入団

先週の水曜日、集落の消防団に入団の申込みをした。消防団員の人たちが自宅に勧誘に来たのがその週の月曜の夜のことで、その2日後に再び彼らが訪れた時には申込書を提出したので、決断までの期間はごく短かったが、自分の決心は固かった。入団は、自分一人の判断で、誰にも相談せず決めた。昨年勧誘が来たときには「まだ早い」と団員を追い払った父は、後からその事実を知って反対したが、自分が頑固に思いのたけをぶつけると、結局引き下がった。父以外の家族は、比較的好意的に受け止めていた様子だった。


消防団の活動が大変なことは重々承知している。平日の夜には見回りをし、休日も訓練や防火意識高揚のためのPR活動や会合などで拘束されること。地域の防災という重い責務を負うこと。いざという時は、自分の身を危険に晒して、人々を守るために活動しなければならないこと。それらを理解した上で、自分は消防団員という役割を引き受ける覚悟を決めた。


入団を決めた理由は、大きく分けて2つあった。


一つは、集落の人たちとの結びつきを強めるためだ。実家にいると言っても、この2年間は、集落内での催しに参加することはおろか、近所の人と顔を合わせ雑談をする機会さえほぼなかった。集落のコミュニティにおいて全く存在感がなく、実家で生活してはいるが周囲からは姿の見えない「引きこもり」のような状態だったのである。これはこれで気楽であるし、集落の人と関わらなければならない必要性もなかったことから、これまでは特段この状態を変えようという明確な意識は持っていなかった。だが、その意識を根底から覆した出来事が、今月初めに起きた。家の前の小川に落ちてしまった友人の軽自動車を、近所の建設会社の人がジャッキアップで救出してくれたときのことである。右側の2輪が川に落ち、JAFさえも匙を投げるような状況だった車を、人力で動かし道に戻させたその男性の姿を見て、自分は心から感激した。彼がいなければ、クレーン車を呼ばざるを得なかったところを、うちの家族の要請で、日曜の朝にも関わらず駆けつけてくれた彼の協力のおかげで車が危機から脱した。そのことで、「ご近所の底力」を目の当たりにした自分は、東日本大震災後初めて、地域社会の結びつきや助け合いの大切さ、力強さ、心強さというのを実感を持って認識することとなった。そんなことがあって、「何らかの形で地域の人と接点を持ちたい、日ごろから見えない形でお世話になっている地域社会に何とかして恩返ししたい」と思っていた矢先に、消防団の勧誘の話が舞い込んできた。それで、「これだ!」と思ったのである。小中学校以来会っていないくらいご無沙汰の近所の若い人たちが、結構たくさん加入していることも、自分にとってはプラスの判断材料だった。今後もずっと地元で生活するつもりなら、同年代の人たちとの関わりは不可欠だ。祖父母、親の世代で世帯間の交流があっても、若い世代で交流がなければいずれ地域の結びつきは弱まってしまう。だから自分は若い人と積極的に交流を持ちたいと思っていた。


もう一つの理由は、自分に苦を強いるためだった。直感的に、面倒だ、嫌だと思うことを、自分の意に反して引き受けざるを得ないような強制的な仕組みとして、利用できると考えたのである。近頃の自分は本当に私生活がだらけ切っている。「やりたくないことはやらない」という感じで、今までやっていたことはたな晒しに、新規にやるべきことは検討を後回しにして、ただただ時間だけが無常に過ぎてしまっている。ブログを毎日更新しなくなってから、この傾向は一層顕著になった。仕事以外に、自分を縛る要素がないから、生活がダメになっているのだ。24才になったときに、「物事に優先順位を付ける」「面倒なことほど優先順位を高める」という抱負をぶちあげたくせに、全くそれを実践していないことに、非常な危機感を持っていた。この状況は、自分自身ではもはやどうにも変えがたい。自分の外に、自分を縛る強制力を持った枠組みを設けなければ、決して変えられない。そう思ったことから、自分に気の進まないことをさせ、緩んだ意識を根底から叩き直すための外部強制力として、消防団という組織を利用することにしたのである。


そういう訳で、「地域貢献したい」「でも面倒くさい」という相反する気持ちを同居させたまま、入団を申し込むことになった。ただ、活動開始が4月1日からと若干まだ時間があることもあり、後者の気持ちはまだ小さかったので、申込時の決心は固く揺らぐことがなかった。勧誘が3月31日に来ていたら、「もう1年考えさせてください」と逃げていたかもしれない。ちょうど時期がよかったと言える。最初の活動は、消防団の会合に参加し新規加入団員としてあいさつをすることだと聞いている。今後10〜20年は続けることになるだろうし、団員は皆ご近所の方たちから、最初の印象は大切である。快活な印象を与えられるよう、早めに練習などしておいたほうがいいかもしれない。

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