熱論

大学職員の仕事とはどういうものか、何を意識して業務に取り組み、どこを変えていかなければならないか・・・熱く持論を語る先輩の話に頷きながら、自分も深く考え自省せずにはいられなかった。その言葉からは仕事に対する真摯で責任ある姿勢がまざまざと伝わってきたし、大学の将来についての強い危機意識を隠そうとしないところが、これが紛れもない本音であることを証明していた。自分も普段からそういうことを考えてきたつもりだったが、経験に基づいて紡がれた先輩の言葉には、頭でっかちな自分の空論とは異なり、実感と具体性を伴っていてとても説得力があったし、ずっと深く掘り下げられたものだった。自分は先輩がここまで大学の将来についてあれこれ真剣に考えを巡らせていたとは知らなかったのでまさに意表を突かれたし、その場にいたほかの若手職員にとってもそれは同じだったようだ。その熱の入りようは、自分の先輩に対する見方を変えてしまうのに十分なパワーとインパクトを持っていた。


以上は、今夜の若手の暑気払いの二次会での出来事である。財務課に所属する1年先輩の職員が、同僚や上司の仕事のやり方に対する懸念や、執行された予算の影響や効果の事後検証をしない組織体質の問題点について鋭く切り込んだところから話が止まらなくなり、二次会の半分近くがその先輩の一人語りで占められたことから、自分も色々と考えさせられたところである。自分も先輩の言葉を言い換えるような形で、自分の意見を付け加えてみたが、どうしてもありふれた一般論の域を脱してはいなかったように思う。自分はまだまだ未熟だとまたしても痛感させられた。組織の中で働いていると、その中に強く存在する同調圧力に思考回路が麻痺する恐れに常に晒されることになる。自分はそれに抗おうと努めてきたつもりだったが、変化のない仕事の繰り返しの中で最近はかなり押され気味になりつつあり、気持ちの緩みが隠しきれない様相を呈していた。それだけに、丸4年以上勤務しても揺るぐことなく信念を貫いている先輩には畏怖の念すら感じたし、自分もそうあらねばならないと思い直したのだった。大学というのは特殊な世界だ。相も変わらず多くが外部から閉ざされた環境にあり、世間の感覚から見ておかしなことであっても自浄作用がもなかなか働かないために温存されている部分が多々あるのではないかと思う。そうしたことを改めて行くためには、一般人の常識的感覚を失わないことと、違和感を持ったものに対して「おかしい」と真っ向から異論を唱えることだ。過疎地の地域振興と同じように「バカモノ、ヨソモノ、ワカモノ」が必要とされている。自分がその声を挙げる存在であるべきなのはもちろんだが、その声を広げる土壌を育てること、すなわち若手の間で問題意識を共有することも、自分の役割の中に含まれるのだと思う。そのためには、ただ飲み会をするだけの集まりでは不十分だ。例えば勉強会のようなものも出来ないか、優先すべき課題の一つとして考えるべきことだと思う。


オブラートに包んで厳しいことを言ってくれない人が多い中、がつんと骨まで響くパンチを放ってくれたこの先輩は本当に貴重な存在だ。普段は口数の少なくても、酒を飲むと本音を語りだすという人は多いし、普段は表れないその人の素顔が見えてくるから面白い。今回の飲み会も酒を飲まず素面でいたのだが、その分冷静に話を聴けたし周りの様子をじっくり観察出来たのでよかった。酒が入って興に乗ると、まず自分と目の前の話相手くらいのことしか見えなくなるのでこうは行かない。宴席で飲みながらも静かにその場の人間模様を見つめていたら、それは孤立してしまったということになる。酒を飲まない(飲めない)人の視点に立ってみるという観点からも、たまに飲まない飲み会というのも有りなのかもしれないと思った。今夜は、自分の意識の甘さと努力の不足を痛烈に反省した。仕事と組織の在り方について、不断に考える義務と、変革のために行動する責任を負っていることを、これから決して忘れないようにしなければならない。

(50分)