転換点

やはり一週間仕事を休んだことの影響というのは、小さくなかった。昨日今日と、20時過ぎまで残業していたが、一向に仕事が完了する見込みが立たなかった。あんまり長くやっても、集中力が低下して能率が悪化するし、帰りの車の運転の危険が増す上、疲労が蓄積して翌日の業務に支障を来しもするので、20時を過ぎたら何があろうと帰ることにしている。仕事を終えられないまま帰るのは何だか挫折感のようなものがあるが、その代わり、朝はなるべく早く来るようにしている。起床は6時、家を出るのは7時、職場に着くのは8時前といった具合である。


家に帰って出来ることは、新聞を読むことくらいである。しかし読んでいるとすぐに眠くなる。疲れた頭に情報が吸収されているかどうかは、あまり自信がない。帰宅後の自由時間が十分に確保できないこと、これは自分にとっては重大な問題、由々しき事態であると感じている。昨日今日の残業では、超勤は申請していない。つまり残業代が出ない。それ自体は大した問題ではない。むしろ自分はあえて、自主的に超勤申請を忌避するようにしている部分さえある。これまでにつけた超勤は、通算で十数時間程度にとどまる。記録上の超勤は、残業実態の1割にも満たないだろう。職場では、人事や財務でさえも、誰が一体何時間残業しているのかなんてことは把握していない。超勤の記録は嘘をついているからだ。お金をもらって残業するよりも、家で自分の時間を確保することのほうが価値が大きいと考えているので、残業のインセンティブを失わせ効率的に仕事をするようにするために、残業代は出ないという前提を自ら構築しているのである。この10カ月、1日の残業は1〜1時間半程度に抑えて、終業後はさっさと帰宅するよう意識してきた。一時的に考えれば、本来受け取るべき賃金をみすみす手放すことは損失であるように思われる。しかし、中長期的に見れば、超勤手当と引き換えに確保した自由時間を使って自分に対する投資を行う(読書、勉強、思索・熟考、趣味、何かへの挑戦、人との交流等)ほうが、遥かに大きなベネフィットを得られるはずである。それは人生を豊かなものにすると同時に、必ず自分の仕事に対してもプラスの効果を発揮する。日常業務において変化や新たな出会いに乏しい事務職であれば余計に、仕事以外の場において積極的に自分を磨き知見を広げることの重要性は増すというものだ。だから自分は、仕事とプライベートのいずれか一方ではなく、両方を頑張ることを目標にしている。


毎日の業務に忙殺されて、何のために今この仕事をするのか、自分の仕事は社会においてどのような意味を持つのか、どれだけのインパクトを与えられるのか、自分はどこに向かおうとしているのか、そんな(一見仕事と直接関係なさそうな)ことをじっくり考える時間を持てなくなってしまうことは、やがてが仕事に対するモチベーションを低下させ、仕事の質を低下させることにつながってしまう。こうした状態を自分は、重大な危機であり、最も避けなければならないことと考えている。昨日今日のような状態が常態化すれば、いずれこうした危機が顕在化することは明らかである。ここで今一度仕事のやり方を見直し、業務を効率化する工夫をして、何とか自分の時間を作る努力をしなければならない。それと同時に、今まで自由時間があってもそれを十分に活用できず、実際には無為に過ごしてきた側面が大きかったことを反省し、時間の使い方も見直さなければならない。この機会に、理念とは裏腹に10カ月間漫然と使われてきた「帰宅後の自由時間」の在り方に、大胆にメスを入れねばならないだろう。うかうかしていたら、あっという間に年を取ってしまう。自分の全てを捧げてがむしゃらに仕事をして、老後になってからようやく「第二の人生」だなんて、そんなのはまっぴらごめんだ。

(65分)