回収屋の謎

最近、幹線道路沿いの空き地に、「不要品無料回収」「リサイクル」といったのぼりが立っているのをよく見かける。そうした空き地には、自転車やバイク、ブラウン管テレビ、鉄くず、タイヤ、その他家電製品等が積み重ねられて置かれている。何もなかったところにのぼりが立ったかと、数日後には不要品の山が出現していることもある。粗大ごみに出してお金を取られるくらいなら、タダで引き取ってくれるにこしたことはない・・・そう思うのが人情というものだ。きっと多くの人が、自宅で眠っている不要品をここぞとばかりに持ち込んで廃棄しているに違いない。だが、自分はこうした回収場所を見るにつけ、回収をしている業者を怪しいと思わずにはいられない。果たして彼らは本当に、「正しいビジネス」をしているのだろうか。


自分が不審に思う点は2つある。「そのゴミをどうやってお金にするのか」ということと、「環境への影響はどうなのか」ということだ。エアコンは熱伝導率を高めるために大量の銅管が使われており、金属スクラップにすれば結構なお金になる。だから業者はタダで回収、あるいはお金を払って買い取りをしてくれる。しかし、エアコンの冷媒に使われているフロンが、大気中に放出されないように回収されているかどうかは疑わしい。「家電量販店を通じてメーカーに回収をしてもらう」という正規の方法であれば、大手メーカーが法律に基づいて引き受ける以上、環境への有害物質の放出は最大限防がれるはずであるし、家電製品の部品のほとんどは再資源化される。しかし、無料回収業者はそういったコストを省くからこそ、本来のルートであれば消費者が負担するリサイクル料金を取らずに処理できるのであり、換金できなかった部品がどこぞの山に不法投棄されていたとしても何の不思議もない。自分の地元でも、山に不法投棄する輩が後を絶たないという話を聞く。特に、そもそも原価の安い中国製のママチャリなど、中古品も新品も大して値段が変わらず、資源化しようにも採算が取れそうもなく、どこで処分されるのか知れたものではない。もし再資源化してお金になるのだとしたら、駅や街中にある大量の放置自転車がごっそり盗まれるはずだが、実際にはそうした例が起きたという話は聞かない。また、製品の形を保ったまま途上国に輸出され、そこで再使用あるいは再資源化される場合もあるようだが、途上国での再資源化は、日本のように専用の工場で破砕したり不純物を取り除いたりするような高度なものではなく、「パソコンのマザーボードの金属をバーナーの炎で溶かして取り出す」といった人の手作業による危険な方法で行われている場合も多いようだ。有害物質がそのまま環境に流れ出て環境を汚染するのみならず、作業を行う人々が有毒ガスを吸い込んで健康を害するといった被害も懸念される。つまり、無料の廃品回収業者に不要品を持ち込む人は、国内の本来の流通ルートを外れた不法な取引に手を貸している可能性があるのみならず、国内外の環境破壊に加担している恐れすらあるということなのである。裏ルートで資源が統計の取れないどこかへと流れていってしまうため、せっかく希少金属をたくさん含み、「都市鉱山」として資源循環に役立てられるはずの携帯電話や家電製品が正規のルートに流れてこず、十分な量が確保できないがために、持続可能な社会の実現を担うべきビジネスとして健全なリサイクル産業が育たないという大きな弊害も生じている。都市鉱山が完全にリサイクル出来れば、かなりの量のレアメタルを国内で「自給」することが可能になり、海外の輸出規制や価格の高騰に振り回される心配もずっと小さくなる。そうなれば日本の製造業はもっと強くなるというのに、今の状況ではそんなことは夢物語でしかない。「無料だなんて、助かるなぁ」などという安易な考えによる行動が、そうした大きな問題を孕んでいることを、もっと多くの人が気付かなければならないと思う。


昔の人は優れた言葉を残した。「タダほど高いものはない」と。結局、不法投棄されて河川や海や土が汚れれば、それによって被害をこうむるのは一般の市民である。目先の損得に目を奪われることは、長期的に見て得られた(あるいは失わなくて済んだ)はずの多くの利益を損ねることになる。それは経済学的に考えて非合理なことであり、現在の多くの社会問題を生む原因ともなった。ソーシャルゲームで高額請求をされた問題等を見るにつけ、現在ほどこの言葉の「警告」が重みを増している時代はないとつくづく思う。「何で無料なの?その裏にはどんなカラクリがあるの?まっとうなビジネスなの?」・・・うまい話に対して直感的にそう思う自分が、この国の少数派ではないことを、切に願わずにはいられない。

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