抗い

人間は愚かな生き物だ。決して忘れてはならないことを、時間の経過とともに、いともたやすく忘れてしまう。そのことを忘れたくても忘れられない人がいることさえも、忘れてしまう。東日本大震災の発生から、今日で丸2年が経った。そのことを、多くの日本人が今日だけは意識しているだろう。あの日の巨大な揺れの、全てを飲み込んだ大津波の、その翌日の原発の爆発の、あまりにも鮮烈な映像を、そして自らのあの当時の体験を、多少なりとも脳裏に思い浮かべていたことだろう。だが、昨日までそうであったように、明日以降はまたその記憶を忘却の中に埋もれさせてしまうのだ。


忘却、それは人間の本能である。人間は、その記憶力(学習能力)によって高度な文化や文明を手に入れた。だが、全ての記憶を保ち続けることは、人間の理性ある行動を制約する。この世界に起こった、「二度と起こすまい」と言われたであろう悲惨な事故や、事件や、災害や、戦争を、見聞きし体験したまま全て忘れずに記憶し続けられたら、人間は正気を保てないであろう。およそこの世の中に人命を奪わなかった乗り物はなく、人を傷つけなかった道具はない。人は常に死の瀬戸際の中に辛うじて生きているに過ぎない。そのことを意識せずにいることが出来なかったら、誰もが恐怖心に心身を侵され、冒険的な行動はおろか、野菜を切るために包丁一つを持ちあげることすら出来なくなってしまう。だから人間は、忘れるという能力を身につけた。些細なことから、重要なことまで、全てを忘れることが出来るように進化した。そのことが、人間の無謀で楽観的な行動を可能にし、多くの犠牲を払ってもなお、文明を前進させることを可能にした。忘却という麻酔によって理性の一部を麻痺させることによって、複雑で不安定で不条理で危険に満ちた世界の上に際どいバランスで偶然に成り立っているに過ぎない現代社会にその身を置きながら、平和な生活は当たり前に存在するものだと誰もが錯覚し続けている。その優れた忘却能力ゆえに、人間は愚かさを必然的に有することになった。何度も同じ過ちを繰り返すという愚かな営みを続けてきた。混沌と恐怖に支配された震災直後のあの混乱から、2年。直接の被災を免れた多くの日本人は、多少の不満や問題を抱えつつも、平穏な生活の中に日常を送っている。その日常の中に、大震災の記憶が生々しくよみがえる機会は、日に日に減っている。平穏な生活を送ることは悪いことではない。しかし、津波の被災地の多くは未だ更地のままであり、ガレキの処分は道半ばで、行方不明者は未だ2500名以上もいて、福島第一原発では今も毎日400トンの放射性物質を含む汚染水が新たに発生しており、原発の冷却・廃炉作業のために多くの人たちが放射線の飛び交う中で懸命に働いている。そのことに全く思いを致すことなく、のんきに「平和な日常」を送っていていいものだろうか、それで本当に大丈夫なのだろうかと、自分は時々思い悩んでしまう。その一見幸せな日常は、いざ災害に見舞われたら、一瞬のうちに崩れ去ってしまうおぼろげなものに過ぎないのだ。「ひとごと」と決め込んでいることは、次なる災害が自分の身に降りかかるのを、手をこまねいて待つようなものである。


人間はどうしたって忘れてしまう。どんなに楽しいことも、どんなに悲しいことも、どんなに大事なことも、少しずつ確実に忘れていく。「忘れるな」と言われても忘れる。その本能を変えることはできない。だったら、忘れてもいいように、社会の「当たり前」の存在の中に、災害への備えを組み込んでおくしかない。防災訓練を毎年繰り返し行ない、災害時の指定避難所を確認し、非常用の装備や食料を家や学校や職場に備蓄し、大地震が起きたら一刻も早く海岸から離れ高台へ逃げることを条件反射のごとく身に刷り込んでおくこと。災害への備えを、個人個人の自発的な行動に委ねるのではなく、社会の営みの一環として予め組み込んでしまうこと。記憶の忘却に抗う有効な手立ては、それしかないと思う。そうした仕組みを備えた社会を一度作ってしまえば、慣性の法則が強い日本社会では、それが維持され連綿と受け継がれていくものと自分は信じている。ただし、それを最初に作るためには、社会システムに大きな変更を加えなければならない。少なくとも10年はかかると思うし、その間は人々が震災に覚えた危機感を共有し続けなければならない。だから、震災から丸10年が経つくらいまでは、人々も忘却に抗う努力をしなければならない。3月11日に思い出すだけではなく、日々あの震災を「わがこと」として忘れまいと意識する必要がある。10年が経ったあと、震災の記憶を声高に叫ばずとも、すでに災害に備え、生命を守る機能を高めた社会がそこに当たり前に存在しているとしたら、それは日本が生まれ変わった新たな姿だということが出来るだろう。震災を含むあらゆる災害は、自分の身にいつでも降りかかる可能性がある。そのことを忘れそうになる中で、少しだけ抗って、自分はそのときどう行動するか、そのためにどんな備えが必要かを考えてみること。それを習慣にして、周りの人たちと知識や意見を共有すること。それが大きなうねりとなって社会を変えていくこと。それは、少しずつ積み重ねていけば、そんなに難しいことではないはずだ。

(80分)