HUMAN

君が好きだと叫びたい。カラオケならなおのこといい。いや、別に「王様の耳はロバの耳」でも何でもいい。とにかく、何かを全力で喚き叫びたいような気分だ。色んな鬱憤が溜まりに溜まっている。先週末の旅行での楽しかった思い出も吹き飛んでしまいそうなほどに、今置かれた境遇に対する不満が大きくて、もう爆発寸前だ。


今日の退勤時刻は22時半、帰宅したのは22時55分。定時後はずっと残業をしていた。今夜は、明日の午前中の「会議の打合せ」の配付資料を作成・印刷し、上司と二人で資料組みをしていた。自分が各課から提出してもらう会議資料の締切日をやや長めに設定していたせいで、資料が揃ってから整理・印刷するまで期間が短くなってしまったのが、そもそもの原因だったが、それにしても資料が膨大で、二人でやるには大変な作業だった。ノー残業デーだっていうのに、何でこんな時間まで仕事をしているんだろう。何か生産的な仕事ならいいが、義務的に開催している会議の、誰も読まないような資料を準備する作業なんて、労多くして益少なし、いや益なしだ。他の課はとっくのとうに、もぬけの殻になっているというのに、何でうちだけ残業してるんだろう。こんなの絶対おかしいよ、と思わずにはいられなかった。だいたい、うちの課は毎日遅いのだ。事務局で一番最後に鍵を閉める部署の集計を1カ月間取ったら、おそらくうちの課が優勝するだろう。みんな遅くまで残っている。みんな終わりの見えない仕事にうんざりしていると思うが、メリハリをつけようという機運はあまりなく、向上的に居残り続けている。以前は、なぁなぁで付き合っていた自分も、今は忙しくてやむを得ず残業せざるを得なくなってきてしまった。少しずつ仕事が回せるようになってきた証拠ではあるが、逆に仕事を回していてもこんなに残らなければならないなんて、うちの課の仕事配分がおかしいんじゃないか、ほかの課に比べて仕事量が多すぎるんじゃないかと思い始めた。ただでさえ、明後日夜からの他大学とのバドミントンの交流合宿の準備で「業務外業務」が立てこんでいるというのに、本務も忙しくなるのではとても耐えられない。今日は遅くなるのを覚悟して、仕事中におにぎりを食べて夕飯をすませたが、そんなことが今後も続くとは考えたくない。実家暮らしで独り身だからなんとかなるが、一人暮らしあるいは世帯持ちだったら生活が崩壊しかねない話だ。もう、とにかく、仕事をしていても、やっと終わってからの帰りの車の中でも、不満で不満で仕方なかった。2時間以上の残業が恒常的に発生する状態というのは、本人の仕事のやり方か、もしくは仕事の配分量のどちらかが必ずおかしいのだ。この状態を「仕方ないね」と認めてはいけない。残業がない状態こそが、ワークライフバランスのとれた働き方の本来のあるべき姿であるはずだからだ。


こんな職場、自分から出てってやる、なんて極端なことをつい考えたくもなる。だが、自分はやはり大学を支えたいと思うし、愛着もあるので、大学がやんぬるかなの状態になる最後の最後まで、出来る限りここでがんばりたいというのが、冷静になったときの本当の気持ちだ。だから、「自分の力で、この不条理な状態を変えてやる」という気概を持って、立ち向かいたいと思っている。不満を、改革へのモチベーションにして、システム的な不備による「歪み」を誰かが引き受けなければならない現状を、根本から改めてやるつもりでいる。しかし、そうした行動を起こすには、情報収集する時間、考える時間、そして周りに働きかける時間が必要だ。仕事にしか時間を充てられなくなると、改革は進められない。「忙」という漢字は、「心をなくす」と書くが、今の仕事だけしか考えられなくなると、人間らしさも失われてしまうだろう。忙しさは敵なのだ。お金を儲ける商売じゃないんだから、余計にそうだ。目の前のあれやこれやに振り回されるだけで日々を受け流してしまうことなく、少しずつでも未来のための種をまくことをしていきたい。不条理に抗うことをやめて、与えられた過重な負担を鵜呑みにするようになってしまったら、もはや真っ当な人間とは言えないだろう。考えること、現状を疑うことを止めた時が、人間の死ぬ時だ。諦めて現状を受け入れて生き続けるくらいなら、いっそ今死んだ方がマシだとさえ思う。ゆえに自分は、明日の朝も7時に家を出て、7時半には出勤する。自分はあくまで、「人より早く出勤して、定時後は速やかに帰る」という理想を追求するのだという、断固たる信念を示すために。

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