ランドネ:2013/8/14

ついにやった。数年来の念願を成し遂げた。自転車で標高1000m超の山道を麓から上りきり、県境の峠まで到達したのである。この前のようにアップダウンがあったのではなく、ひたすら上りオンリーで17kmの道のりを走り通すのは並大抵のことではなかった。降り注ぐ灼熱の日差しは矢のように体を突き刺し、傾斜10%の坂が立ちはだかる中で上がりっぱなしの心拍数に心臓は破裂寸前、体力はどんどん奪われ、全身が悲鳴を挙げていた。未だかつてない過酷極まりないヒルクライムゆえに、上りの中盤以降は1、2キロおきに休憩しなければならないほど追い詰められた。しかし自分の弱い心に負けたくない一心で、ひたすらペダルを漕ぎ続けた。そしてとうとう自分史に残る記録を達成したのだった。


今回目指したのは、市内のとある高原。風光明媚な高原として知られるが、そこに至るまでの山道が険しいことでも地元では有名である。体力づくりのため、また自分の限界へのチャレンジとして、一人で挑んだのだった。

↑今回走ったルート。全長40km、最大標高差1078m、獲得標高1328m。8月10日と同じ距離なのに獲得標高は倍近く、極めて過酷であることが分かる。


9時30分、総合事務所前をスタートした。荷物は車体に装備したバッグの中の財布・ケータイ・デジカメのみ、軽量化のためリュックサックは持ってこなかった。身につけているものはウェア一式と首に巻いたタオルだけだった。最初こそ平野で緩やかな上りだったが、3km地点から早くも山中に突入した。5km地点で早くも息が上がり、休憩を余儀なくされた。坂は確かに急なものの、汗の噴き出し方等が異常だった。どうやらあまり体調がよくなかったらしい。これでは体を痛めつけるのは禁物だ。本当にヤバいと思ったらいつでも引き返すくらいの気持ちで、休み休み体を労わりながら走ることにした。



↑下り坂に見えるが上り坂。途中までは集落もあり、棚田の田園風景が広がっていた。

↑熊に出て来られたら自転車にはひとたまりもない。「落石注意」の標識もあったが、自転車には身を守るものがない。どうしようもない。

↑勾配10%というのは、距離100mで10m上昇するということ。これを見た時には笑うしかなかった。


標高500mを過ぎたあたりで集落が無くなり、完全に山になってしまった。ギアは1×2と1×3をこまめに切り替えて対処した。フロントギアが脱落すると厄介なので、フロントはほとんど1で固定した。1×1までは落とさなかったので、2007年に上った弥彦山よりは緩やかだったということになるかもしれない。車やバイクがどんどん自分を追い越して行ったが、「あんなのは邪道だ!」と切り捨てて自分の行為に優越感を持つことで何とか自分を発奮させた。そうでもしないと心が折れそうだった。日陰を見つけては小まめに休んだが、車体を押して歩くことは絶対にしなかった。それをやったら今回のチャレンジは全ておしゃかになってしまうからだ。



↑右上のとんがり屋根の建物がレストハウス


標高700m地点に達した時、視界の隅に高原にあるレストハウスの屋根が見えた。ゴールは近いと分かり、俄然やる気が出てきた。もう少しだと思って、力を振り絞った。



↑黒っぽい建物がレストハウス。黄色い建物は風車だったのだが、現在は羽根が取り外されている。昔は牛の放牧が行なわれていたが、今は何もいないようだ。レストハウスには自販機とテーブルくらいしかない。この高原は冬の間は通行止めになる。


坂を上りきったところで、急に視界が開けた。緑の草原地帯がそこに広がっていた。時刻は11時、1時間半かけて標高800mまで上りつめたのだった。喜びもひとしおだったが、まだここが頂上ではない。1000mに到達するためには、さらに上にある宿泊所を目指さねばならない。ここで15分ほど休憩し、自販機で飲み物を買うと、更なる高みをに向けて再び走り出した。



800m地点から15分後の11時30分、ついに目的地の「グリーンパル光原荘」にたどり着いた。ここまでは一息で行きたかったが、途中で一度休憩した。やはり体調は100%の状態ではなかった。それでも、上り切った時の気分は清々しく、最高だった。周りに観光客がいなかったら大声で「やったぜ!」と叫びたい気分だった。誰かに自慢したいような気分だったが、一人だったしケータイも圏外だったので、自己満足をするに留めた。空気が霞んでいて高田平野の景色は見えなかったものの、高原の広々した景色がよく見えて眺めは抜群だった。時刻はすでにお昼時で、食堂はお客さんでにぎわっていた。みな、名物の「流しそうめん」を食べていて、天ぷらのいいにおいが食欲をかき立てた。しかし、今回は小銭を1000円分しか持ってきていなかったので、かき氷(200円)を食べることしかできなかった。途中で何か食べるつもりが適当な店がなくて結局帰宅後に昼食を食べた。それが一つ残念な点だった。





↑かき氷を食べるのは久しぶり。家計簿を検索してみたが、少なくとも過去5年間は買った記録がなかった。いちご味は美味だったが、欲をいえば練乳も欲しかった。


光原荘は標高1000m地点にあり、当初の目的地はここだった。しかし、ここまで自転車で来れることなんてめったにないし、もしかしたらもう二度とないかもしれない。せっかくだから、県境の峠まで上ってみようという欲が沸いてきた。この山道の最高地点を目指して、更にもう少し上ってみることにした。県境までどれだけの距離があるかは分からなかったが、そう遠くないことは確かだった。せいぜい、1、2kmだろうと思われた。ここまで来たことを思えば、その程度の坂は苦ではなかった。



↑さらに上る。


10分後の12時07分、新潟−長野県境の関田峠に到達した。標高1113mで、スタートからの距離は17.5km。ここが今回走った中での最高地点だった。これでもう思い残すことはない。写真を撮ると、すぐに来た道を戻った。行きが全て上りだったため、ここからは全て下り坂となった。



↑県境地点。オニヤンマが飛んでいて、ちょっぴり秋の雰囲気だった。

↑石碑がいくつかあり、江戸時代の碑文を解説した看板もあった。

G-SHOCKの高度計。気圧で調べるのでアバウトかと思いきや、意外と正確で驚き。


下りは否が応にもスピードが出る。転倒したり車にぶつかったりしたら命の保証はない。ブレーキを引きっぱなしで、十分に速度を殺して走るように気をつけた。あんなに苦労した上り坂も、下ってしまえばあっという間である。何だかもったいない気分だった。




行きと同じルートで戻るのは味気ないので、帰りは高原を横断して、南側から下りるルートを通った。人工物がアスファルトしかない深い山の中を走る上、こちらのルートは車も少ないので、上りだったら相当心細かっただろう。一気に標高230m地点まで下ってしまった。ここで麓まで下り切ってしまってもよかったが、目的を達して気分がよかったこともあり「せっかく来たんだし」とまた欲が出て、寄り道をすることにした。「延命清水」という有名な湧水を飲んで行くことにしたのだ。しかしこの選択はかなり厳しかった。延命清水までは、下りてきたのとは別方向に200mほどの標高を上らなければならなかったからだ。空腹で水分しか摂っていない体に、新たな上りは過酷だった。どこがゴールかも分からないで走っていたこともあり、最後の500mほどは残念ながら車体を押して走らざるを得なかった。ここが、今回最も心残りな部分だった。そんな苦労を乗り越えてたどり着いた延命清水は、とても冷たくおいしい水だった。帰りにそこから少し上った所にある山寺薬師にも参拝したのだが、蚊にまとわりつかれてうっとおしかったので、ゆっくり休む間もなく退散した。




↑空になっていたペットボトルに入れ、お土産に持ち帰った。

↑あの中のどこかの山のてっぺん近くまで行ったんだな〜と思うとしみじみと感慨深かった。


その後も少し寄り道し、麓まで下りきったのは14時05分ごろだった。辛かったが、その分何物にも代えがたい満足感の得られた1日となった。ただ、露出していた腕とひざ上の日焼けがすごくて「やけど」したような状態になってしまったため、その後しばらく風呂で体を洗う時に痛い思いをする羽目になったのだった。日焼け対策を次回の課題としておくとしよう。

(8/18:180分)