ヤマ場

昨日は部署の事務端末(PC)を新しいものに総入れ替えする作業が行われ、設定作業も行われたため、17時前からPCが使えなくなった。普通だと、PCがないと何も仕事にならない。だから、早く帰れるものとある意味期待していたのだが、パンフレット作成関係の締め切りが押し迫っていたことから、PCを使わなくてもいい仕事も色々たまっていて、それを片付けなければならなかったため、結局4時間超残業してしまった。上司含め部署の全員が先に帰ってしまったが、一人黙々と仕事をしていた。


パンフレット作成なんていうと、「アイデアを練ったり、印刷業者と打ち合わせたりしながら、何かおもしろいことをしていそう」というように思われるかもしれないが、実際の作業はすごく地味だ。各先生から集めた原稿を一つの冊子にまとめ、業者に渡してデザインをしてもらい、初校や再校が返ってきたらまた先生に原稿を見てもらって、修正点がないかを伺う。また修正の指摘があるたび、それを最新版のデータに反映し、ブラッシュアップしていく。それと同時並行で、文章全体を見直し一字一句を細かくチェックして、誤字脱字、漢字や送り仮名の使い方、てにをは等を改善、冊子全体としての文章の統一感を作り上げていく・・・そんな地道で集中力を要する作業の連続である。決して華々しくスピーディーな仕事ではない。むしろ、慎重さ、注意深さが非常に重要となる仕事である。何せ公開講座と出前講座を合わせて4000部近くも冊子を印刷し、全県に配布するのだ。使われる予算の額も大きい。うかつなミスは許されない。週刊誌なら読まれる期間は1週間だから、誤字脱字や内容の誤りにそんなに神経質にならなくてもよいだろうが、これは平成23年度に1年間使われることになるから、ミスがあったら1年間失態を晒し続けることになる。刷り上がった後で訂正でもしようとしたら、気の遠くなるような作業を行うことになる。何より、学問の府である大学が発行した冊子に、誤字脱字や日本語の間違いがあったら、大学の品位を下げることになりかねない。他の職員は恐らくそこまで考えていないだろうが、自分は「大学人」としてそういうふうな職業意識を持っている。


今の仕事をしていて特に感じるのは、事務に必要なのは『国語』と『数字』のスキルだということである。国語というのは、分かりやすい文章を書いたり、文書の体裁・書式を整えたりすることが出来たり、漢字の読み書きの知識がきちんと身に着いていたりといった基本的なことのほかに、たとえば「配布」と「配付」(前者は郵便等で不特定多数に広く一斉に配る、後者は手渡し等でごく狭い限定された対象に配る)といった同音異義語の区別が出来ることや、地名や固有名詞があっているかといったことをチェックするための一般常識(ローカルな知識も含む)の量といったものも含まれる。今回のように大量の文章に接していると、特にそうしたスキルの重要性を感じる。国語力には他にも様々なことが含まれるだろうが、整理するのも大変なので、今回は以上としておく。数字のスキルというのは、主に大学のお金の流れを取り仕切る財務課で必要とされるものであると思うが、詳しく説明するだけの知識に乏しいので今回は言及を避けたいと思う。


さて、再びパンフレット作成に話を戻そう。このパンフ作成という仕事は、ミスがあってはならないのだが、しかし原稿を見直すごとに修正箇所が見つかるので、何というか気が休まらない慌ただしい仕事である。編集者みたいな仕事だが、やり方のノウハウがないので、最新情報をどこに集約し管理するかなど手探りで戸惑うことも多い。また、この仕事に専任で取り組んでいるのは自分だけで、直属の上司は判断・渉外役に徹し普段は他の仕事をしているので、これでいいのかどうかと一人で心細くなってしまうこともある。ただ業者と相談する前の見本作りを任されたり、その中で提案したアイデアが大体採用されていたりと、割と裁量の余地が大きくもあり、それが楽しいと感じる要素でもあった。今の仕事は大変だが、同時にやりがいも感じているし、この仕事に携われていることに対しては充実感と満足感と使命感を見出している。パンフレットは今週中に校了になり、間もなく刷りに入るが、その後もHPの更新や全県への送付、各広報機関への掲載の依頼などなど、たくさんの仕事が控えている。これらがひと段落して、定時で帰れるようになるのは、半月後か1ヶ月後か、まだ見通すことはできない。先を見通して計画立てて仕事が出来ないのは、業務マニュアルがない弊害の一つだ。4月からは、年間スケジュールと業務上の諸手順や注意事項・必要知識等を網羅したマニュアルを作成する作業に取り掛かるとしよう。次の担当者と、来年の自分の負担減と、仕事の質の向上のためには、それが不可欠だ。

(90分:2/22〜23)