二番目の優先事項

みんな、仕事が忙しい忙しいと言っている。職場の人も、ほかの会社の人も、忙しいと嘆いている。テレビに映るニュースキャスターやコメンテーターもみな、「現代人は多忙。仕事に追われて心の余裕がない」と言う。そうだろうな、と自分も思う。変化の激しい時代だ。次々と今までになかったような問題が起こっては、それに対する対処を迫られる。どれも一筋縄ではいかない厄介な問題ばかりだ。ストレスも溜まるだろう。


だが、仕事ってそんなに大事なものか、と一方では思う。それは厳密に言えば、「今、目の前にある仕事」のことだ。みな、目の前の仕事を片付けることに躍起になっている。しかし、その仕事に対して全ての労力を割いていては、おそらく「忙しい」という状態は永遠に解決されない。そして、仕事に自分の人生の多くを充てている限り、自分の本当にやるべきこと、その時その時にしか出来ないことに取り組むための時間は、自分の手からこぼれおちてしまう。老後になって、ようやく仕事による支配から自分の全ての時間を解放出来た時には、すでに最適なタイミングを逃し、自分の体も衰えていたということになってしまっては、取り返しがつかない。「目の前の仕事が忙しくて、ほかのことはやっていられない」なんて状態が続くことは、最も忌避すべきことだと思う。にも拘わらず、忙しいという言葉が多くの場面で使われるのは、それが仕事以外の最も大事なことから逃げるための体のよい言い訳として使えるからだろう。現代では、「仕事が忙しいから」というフレーズが免罪符のようにあらゆる場面でまかり通っているような風潮がある。それは、決して幸福なこととは言えないはずだ。


では、人は仕事とどのように向き合っていけばいいのか。自分は、仕事というのは「二番目に優先すべきこと」だと思う。仕事というのはお金お稼ぐためには決して逃れられないものだから、最優先にしてしまうと、20年後も30年後も、最優先の状態から外すことが出来なくなってしまう。だから、二番目の位置に置いて、最優先には、ほかの「そのときにしか出来ないこと」「そのときにやると最も効果的なこと」を持ってくるべきだと思う。それは、結婚だとか、起業だとか、世界一周の旅だとか、その人その人の考えで自由に決めればいいことだし、時の経過とともに流動的に変わりゆくものだ。とにかく、20年後、30年後では遅すぎることを、後回しにせず、「今やること」の位置に持ってくることが大切なのだ。それは、単純に仕事を後回しにするということを意味するのではない。仕事の予定を多少調整してでも、最優先にすると決めたことには、きちんと自分の時間とエネルギーを確保しなければならないということなのである。一度きりの人生という観点から大局的に見て、今、何を最も優先しなければいけないかという問題について、絶えず真剣に考え続ける必要があるのだ。こうした考え方を自分は「priority(プライオリティ:優先順位)」と呼んでいる。「今、一番プライオリティが高いのは何か」といったように、場面場面で自問自答をするのである。


上述のように、仕事は基本的に二番目に大事なことだと自分は考えている。仕事が苦痛でしかない人も、楽しくて仕方ない人も、それは同じだ。特に、自分は時間の使い方が器用ではないので、これをきちんと意識しておかないと、うかうかしているうちに仕事に多くの時間を吸い取られてしまう。何を本当になすべきかということを自分の中に明確にしておかないと、何事も成せぬままにいたずらに歳を取って、気が付いたら老人になっていたということになりかねない。ここまで少々乱暴に論を進めてきたのも、そうした危機感があるからだ。仕事は、社会に関わるための接点であり、社会に自分の作りだした価値を還元する行為である。多くの人にとってそれは、義務であると同時に(程度の差はあれ)やりがいでもあることだろう。だからこそ、末長くうまく付き合っていくために、対等な関係を築かなければならない。仕事と個人との対等な関係こそが、自分の目指すあるべき「社会人」の姿である。そして、「今目の前にある与えられた仕事」から徐々に「将来の糧になる自分で作った仕事」へと時間を割けるようになって行けば、「会社に依存しない自立した社会人」として、仕事との一層よりよい関係が築けるようになるはずだ。


だから今ここで、自分は固く誓おう。「仕事が忙しい」という言葉を使って本当に大事なことから逃げるのは、もう終わりにしよう、と。

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