戦慄的後退

人間、年を重ねるにつれ、悩み事というのは増えていくものだ。人間関係、仕事のこと、お金のこと、健康のこと、結婚出来るのかとか、出来たら出来たで今度は子どものこととか。それはある意味、不可避な現象であり、思いもよらない事態や、認めたくないような現実に対して、一つ一つ真っ向から立ち向かうのでは、とても対処しきれない。たいていの場合は、どこかで妥協し、折り合いをつけて徐々に受け入れるのが、悩みとうまく付き合っていくための世間一般の処世術ではないかと思う。ただ、自分は、自分の身に降りかかったある現実に対して、とても許容の態度を取ることは出来ない。それは、頭髪の「禿げ」という問題である。


自分がそれを意識したのは、一昨日の夜のことだった。今年の春に他機関に転出した前財務課長が、久々にこっちに訪ねてくるというので、職場の人たちと一緒に赤倉の宿泊施設に泊まって飲み会をしたのだが、風呂上がりに髪の濡れた状態で登場した自分を見て、前課長はこう言った。「何だか髪が薄くなってきたんじゃないか」と。それに続いて、周りの人たちも「何で禿げてきたんだ」と言いだし、しばらく互いの髪の毛についての話が続いた。その時は、戸惑いつつも、単なる冗談だと思い軽く受け流した。だが、今夜になって、自分の認識は大きく変わった。風呂上がりに鏡の前でふと前髪をかきあげて、自分の額を見てみたところ、髪の生え際が著しく後退しているのに気付いたからだ。いわゆるM字禿げで、ドラゴンボールベジータのような状態になっていた。その規模は、額の両端部で左が7cm、右が6cmにも及んでいた。目を疑いたくなるような光景だった。父親は髪が薄いから、自分もいつかはそうなるとは思っていたが、まさか24才で、そんな・・・と戦慄した。それと同時に、違う考えが頭をよぎった。いやこれは禿げたのではない、前からこんな状態だったのではないかと。そう思って、2005年の高校生の当時に髪を坊主頭にした際の写真を探し出して見てみたが、結局絶望が深まっただけだった。写真に写った当時の生え際のラインは、額の上端で真一文字に描かれていたのだ。直接に額を露わにした写真は他にはなかったものの、それ以降の顔写真を見比べた限り、どうやらこの2、3年のうちに一気になったものらしいことが分かった。確かに以前から、前髪を整えるときに、少し額の両端の部分のボリュームが少ないなとは感じていたが、ここまでとは進行しているとは予想外だった。だが、この事実を目にすれば、入浴して髪を洗った時に発生する大量の抜け毛や、髪が細くなってきたように感じることにも、なるほど合点がいく。健康なのをいいことに、普段は自分の顔さえまともに見ていないほど体の状態に無頓着なので、頭髪のことなどすっかり疎かになっていた。これは早く何とかして手を打たないと、今に致命的な事態に陥りかねない。


伝統的に言われてきた、海藻をたくさん食べることや、頭皮のマッサージ、規則正しい生活を行うこと等を、とりあえずは実践してみるほかない。ストレスにも気をつけなくてはならないだろう(でも、あんまりないと思うが)。何とかして、何としても、これ以上の後退は避けなければならない。今後は頭の状態に不断に注意を払い、信頼出来る情報の収集と、それに基づく対策の着実な実行を進めていかなければならない。禿げの恐怖に恐れおののきながら今、自分にそう固く言い聞かせている。

(55分)