停電

今朝、6時15分。起きてみたら、家が停電していた。家族の話だと、上越地域全域が停電しているらしい。防災無線の放送で、自分の耳でもそれを確認した。家の中は暗く、朝の薄明りだけがかろうじて周囲の輪郭を映しだしていた。暗がりの中でリビングにたどりつくと、家族によってコタツの上にロウソクが置かれ、火が灯されていた。仄かな明かりで、非常に心もとなかった。コタツに足を滑り込ませる。あたたかい。リビングでは豆炭ゴタツが使われている。火をつけたばかりの朝はにおいが立つし、温度調節ができないので、これまでは「早く電気ゴタツにすればいいのに」とずっと考えていた。しかしこのときばかりは、このローテクな暖房の存在を有り難く思った。これ以外の暖房は全く使えなかった。ハロゲンヒーター石油ファンヒーター、エアコンといった器具は、電気が止まった中では何の役に立たなかった。電気がない中でもう一つ存在感を発揮したのが、プロパンガスだった。ガスコンロが使えたので、食べ物や飲み物を温めることが可能だった。体を縮めてコタツで朝食を取ると、一服つく間もなく、出勤のための身支度を始めた。電気が通じていないのでは、パソコンも使えない。パソコンが使えなくては、何ら仕事にならない。出勤しても雪かきをするしかないのではないか・・・。そんな想像を巡らせたが、何も連絡が来ない以上、出勤するしかない。自室に設置してあった、非常用のLEDライトを洗面台にセットし、髭そりなどを始めた。しかし、ライトの光は弱く、自分の顔を照らすにはあまりにも不十分だった。髭は手で顎をさすりながら剃り残しがないか確かめて、それほど難なく剃ることができた。難しかったのは、コンタクトをつける作業だった。暗がりでは、目にはめるのがなかなかうまくいかなかった。手間をかけて何とか装着したものの、人間の行動が、いかに目に依存しているかということを深く痛感したのだった。そしてスーツを着て、身支度は完了。車に乗り込み、家を出た。運転しながら、「これが電気自動車だったら、夜間充電出来なかったら動かないかもしれないよな」と考えて、自分の中でガソリン車を擁護する考え方が若干優勢になったりした。また、オール電化の住宅は今一体どんな朝を迎えているのだろうかと、気になったりもしたのだった。


家を出たら、信号機が普段通りに作動していた。家を出る直前、一部地域で電力が復旧したという無線放送が聞こえていた。職場に着いたら、ここもすでに電力が回復していた。後で知ったことだが、停電は朝5時10分ごろに発生し、2時間後の7時過ぎには全域で復旧したということだった。おそらく自分が家を出た直後に、家に明かりが戻っていたのだろう。停電は、大規模に発生した代わりに、思いがけずあっさりと終息したのだった。


この停電を体験して考えたのは、電気は非常にありがたい、欠かすことのできない存在なのだということと、エネルギー源も複数手段の併用してリスクを分散させること(いわばエネルギーのポートフォリオ)が重要だということだ。月並みな発想ではあるが、こうしたごくごく当たり前なことほど、普段はその重要性に気付きにくく、いざ何かが起きたときに大きな影響を及ぼすものだ。当たり前に感じている毎日の生活が決して絶対的なものではないことを意識し、不測の非常事態にも対応できるような備えをしておくことの大切さを、もっとよく考えなければならない。そして何らかの行動に移さねば・・・。今、そんな焦りに襲われている。

(50分)