締め2017

今夜は、アパートで妻と子供と3人で大晦日を過ごしている。妻と子供は、紆余曲折を経て12月下旬に里帰りから戻ってきた。実家以外の場所で大晦日の夜を過ごすのは、人生初めての出来事であり、それはそのまま実家以外で新年の朝を迎えるのも、明日が初めての経験になるということだ。何が起こるか分からない、波乱の一夜になりそうだとドキドキしていたが、先ほど早速妻が自分のなんということもない一言に光の速さで機嫌を損ねて一人で寝床に入ってしまった。いわゆるアストロン状態で、こうなるといかなる弁解も説得も意味をなさない。ただひたすら謝り続けて、妻の腹の虫が収まるまで待つしかない。今朝も年賀状を巡って和解に半日費やす危機に陥っており、1日に二度もこうした事態になるのは、すでに夕飯で酔っ払いになっている身には厳し過ぎる試練だ。来年も一時の油断が命取りになる緊迫した一年になるだろうなという予想が、月の満ち欠けより明らかな未来として眼前に立ちはだかっている。


そんなこともあり、今年を一言で表すと、「自分時間の消失」というのが一番よく当てはまる。子供の誕生、産後の妻の心身のケア、追い打ちをかけた過去最高600時間超の超過勤務が、自分の趣味や交遊や記録など、いわば自分を解放し、自分と向き合う時間をほとんど作成できなくした。それは覚悟の上で選んだ現実だったが、つい2年前まで、自分の立てた予定をいかに効率よくこなし、いかに多くのタスクを消化するかということに血道をあげていた自分にとって、人格改造に近い激変だった。自分が30年かけて作ってきたやり方を、時間がもはやとれないから、やめなければならない。それは、マイペースと言われ続けてきた自分には、非常に重い変化だった。それでも、家族が最優先事項であることに疑いの余地はなかったので、自分は今まで一番大事にしてきた自分の時間を、ほぼ無くした。そして残ったわずかな隙間を、朝活のための読書に充てた。だから、ブログ更新の優先順位はこの一年でほとんど最下位まで低下し、更新が滞ってしまった。それは仕方ないとかいう話ではなく、現実的な対応として必然だった。自分の命より大切なものができるという人生がひっくり返るくらいのパラダイムシフトが起きたのだから、それは当たり前の変化だった。今では自分はすっかり衣食住職以外のことをほとんどしなくても済む人間になった。そんな大変革の一年だった。


来年も同じ状況だと思うが、そんな中でも、せめて働き方は変えたいと思っている。1分でも早く帰るために、1分でも短い時間で成果を出すにはどうしたらよいか、変わることを恐れながら、ここに留まりたくはない…そんな坂本真綾の歌の一節を思い出しつつ、まだできることはないか、もう少しあがいてみたい。

(携帯、30分)