創意工夫

工夫を加えない仕事は、仕事じゃない・・・自分はそう思っている。自分の頭で考え、自分なりの工夫をし、何らかの付加価値を創出して初めて、給与をもらう権利が得られるのだと。そう考えないと、業務が前例踏襲の繰り返しで時代遅れになっていくし、自分がそこに携わった足跡が残せないし、何より自分自身がやっていてつまらないからだ。だから自分はこれまで、もっと分かりやすく、もっと効率的に、もっと便利に、もっと効果的に、といったことを考えながら仕事をしてきたつもりだ。だが、同じ業務が2年目に突入すると、途端にそういった改善の余地が少なくなった。当然のことだ。前年度に自分がすでに築いた道をもう一度たどるのだから、同じ発想で挑んでいては工夫のしようがない。元々、給与という仕事は頑張れば頑張っただけ成果が上がるような性質の業務ではない。求められる結果は、ただ「正しい金額」だけだ。プロセスは単なる手段に過ぎないし、求める結果に対しては、一切の裁量の余地はない(給与計算に事務担当者の裁量なんてものがあったら、公平性・公正性が損なわれ業務が存立しえない)。ある意味、マシーンみたいに仕事をしなければならない。自分はそのことに、もはや飽き飽きしてきている。そもそも給与担当は、学生や外部の人に付加価値を与えうるものではない。大学にとっては純粋な「コスト部門」である。仕事の改善として可能なことは、ほとんど効率化だけでしかない。効率化、効率化と職員はみな口にするが、アウトプットの量や性質を変えないままインプットを少なくすることだけを目指すような考え方は、結局何ら新しいものを生み出すことはない。アウトプットを変えなければ、時代の変化にはついていけないのだ。だから自分は、大学にとってのアウトプット=学生に関われる仕事がしたいと思っている。次の異動希望を出す際には、学務部を希望するつもりだ。今の業務に携わるのは、あと1年というつもりでいる。もう給与には飽き飽きだ。どんなに頑張っても、給与額以上の価値は生み出せない。万年赤字だ。だったら、出来るだけコストを下げるために、超勤をしないのが肝心だ。ということで、最近は超勤をせずにさっさと退勤するようになった。それで浮いた時間を使って、仕事の足しになるような勉強でも出来れば、一層いいことなのだが。

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