反共組

国立大学職員は、文部科学省共済組合に加入している。給与から天引きされる健康保険や年金の保険料は、共済組合に納めることになる。そして、文部科学省共済組合は、国家公務員共済組合連合会(KKR)の一員であり、他の省庁等の共済組合と合わせて、国家公務員全体で構成される共済組合は巨大な組織と資金を持つに至っている。共済組合に加入して、現在のお金の流れを存続させている限り、法人職員であり「非公務員」であるはずの国大職員は実質的には国家公務員の枠組みの中にとどまり続けることになる。そんな状態では、大学が旧来の発想の制約から解放され本当の意味で法人化することなど程遠いだろう。既得権益に安住できる環境にあっては、未知の領域にチャレンジしようとする土壌など育まれようはずもない。


共済組合、共済制度は、給与の仕事とは切っても切り離せないものだ。給与計算のシステムと、共済のシステムとは互いに連携するように設計されているし、実際連携しながら運用している。だが、自分はこの国家公務員限定の共済組合というものに対して、とても大きな違和感を感じている。よりストレートに表現すると、この制度のことを嫌悪している。その嫌悪は、それのみならず、引いては地方公務員や公立学校教職員を対象とした他の公務員共済組合も含めた、公務員の共済組合全体に対しても向けられている。だって、どう考えてもおかしいではないか。国民の税金から給料をもらっておきながら、そこから天引きしたお金を公務員だけで構成する、公務員しか加入できない団体に集めて運用して、そのスケールメリットを生かして、低料金で宿泊施設に泊まれるなどの様々な福利厚生を提供し、さらに身内でお金を囲い込もうという姿勢は。それが国家公務員のすることだろうか。税金から給料をもらって生活する以上は、もらったお金を出来るだけ社会に還流して、出来れば通常の経済活動ではなかなかお金の行き届きにくいところに巡るようにして、国全体の経済や社会の活性化のために使うのが最低限の務めというものではないだろうか。「もらった給料でやっていることだ、自分たちのお金で何をしようと勝手ではないか」ということでは、筋は通らない話だと自分は思っている。共済の保険料は組合員と事業主の折半(厳密には事業主のほうが若干高い)であるため、事業主=国からも共済組合に多額のお金が直接流れ込む仕組みとなっている。これは法律で定められた仕組みなのだが、果たして今だったら、こういう法を国会で制定できるだろうか。国会ですんなり可決されるだろうか。いや、到底あり得ないだろう。国会議員がグルになるのだったら話は別だが。世間では公務員の給料の高さ(ここではそれが本当かやその是非については扱わない)が盛んに取りざたされ、国は10%カットだと言われているが、共済組合についての批判はあまり耳にしたことがない。社会の監視の目から遠ざけられている共済組合のほうこそ、切り込んだ批判が向けられるべきではないだろうか。職員である以上は共済組合に強制加入となるし、保険証がないことには医者にもかかれないので、自分も毎月健康保険と年金の保険料(自分が受給できるとは微塵も思っていない)を給与から支払っている。だが、共済組合の保険や貯金には加わるつもりはなく、妙な福利厚生を利用する気もない。先日出張でKKRが運営するホテルに泊まった時も、組合員としてではなく、一般の客として宿泊した。共済組合はいずれ、福利厚生をやめて健保と年金の事業に専念するか、さらに踏み込んで年金部門を会社員が加入する厚生年金に統合するかすべきであると思っている。


いくら組織の一員だからといっても、やはり組織のおかしな部分をおかしいと認識できる良心や健全さは必要であると思う。これが普通だと思ってしまったときには、心の中の「真っ当さ」の物差しが狂ってしまうはずだ。自分のポリシーを、筋を通して守りぬく強さをくれぐれも失わずにいたい、そう強く思っている。

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