合性がつくように詳しく説明する余力は今ないので、とりあえず文字通りの意味に受け取ってもらって構わない。人並みにそれなりの山あり谷ありの人生を送るなら、結婚は避けては通れない「関門」であろうと思っている、といったところだ。そのハードルは、年齢を重ねるほど高くなるし、その後の道も険しくなる。だから早いうちに「済ませた」ほうがいい。乱暴に表現すればそういう認識だ。同時にそれが正しくない(結婚はゴールでも何でもない)ことも分かっている。それゆえ表面上はうまく取り繕って生きて行かなければならないとも思っている。だが、本当に本当のことを言えば、結婚しなくて生きていけるなら、そのほうが自分には合っているだろうと思う。生涯独身であるほうが、自分を下手に取り繕わないで済む、自分の心に素直な生き方だろう。だから、例えば、結婚するべきかどうかは神様のお告げによって決まることになっていて、神様が自分に「お前は結婚するな」というお告げを与えたら、そうした絶対的な「お墨付き」を得られたなら、自分は安心して独身生活を謳歌するだろう。でも、そんな宣告をする存在などこの世界にはいないし、周りの人たちも(おそらく利己的な動機で)自分に結婚するように促すので、自分には「諦めて楽になる」という最も魅惑的な選択肢は行使出来ないのである。そんなふうに、正直な気持ちに矛盾した、相反する行動をこれから取ろうとしている。とはいえ、「やってみなくちゃわからない」という自分のポリシーにもあるように、今は気が向かなくても、実際してみると結婚はいいものなのかもしれない。まずはやってみて、ダメならあとでやめるという選択肢もある。するなら今、というのは紛れもない事実なので、モヤモヤしたものは消せないながらも、しっかり前を向いて、優先度を高く設定して真剣に取り組まなければいけないことだと思っている。


明日は朝4時半に起きて自転車を車に積み込み、信州・松本に出掛けるというのに、こんな遅くまで、こんな長文を書いてしまった。ひとまず心配すべきは、明日のヒルクライムが安全に出来るかどうかだろうな。

(90分:9/24・25差し替えに等しい大幅修正を加えた)