病理

5月に「リアップX5」を使い始めてから、丸5ヶ月が経った。使用している目的である育毛効果が実際にあったのかという肝心な部分については、今のところ「明確な効果は確認できていない」というのが客観的な事実だ。額の生え際は未だくっきりとM字を描いているし、前頭部の希薄化も改善した様子は見られない。傾向として、毛髪が薄くなっている部分にこれから元気な毛が生えてきそうな気配はない。ただ一方で、顕著な悪化・進行も確認できない。少なくとも、何も手を施さない自然状態と比べて、何らかの抑制効果はあるのではないか、というのが自分の考えだ。そもそも20歳ごろのようにふさふさに戻るなんて甘い期待は(髪の毛のことだけに)毛頭抱いていない。進行が遅れてくれるだけで万々歳なのだ。そのため、今後も粘り強く使用を継続していく覚悟でいる。なお、リアップ1本は、1日2回使用して30日で使いきる容量なのだが、旅行等で家におらず使用しなかった日も多々あり、使用面積も比較的狭いことから、1ヶ月分の量のはずがほぼ5ヶ月も保ってしまい、つい先日2本目を使い始めたばかりのところとなっている。毎月7600円の出費が生じると考えていたが、いいのか悪いのかそこまでの出費は生じていない。


禿げ始めると、行動と思考に変化が起こる。行動面での変化は、人の顔を見た時に、前髪・額の部分にほぼ必ず注目してしまうことだ。対象となる人というのは、男女を問わない。額の生え際が後退していないかどうかを自然とチェックしてしまうのである。そして、自分と同じ程度か、より進行している人を見つけると、少しだけ安心する。全く意味がなく、不毛な行為だが、新しく出会った人や、テレビ等に映った人物に顔を向けた時には、欠かさず視線を額付近に合わせてしまうのである。思考面での変化は、より特徴的なものだ。自分はなぜ禿げるのかと考えるべきところ、全く反対に「なぜほかの人は髪があんなにふさふさなのだろう」と不思議に感じるようになってしまうのである。特に、長髪の女性や、途中で途切れることなく前髪のラインがスムーズにもみあげとつながっている男性を見ると、「どうやったらあんなことが出来るんだ」と強い不自然さを感じることがある。どう考えても、禿げるほうが異常事態なのにもかかわらず、正常な人のほうを異端視してしまうのだから、冷静に考えれば全くどうかしているとしか言いようがない。自分を基準とした正常性バイアスが働いている、ということなのだろうか。とにかく、こうした行動と思考の変化は、病理といってもいいほどに自分を深く蝕みつつある。現在の禿げ具合は、一瞥して「これは残念」と思われてしまうようなほどには深刻な状態ではない。髪の伸び具合や、その日の髪の状態にもよるが、正面から見るとそれほど禿げたようには見えず、横から見ると前髪が欠けて額が見えている「切れ込み」がわずかにあるのが分かってしまうという程度である。朝、きちんと髪を整えた直後であれば、禿げていることはほとんど分からない。ただ、運動をしたり汗をかいたりして髪が乱れたり、帽子を被って髪が抑えつけられた後にそれを脱いだりすると、髪のない部分や薄い部分が露見してしまう。そういうときには時々自分でも、酷い有り様に息を飲むことがある。すでになってしまったものは受け入れるしかないが、これ以上は進行して欲しくないというのが、心からの願いである。


禿げが進んだからといって、それ自体で死ぬことはない。とはいえ、それを気に病むことによって確実にQOLは下がる。人生の問題が山積みで、人生を積みそうな状況なのに、これ以上厄介な問題を殖やしたくない。リアップの食い止め効果に望みを託すしかなさそうだ。

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